十層ボス【鱗粉アゲハ】
俺とミューは一〇層のボス部屋まで来ていた。
それから数日ほどミューの気力特訓をし、いよいよ一〇層のボスを倒し初級の迷宮の後半へ足を踏み入れようと考えたのだ。
慎重すぎるかもしれないが迷宮の探索は命と隣り合わせだ。
慎重になり過ぎて悪いことは全くないはずだ。
その分視野が狭まったり、ミューの気持ちなどを無視しては意味がないが……。
一〇層へ足を踏み入れるとあの時同様強者の臭いと魔力が肌にビシビシと伝わるがあの時ほどではなく、今の強さなら問題なく倒せるだろう。
これはどうやら俺にだけ伝わっているようで同じ魔物だから魔力にでも反応しているのだろう。
ミューには獣の勘のような第六感が働き魔物を察知したり、匂いで当てたりしてくれるので大助かりだ。
これまで奇襲は例外を除けて一回もない。
例外は罠を使用した時に足元からいきなり現れるときだけだ。
「ボスを倒しに一〇層へ向かおう」
「うん。頑張る」
隣でミューも短剣の柄に手を当てやる気満々のようだ。
耳はピコピコと動き、尻尾は上に上がりくねくねと嬉しそうに動いているのを見ると思っている以上に探検が楽しいのだろう。
「楽しいのは分かるが気を抜くなよ」
「うん。分かってる」
そうは言いうがなぁ……。
まあ、いいか。
もしもの時は俺が護れば、それで。
一〇層は【森兎】と呼ばれる濃い灰色の毛が腹に生えたくすんだ緑色が入ったクリーム色の毛の兎で、兎にしては肉食のため少々獰猛な魔物と【モグラ】と呼ばれる土の中から鋭い爪で引っ掻いてくるモグラそのものの魔物が出てくる。
【森兎】は探索者を見かけると遠くからも髭のセンサーで察知し、凶悪な牙をがちがちと鳴らしながら近寄ってくる。だが、意外に小さいため動きに惑わされなければ普通に対処可能な魔物だ。
落とすドロップ品は【兎の皮】と【小さな牙】だ。
【兎の皮】は加工すると今俺が来ている防具の裏面に使われたり、バッグなどに使われる。【小さな牙】は加工することで装飾品とミューの持っている【ファングダガー】となる。一つでは無理なので一〇個ほど使うことになるが。
【モグラ】はミューの鼻で察知可能であり、土を掘り返して進むため静かな洞窟内に鳴り響くのだ。【モグラ】自身も相手の靴音や戦闘音を聞いて移動してくる。倒すとすればモグラ叩きを連想してもらえればいい。反射神経を使うので俺の得意分野だ。
ドロップ品は【動物の骨】だ。
【動物の骨】は何の動物かはわからないが煮込むことでスープの出汁が作れるそうだ。知ったら食べられなくなりそうなので、その辺りは突っ込んではいけない領域なのでタブーだ。
ボスは【鱗粉アゲハ】と呼ばれる五〇センチほどの大きな蝶だが、アゲハというがアゲハチョウとは全く違うものだ。
まず、この世界にアゲハチョウが存在するかも怪しい。
姿は丸々と太った蛾のような体と黒い縁と赤い色の羽根が生えている。羽根の上下には黄色い輪っかの斑点がいくつかあり、そこから鱗粉が分泌される。
特徴はその鱗粉に軽い幻覚作用と混乱作用があることだ。
それは仲間がいれば揺り動かしてもらうことで対処できるので大丈夫だが、仲間がいない場合【鱗粉アゲハ】の姿が重なって見え、狙いが定まらないとのことだ。
ベンダー達が苦戦していたそうなので確かな情報だ。
「だが、それよりも簡単な方法がある」
「簡単な方法? 魔物は火に強い」
魔物がいくら木の魔物でも生命力が違い自分でも消そうとするためそのまま倒されてくれることはない。
魔物にも魔法防御力が存在するので弱い火では打ち消されてしまうだろう。
「そうだが、鱗粉には関係のないことだ。以前教えたと思うが細かな粉が待っているところに火を付けると――」
「粉塵爆発が起きる」
「そうだ。鱗粉だから鱗粉爆発なんだろうが、あいつが鱗粉を出した瞬間に小さな灯をぶつけると……ドカン、となっておしまいだ。後は動けなくなったところをたこ殴りにすればいい」
俺は右手を握ってボンッと爆発したことを表現したが、ミューは首を傾げて、
「ちょっと卑怯?」
と呟くが、俺としてはそうは思わない。
「魔物に卑怯がどうとか通じない。生きるためにしているんだからな。生き残った者が吸収し、倒れた者が糧となる。まあ、時と場合によるがな」
「そうだね。ごめん」
「いや、いい」
試合や決闘でそんなことをすれば顰蹙を買うかもしれないが、それも時と場合だ。
敵が強いのに正面からぶつかる馬鹿がどこにいる。
搦め手を使って何が悪いというのだ。
俺の場合そうなる前に回避するがな。
俺達は一〇層をそのまま普通に攻略していき、ボス部屋の門の前まで訪れた。
門はどこも同じなのか木製の門に金属で補強されているだけだ。
まあ、初級で死ぬのもバカらしいから壊して助けに入れるようにするためかもしれないし、こんなところで金属製の門を作って持ち帰られては下の階層まで金属を取りに行く意味がないのかもしれんな。
だからと言って持ち帰るのは一苦労だが。
「じゃあ、行くか。まずは俺からやってみる。こいつのドロップ品の【幻覚ナイフ】は投げナイフとして使えるからな」
他にも魔法薬の材料となる【大きな羽根】、飾りとなる【蝶の薄刃】を落とす。その中でも【幻覚ナイフ】はレア度が一番高く出にくいアイテムとなる。
「ソフィア君を助けられる」
「そうだな。戦法も広がる」
俺はミューにいつものように返事をし、俺が門を開けて中へ入る。
ボス部屋の中では中央に【鱗粉アゲハ】が止まる大きな木が設置されており、その木の分かれたまたの中央に鎮座するかのように止まっているのがボス【鱗粉アゲハ】だ。
まずはミューに遠くから投げナイフを投げてもらう。
シュッと空気が切れる音が鳴り、吸い込まれるように投げナイフは【鱗粉アゲハ】の身体へ命中した。
『キシャアアァアアアアア』
痛みに鳴いているのか、俺達に気付いて鳴いているのか微妙な声を上げ、暴れ狂うかのように大きな羽根を広げるといきなり怒りの形相で鱗粉を撒き散らしながら飛び向かってきた。
「『プチファイア』」
俺はそれと同時に右手の人差指を【鱗粉アゲハ】に向け、狙いを定めて鱗粉に小規模の火を灯した。
火が点いたと思った瞬間に【鱗粉アゲハ】の右下で粉塵に火が灯り、一気にそれが全体の鱗粉へと渡り【鱗粉アゲハ】の身体を覆い尽くす爆発が起き、爆炎が生じる。
「「おおお~」」
二人で感嘆の声を上げながら少し後退る。
距離があるため安全だと思っていたが、見ると聞くとでは全く違うな。
『ギ、ギギギ……』
ポトリと地面へ落ちた【鱗粉アゲハ】の羽根はボロボロで、体には無数の焦げ跡が付いていた。
逆にもっと気持ち悪くなってしまったのは仕方ないことだ。
俺とミューは少し固まり、顔を見合わせた後お互いに頷いてミューが投げナイフを投げて倒した。
呆気ないといえば呆気ないが、これも立派な戦闘なのだ。
「ドロップ品は【大きな羽根】か」
「【幻覚ナイフ】じゃない。今度は私がやる」
「じゃあ、交代でしよう。幸いここのボスはあまり人気じゃないからな」
【幻覚ナイフ】は今後も状態異常を与えるアイテムとして有効に使えるはず。なのに、此処のボスが人気ではないのは近寄れないからだ。
先ほども言ったが【鱗粉アゲハ】は状態異常を起こす鱗粉を撒き散らす。
それは飛んで羽根を動かしている時はずっと続くのだ。更にその鱗粉は空中を漂い、羽根の羽搏きで巻き上がり、冒険者の行動一つでも動いてしまうのだ。
更に原理は分かっていないそうだが俺がやったように火魔法は厳禁となっているところがある。偶に火魔法を使わずとも鱗粉爆発を起こしているそうだが……。
倒すのなら基本的には通常の蝶などと一緒で人が近づいても逃げるという行動を起こさない。
【鱗粉アゲハ】が気付かないように近くまで移動し魔法で倒すか、水魔法で濡らして倒すらしいが、どれも結構な魔力を使うため労力に見合った結果が得られないので人気がない。
それ【幻覚ナイフ】のドロップ率が一〇回に一回ほどとかなり低く、これがゲームならば何度も試せるが、現実となると体力も減るわけであり、魔力を〇まで使うという行為は即ち死を意味するので戦えても数回だろう。
だが、俺がやった方法は魔力をほとんど使わずに鱗粉を処理できる方法だったりする。
なぜこの方法が知られていないのかはわからないが、原理が分からないと恐れ回避しようとしてしまうのだろう。
俺達はあまり人気がないことを良いことに、ボス部屋を出たり入ったりすることを三時間ほど昼休憩を挟み繰り返していた。
収穫は【大きな羽根】と【蝶の薄刃】があわせて二五個ほどで、【幻覚ナイフ】が六本だ。
【幻覚ナイフ】が多いのは俺の加護が原因だろう。
これで最下層に行ったらお礼を言わなければならないな。
そろそろ収穫もいい頃なので最後にボスをもう一度倒して帰ろうとしたその時、
『キャアアアアアアアーッ! だ、誰か、助けてぇーッ!』
と、甲高く何かに襲われてでもいるのか助けを求める女性の声が、この第一〇階層に響き渡った。
優れた俺とミューの耳にしっかりと届き、ミューの尻尾は警戒にピンと伸び、耳は音を拾おうとピクピクと動いている。
隣を見るとミューと目が合い頷き合うが、声がした方へ慎重に進んでいく。
急いで進まないのは焦って罠を踏まないようにするため、魔物との遭遇、もしかすると罠の可能性も考えられる。
助けに行って自分達が逆に危険になっては本末転倒だ。
「急ぎたい気持ちはわかるが落ち着いて行くぞ」
「わかった」
俺とミューは声がする方へ慎重に進んでいく。
第一〇階層の道の脇に生える青色のクリスタルの光に灯される中大きな洞窟のようなフィールドを歩いて行く。
第一一階層へ続く縦穴を螺旋状に小さく上がる階段、クリスタルの柱が支える落盤の下を通り、遠くから滝が落ち水が流れる脇道を通り、その水が勢いよく一一階層へ流れる川の上をボロボロの橋を渡って向かう。
「助けてぇーッ!」
今度は近くから声がした。
「ミュー、地図は?」
「この先に小部屋が二つある。多分右から聞こえる」
「了解だ」
匂いでも感知し始めたのか鼻を引くつかせ右側の通路を指さす。
地図で罠の有無を確認し、ミューの鼻で魔物の臭いを嗅ぎ取ってもらう。
何もいないことを確認すると先ほどは移動を変え、走りながら女性の声が聞こえる小部屋の端まで訪れた。
そこから何もいないことを確認し、小部屋の中をそっと覗き込む。
そこには何かの罠でも作動させてしまったのか【森兎】十数体ほどに囲まれ、足場を【モグラ】数体に崩され動き難く戦っている女性がいた。
罠でないことを確認し、助けられると判断するとまずは遠くにいる【森兎】目掛けて魔法を放つ。
「た、助けて!」
女性は俺達の方を向いて大声で叫んだ。
俺は眉を顰める。
その声に合わせて魔物もこちらに顔を向け、動きが一瞬だけ止まる。
「赤き炎よ、我が手に集い、敵を打ち払え! 『ファイアーボール』」
俺が詠唱したことにピクリと眉を上げるとミューも続いて反対側の【森兎】に向かって魔法を放つ。
「赤き炎よ、我が手に集い、敵を打ち払え! 『ファイアーボール』」
二つの火球が部屋の中央で戦っていた左右の【森兎】合わせて五体ほどに当たり、背後の壁まで叩き付け煙を上げながら黒い霧となってドロップ品と魔石に変わった。
女性と魔物の数を確認すると剣を抜き放ちこちらに向かって来る【森兎】を切りつけていく。
ミューは短剣を二刀抜き放ち地面から俺の足元に引っ掻こうと出てくる【モグラ】を体勢を低くして倒す。
俺は邪魔にならないようにミューと呼吸を合わせる。
「ハッ」
「シッ」
俺が右側の【森兎】を倒すと左側から【モグラ】が出てくる。
それをミューは感知し出てきた瞬間に短剣を突き刺し、持ち上げて切り刻む。
俺は身を翻らせミューの背後から襲ってきた【森兎】を上段から切り下し真っ二つにする。
「イヤァァッ!」
悲鳴なのか気合の声なのかわからないが近くに飛んできた【森兎】を手に持つ大きなメイスで地面へ叩き付けた。
俺はそれを見て目を細めると彼女の腕を引っ張り抱き留める。
「きゃっ!」
「フッ!」
背後からやって来た【森兎】を切り付け、その隣からやってくる【モグラ】に投げナイフを投擲した。
『ボオゥッ』
「ハアアアァッ!」
投げたナイフは見事【モグラ】の胸元に当たり、そこで勢いをなくした【モグラ】目掛けて腹の底から出る気合と共に目がギラリと光り、手に持つメイスが半円を描いて叩き付けられた。
「大丈夫か!」
「ぁ……あ、はい!」
最後に足元の【モグラ】に剣を突き刺し魔石とドロップアイテムに変えると剣に付いた血を拭き取り鞘に戻した。
何やら様子の可笑しい女性から手を離すと俺はその場からミューの元へ戻り、近くにいる【森兎】を切りつけていく。
それから暫くすると残り三体となった【森兎】は不利を悟り、出て来たであろう岩陰の奥の通路へ逃げ帰って行った。
ミューと合流するとその場にメイスを置き、息を付いている女性に話しかけた。
「大丈夫だったか?」
俺がそう声をかけると女性は息を整え俺に向かって微笑みながらお礼を言ってくる。
「危ないところを助けていただきありがとうございます。私はドロシーヌと申します。お強いのですね……よろしければお名前を、お聞かせくださいますか?」
俺とミューは顔を見合わすと頷き合った。
名乗るほどのものではないが、この女性が何やら頬を染め俺達のことを英雄でも見ているかのように見ているので仕方なく答える。
こういうのはどこかの物語の主人公のようで好きじゃない。
大体、これしきのことで名を名乗る様なものなのか?
助けてくれてありがとう、どういたしまして、で終わるじゃないか。
「俺はソフィアノス」
「私はミュー」
野に咲く花のようににっこりと笑うとメイスから手を離し、俺の手を握ってお礼を言ってくる。
「あぁ、ソフィアノス、様、と仰るのですね。どことなく良い響きのある、いいお名前です」
「あ、ああ、ありがとう」
俺は手を無理矢理放してもらうと少しムッとしているミューの前に立ち、恍惚そうにしていた表情を悲しそうにしたドロシーヌを見る。
こ、こいつもベンダーと同じで漫画みたいな奴だな……。
しかも俺が苦手なタイプかもしれん。
俺は見捨てればよかったなどとは思わないが、すぐにお礼を言って立ち去ればよかったと目を閉じて眉を顰めるのだった。
ミューは俺の後ろで服を持ち、何やら言いたそうにしている。
俺はこの時何か波乱が起きるな、とどこか心の中で思っていた。
その予感は見事的中し、この世界に生まれて初めて激怒するのだった。
粉塵爆発の原理は合ってますか?




