12.2周目も順調です
明治40年(1907年)1月 東京
「俺たちの昇進に」
「「「かんぱ~い!」」」
軍制改革から半年ちょっと。
俺たちはまた集まって飲んでいた。
改革後の混乱をなんとかやり過ごし、無事に中尉に昇進したお祝いである。
「いや~、相変わらず忙しいけど、思ってたよりいろいろやれたな~」
「だな、俺は自動車にテコ入れできたし、慎二も日本製鋼所の合弁を誘導してるんだろ」
「北樺太石油もなんとかなりそうやしな」
「周波数の統一もできそうだよ~」
「商会の方もけっこう、順調なんだぜ」
幸か不幸か、兵部省の復活後の混乱は、なかなか収まらなかった。
そんな状態では教育改革など、とてもやれないということで、俺たちの手が少し空くことになる。
その隙をついて、俺は自動車事業のテコ入れに走った。
具体的に言うと、東京砲兵工廠で自動車の研究部署を立ち上げさせ、ささやかながら技術開発を始めたのだ。
もちろん、実際にやるのは陸軍の人間で、俺はアドバイザーみたいな立場だ。
そしてその成果は陸軍が独占するのでなく、なんと民間への供与も謳っていた。
普通ならとても民間に指導できる技術などないのだが、軍には俺たちがいる。
なにしろ俺たちには、前世で明治期から技術開発に取り組んだ経験があるのだ。
その時のノウハウがあるから、この時代の技術をちょっと先取りしたアドバイスも、さほど難しくないわけだ。
これについては今後、自動車だけでなく、金属、電気、化学分野においても、同様のことをやっていくつもりだ。
とにかく史実の戦前日本は、民間企業の力が弱かった。
おかげで軍は、なんでも自分で作ろうとするもんだから、コストが馬鹿高くなるし、生産能力も貧弱だ。
それに対してアメリカは、大量の民間需要と大量生産工学を背景に、膨大な生産力を発揮できた。
そんな日米の格差を、少しでも縮めるため、民間企業の育成を進めるのだ。
ただし史実のように、軍需が民間を引っ張るだけでは、健全な成長は望めない。
まずは国を豊かにして、民間企業が自律的に成長していけるような、環境を作りたいと思っている。
その一環として後島は、日本製鋼所の合弁事業を誘導していた。
これは1907年、北海道炭鉱汽船が英アームストロング社、ヴィッカース社との合弁で立ち上げた企業である。
史実では当初、製鋼と兵器製造のみだったが、1909年に製鉄所も立ち上げ、銑鋼一貫生産が可能となっている。
そして後島はこの製鋼所を、国内の製鉄産業の育成に使おうと画策した。
なにしろこの時代は、八幡製鉄所と釜石鉱山田中製鉄所ぐらいしか、銑鋼一貫生産ができていなかったのだ。
そこで後の住友製鋼所や神戸製鋼所、川崎造船所、日本製鋼所、日本鋼管に相当する企業に声を掛け、日本製鋼所への出資を募った。
それは最初から高炉を運用する計画で、これに出資すればさほど大金でなくても、関係者として銑鋼一貫生産のノウハウを学べるようになる。
当然、いろいろと利害関係で揉めたのだが、そこは国からの補助金と指導でまとめる方向だ。
これが実現すれば、日本の製鉄能力は大いに高まるはずなので、バリバリやって欲しいものだ。
同様に佐島が裏で動いたのが、北樺太石油だ。
これは日露戦争で獲得した樺太の北部で、油田開発を行う企業である。
これに前世でもやったように、イギリスを巻きこんだ。
おかげで日本政府、イギリス政府、ロイヤル・ダッチ・シェル、そして国内の企業が出資する形で、北樺太石油が誕生。
今後、開発用の機器などをイギリスから輸入し、油田開発を進める予定である。
いずれは貴重な国産油田として、日本の需要の一部を賄ってくれるだろう。
そして中島が早々に動いたのは、国内の商用電源周波数の統一だった。
史実で西は60Hz、東は50Hzに分かれてしまった、アレである
その発端は1896年頃に、東の東京電灯、西の大阪電燈が、それぞれアメリカとドイツから、発電機を輸入して使いはじめたことにある。
実際にはその他の電気事業者も入り乱れ、さらに多くの周波数に分かれていたのが、徐々に統合されていった。
しかし東西の統一だけはならず、日本は世界にも2ヶ国しかない、複数周波数の国になってしまったのだ。
もちろん、統一しようという話は何回もあったものの、費用の問題で実現しなかった。
しかしこの時期ならまだまだ影響は少ないので、強い行政指導があれば可能となる。
元老の圧力を使って、すでに官僚は周波数統一に動いているので、いずれ60Hzに統一されるであろう。
地味に不便だからな、アレ。
そして川島の方は、載舟商会の投資を一気に進めたそうだ。
今はまだ利益は出ていないが、いずれ大きなリターンとなって還ってくるだろう。
そして慈善事業による国内の安定と、情報収集の拠点として役立てるつもりだ。
「ぷは~、それにしても、こんなことを2回もやるとはなぁ」
「ハハッ、まったくだ。しかしまあ、以前とは立場も違うから、これはこれで面白いけどな」
「だね。一応、国外の情勢も、安定しているし」
「まあ、2周目やからな。他国の反応も、予想しやすいわ」
「だな~」
一方、国外の情勢も、日本にとっていい方向で安定しつつあった。
まず仇敵のロシアは、国内の混乱を収めるのに忙しかった。
日本が早々に満州軍を撤退させたのもあって、南満州と韓国には手を出さないという密約を結んでいる。
そして清帝国とも、満州から軍を撤退させたことで、緊張が緩和していた。
なにしろ史実では、2個師団もの兵力を駐屯させていたのだ。
旅順に1個大隊は残しているものの、満鉄の経営に参加させたのもあって、明らかに関係は改善している。
それから大韓帝国との関係も、まあまあだ。
史実では保護国化され、外交権も取り上げられたのが、むしろ対等の同盟国として扱われているのだ。
あちらも悪い気はしないだろう。
もっとも、そこに落ち着くまでには、けっこうやり合ったらしい。
ただ甘い顔をしてもつけ上がるだけなので、最初は保護国化もちらつかせて、強い態度を打ち出した。
そのうえでいろいろ交渉して、譲歩したように見せかけ、彼らの自尊心を満たしてやったわけだ。
おかげで表面上は同盟国として、仲良くふるまっている。
そして満鉄に絡ませたアメリカだが、満州にガンガン投資をしてくれている。
線路を標準軌にしたり、周辺の鉱山開発にも設備投資をしたりと、大活躍である。
今はまだ利益が出ていないが、いずれ日本にも利益をもたらしてくれるだろう。
ちなみに史実だと長春や奉天に日本人街が形成されるのだが、これは控えさせている。
元々、満鉄の経営権は1940年に返還するものだというのが、その建て前だ。
本音は日本人が住み着いたら、手放せなくなって、中国との関係が悪化するからだ。
史実では第1次大戦中のドサクサで返還期限を延長しているが、それは悪手というものだろう。
結局、中国との関係が悪化し続けて、泥沼の日中戦争になるのだから。
いずれ大陸からは、撤退するのがお利口というものだ。
それから陰ながら日露戦争に協力してくれたイギリスには、北樺太石油に絡ませたので、こちらも関係は良好である。
俺たちはイギリスの技術や資材を使って、油田開発が進むし、イギリスは利益を得られる。
まさにウィンウィンな関係だ。
そんな感じで、2周目の歴史改変は、順調に推移していた。




