僕の向かうべき場所について考える。
「もう一つスロット持ちの奴隷を開放しにくい理由があってな。
一度かけられた制約を解除するのは困難なのだ」
制約は、奴隷商が使う、奴隷に言う事を聞かせるスキルだったかな。
今も制約を掛けられた証が僕とセリエ、ユーカの手のひらに黒い入れ墨のような文様として残っている。
「それじゃ。お主の手にもあるであろう?セリエやユーカの手にもな」
「ええ」
ただの文様で違和感とかはまったくないから時々存在を忘れそうになる。
「それはガルフブルグでは奴隷を証するものであるからの。
スロット持ちではない奴隷にも入れ墨で刻むのじゃ……質の悪い商人は焼き印をするとも聞くがの」
ダナエ姫の口調が少しとげとげしくなる。端正な顔にちょっと嫌悪感のようなものが走ってすぐ消えた。
ダナエ姫は奴隷制度については別に何とも思っていない、というか、当たりまえと思っているんだろうけど。モノ扱いだからと言って無暗に痛めつけることまで許容しているわけじゃないか。
ちょっと会話が途切れて部屋が静かになる。
ダナエ姫が手をあげると、部屋の隅で待機していたメイドさんがぺこりと一礼して部屋を出ていった。
「……制約は、魂に約定を刻む、ある種の呪いのようなものじゃ。
完全に解除するのはなかなか難しい」
「でも、スロット持ちの奴隷は自分を買い戻せるんでしょう?解除できないと困るんじゃないですか?」
セリエがそんな話を聞かせてくれた気がする。
買い戻した時に制約が解除できないのは不味いだろう、幾らなんでも。
「まあそういうことになっておるな」
ドアが開いて、メイドさんがワゴンにお茶のポットとかき餅をもってきてくれた。
メイドさんが手際よく新しいお茶をカップに注いでくれて、ふんわりと独特の酸味を感じる香りが漂う。これは日本のじゃなくて、ガルフブルグ産の香茶だな。
皿に並べられたのは、透明なビニールのパッケージに入ったクリーム色のかき餅だ。
ダナエ姫が手袋に包まれた指先で優雅に取り上げ、袋を裂いてかき餅の香りを嗅いでいる。
「この包みに包まれたものは香りが落ちぬのは不思議よな。まるで作り立てのような香りじゃ」
ダナエ姫がかき餅をつまみながら僕を見て言う。まあ、そう思うけど。今は関係ないよね。
かき餅を一つ取り上げて食べると、米の香りと塩とサラダの風味が口の中に広がった。懐かしい味だ。
「スロット持ちの奴隷を扱う奴隷商は、買い戻される前にその奴隷を売り払う。
積立金があるから多少値を下げても損はしないのだ」
ダナエ姫に代わって籐司朗さんが口を開いた。
「……は?」
「じゃあ、何?
ってことは、貸出料からピンハネして解放への期待を持たせた挙句、最終的には売るのが既定路線ってこと?」
黙って聞いてた都笠さんがちょっと怒ったような口調で言って、籐司朗さんが頷いた。
「……クッソ酷い話ですね」
「だがそれが現実だ」
さっきは少し感心したけど、やっぱりヒドイ話だ。人権ってなんだっけって世界だな。
籐司朗さんの口調はさっきと変わらず淡々としている。
僕等より長いことこっちの世界で暮らして、色々と嫌なものも見て、諦観しているのかもしれない。
「とまあ、このような理由で、スロット持ちの奴隷を解放する事はまれでな、
しかも制約を懸けられていると、さらに難しいというわけじゃ」
他人事のようにダナエ姫が言う。
「ひどい話だ、とか思いませんか?」
「昔は思わなんだな。このようなものじゃとしか思って居らなんだ故にな」
言っても仕方ないとは分かっているけど、あんた偉い貴族でしょうが、と言いたいところだ。
ダナエ姫が籐司朗さんをちらりと見てまた此方を向く
「が……今は少し思うところもある」
何かを考えるているような、ちょっと上の空のような口調でダナエ姫が言う。
籐司朗さんと会って、多分地球のことも聞いて考え方が変化したりしたんだろうか。
いずれにせよ、奴隷、という言葉でイメージされるものほど単純じゃないことは分かった。
そして、残念ながら、解放することが難しいことも。
「ユーカが奴隷身分のまま貴族に戻るってことはできますか?」
「……あまり聞かぬ話じゃな。
滅んだ家の再興や名誉回復をするときは、血のつながった家から当主を据えるのが慣例じゃからの」
ダナエ姫がお茶を一口飲みながら言う。
サヴォア家にはユーカ以外に生き残りは居ない。どこかに親戚とかはいるんだろうか。そういう人がいたとして、その人を当主に据えていいものだろうか。
「お主のように元貴族の奴隷を買い上げて、その貴族が名誉回復をするようなことがあれば別じゃがの。
そんな物好きはきいたこともない。ガルフブルグの歴史においては前例はないはずじゃ」
「そうですか」
確かに。
さっきからの話を総合するに、僕の立場はガルフブルグでは特殊で、考えていることもかなり常識はずれなんだろう。
でも、前例がないというだけなら、できないってわけではないんだろうか。
「そもそも、お主はどうしたいのじゃ?スミト?
サヴォア家の復興させて、ユーカに後を継がせたいのか?
その時お主はどうするのじゃ?」
どうしたいのか……正直言って、これについても、僕も考えがまとまってないというのが本音だ。ユーカにとって、貴族になることが幸せなのか。
さっき言われて改めて再確認せざるをえなかったけど、僕等の今の状況は結構不安定なのは確かだ。
どういう形であれ、名誉回復がされて、サヴォア家が復興すれば多分今より生活は安定するだろう。そのためのことを考えるなら、僕が誰かに仕官してしまった方がいいんだろうか。
言葉に詰まった僕をダナエ姫が見つめる
「ふむ、お主もまだ整理かねておる様じゃの」
「……ええ。ヴァレンさんはともかく、ユーカがどう思うかは分からないですからね。
ユーカの望むようになってくれればと思ってますよ」
この曖昧な気持ちを言葉にするのはなかなか難しいけど、それだけは確実に言える。
「……金で買った奴隷の為にそこまで思うとはの。相変わらず不思議な男よな。
お主等の関係は……兄と妹……父と娘の様じゃの」
「僕はまだ娘を持つような年じゃないですよ」
ていうか、ダナエ姫はセリエとそんなに差はないはずだし、僕より年下なのは間違いない。
見た目は綺麗な和服に身を包んだ美少女なわけだけど、でもなんとなく老生した雰囲気を漂わせているのは、育った環境の違いなんだろうか。
この辺は地位の差を感じるというか貫禄の差を感じる。
「まあ、いずれを選ぶにせよじゃ。お主が誰かに仕えるのが窮屈と感じるのは分からなくもないがの。
セリエとユーカのことを考えるなら、誰かの旗下に入ることは決して悪いことではないぞ。考えておくが良い」
「……そうですね。参考になりました。有難う御座います」
窓から差し込む光が赤みを帯び始めていた。そろそろ夕方が近い。時計が無いのは不便だな。
確か、夜になると旧市街と新市街の門が閉じるって話だ。そろそろ行く方がいいな。都笠さんに目配せして席を立つ。
「気にせんでよい……だが、一つよいか?」
「なんでしょう?」
椅子に座ったまま、ダナエ姫が僕等を見上げる。
「お主がサヴォア家の復興を目指すのは構わんが」
……まだ決定稿とかではないんだけどね。
「無論、その時は我が下に付くのが最良であると、妾は思うがの。
それはおいておいても、ルノアールに従うのはやめておけ」
「なぜ?」
唐突な話だけど。はっきりと確信的な口調で、僕を見る目も真剣だ。
「あの当主は取るにたらぬ、ひ弱な愚物だ。頼るに値せぬ男よ」
「そうなんですか?」
籐司朗さんの方に目をやると、籐司朗さんも軽くうなづいた。
「少なくとも、お主等の主に相応しいとは思えぬな。
前も申した通りじゃ。お主等のような有為なものは仕えるべき主を誤ってはならぬ」
この評価が正しいかはわからない。まあなんというか、この人はあんまり嘘をつくタイプには思えないんだけど。
となると、四大公ならだれでもいいってこともないのか。仕事で誰と組むかっていうのが大事なのは日本でもそうだった。ガルフブルグでもそれは同じだろう。
「わかりました、色々考えてみます」
「有難う御座います、お姫様」
「気にするな。スミト、スズ。またいつでも参れ。
流石にいつも妾がおるわけではないがな。茶くらいは馳走いたすように命じておこう」
ダナエ姫が軽く手を振ると、メイドさんがドアを開けてくれた。
窓枠の影がごうかな絨毯を敷いた廊下に長く伸びている。
ガラス窓の向こうにはちょっとした林くらいありそうな庭が夕日に照らされていた。
ユーカの為に、セリエの為に、どうするのが一番いい道なのか。
それに、ユーカもそうだけど、僕がどうしたいのかってのも考えないといけない。
隣を歩いている都笠さんを見る。都笠さんは今日はわりと聞き役に回っていたけど、どう考えているんだろうか。一度聞いてみたい。
◆
ダナエ姫の御屋敷を出て旧市街と新市街の橋の方へ向かった。
門の方から歩いてくる貴族その従者とか騎士らしき人とか馬車はいるけど、門の方に向かっているのは僕等だけだ。
制服のような揃いのベストを着た男たちが街灯の先端にコアクリスタルを嵌めている。街灯係って感じかな。
「都笠さんはどう思った?」
「うーん……」
歩きながら聞いてみる。都笠さんが少し考え込むように黙って、口を開いた。
「……あたしは結構自分の好きなように生きてるわ。日本にいた時も今も。
まあ、好きなように生きるって案外難しいんだけどね」
「そうだね」
「ユーカにもそうしてほしいと思ってる。
だから、風戸君があの子に無理強いしなければなんでもいいわ……しないわよね?」
「勿論」
押し付けだけはしたくない。僕の言葉を聞いて都笠さんがにっこり笑う。
「じゃあ、いいわ。あたしはユーカが好きよ、セリエも。風戸君もね。
だから……うーん、うまく言葉にできないんだけど、いい人生を送ってほしいと思うわね」
話しているうちに旧市街の門が見えてきた。
もう日はほとんど沈んで、空が暗くなり始めている。地球より大きくて明るい白い月が空に上ってきていた。
門の前の広場はもう閑散としていて人影はない。商店もほとんど店じまいしたようで扉を閉じていた。円形の広場を縁取るように建てられた街灯が光を放っている。
唯一の人影は門番の人だった。門の前に立ってきょろきょろしていて、僕等の方を見て手を振ってくる。
「そろそろ閉門の時間です。急いでください、竜殺し殿」
門番の人がこちらに呼びかけてくる。
「すみません」
駆け足で駆け寄って通行証代わりの金属の札を渡す。
「はい。確かに」
「随分遅かったですね。ずっとブルフレーニュ家におられたのですか?」
隊長さんがまた探るような目で僕を見て聞いてくる。単なる興味か……それとも。
どう答えるべきだろうか……
「いえ。話はすぐ終わったから、旧市街を見物してたんです。すごく立派ですよね」
口ごもった僕を、都笠さんがすっとフォローしてくれた。僕の方を見て片目をつぶる。
「そうでしょう?」
「あの立派な城とか憧れます。王様の姿を見てみたいですよ」
「新年の祝いの宴に時には謁見のバルコニーにお出ましになられますよ。その時なら……」
都笠さんと隊長さんが世間話を始める。そんなことを話しているうちに、王城の方から鐘の音が聞こえてきた。時報の鐘だ。
「おっと、もう閉門の時間です……ではお通りください」
隊長さんが門の方を指し示す。
高さ10メ-トルもありそうな巨大な観音開きの門は人が二人ほど通れるくらい隙間が空けられていた。
門をくぐると、後ろで門番の人が頭を下げてくれたので此方も会釈する。
すぐにきしみ音を立てながら門が閉まり始めた。
「さっきはありがとう」
「いーえ、どういたしまして。風戸君、元会社員なのに、いまいちアドリブ効かないわね」
都笠さんが笑いながら言う。返す言葉もないな。
50メートルほどもある長い橋の向こうには酒場がすでに道に机が並べていて、気の早い人達が既に酒盛りを始めているのが見えた。
「どっかでなんか食べてく?」
一応、サンヴェルナールの夕焼け亭に帰れば食事は出るけど、たまには別の所で食べたい気もする。
でもセリエやユーカを放っておくのも悪いかな。
「いいけど……」
都笠さんが旧市街の城壁を振り返る。丁度、門が鈍い地響きのような音を立てて閉まったところだった。
「どうかした?」
「なんかね……やっぱり、見られてる気がしてさ」
後ろを改めて見る。
橋の上には僕等しかいなくて、その向こうには月の光に照らされた黒く高い城壁とぴったり閉じられた門が威圧的にそびえていた。
なんとかあと1話早めに上げる予定ですが、その後はしばらく忙しいのでまたも不定期になるかもしれません。
悪しからずご了承ください。




