私が塔の廃墟でご主人様の奴隷になるまで
今回はセリエの視点になります。
……最初の記憶は、戦場で泥水をすすっていたこと。
親の記憶はない。
戦争で死んでしまったのか、魔獣に食い殺されてしまったのか、何も覚えていない。小さいころは、いつもおなかをすかせていて、誰かに食べ物を恵んでもらっていた。
何日も食べるものが無くて木の下でうずくまっていたのを、旦那様が拾ってくださった。
あの時に頂いた塩辛いハムとチーズと挟んだパンの味は今も忘れられない。
旦那様がどういう意図で私を拾ってくれたのかは、今となっては分からない。死にかけの犬の獣人なんて何の役に立つと思われたのだろう。
よくわからないけど、私はその日から旦那様のサヴォア家の下働きになった。
水を運んだり、屋敷を掃除したり、薪を割ったり、一日中働いた。
でも辛くはなかった。飢えることと独りぼっちになることに比べれば、そのくらいなんでもないことだった。
◆
旦那様のサヴォア家はガルフブルグ王国の4大公の一つ、ルノアール公につかえる下級貴族。
旦那様は高い忠誠心と戦場での指揮能力で公の信頼を得ておられた。
旦那様はいつも穏やかな方で、私を見るといつも笑ってくださった。
背の高い方で、笑いながら私を見下ろして頭を撫でてくださる時が好きだった。
奥様は物静かで美しく、いつも落ち着いた方だった。戦が続いて旦那様が屋敷を長く空けられても、屋敷にはいつも平和な空気が流れていた。
お二人には一人娘がおられた。
ユーカ・エリトレア・サヴォア様。使用人の中で年が一番近かったせいか、私とお嬢様はすぐ仲良くなった。
私にスロットの力があることが分かったのは12歳の時の事。
スロットホルダーにしか反応しないというスロットシートに私の能力が浮かんだ。
スロットシートはスロットという魔法や武器の特殊な才能を持つものが持った時にだけ、持ち主のスロットを教えてくれる紙のような魔道具だ。
私は嬉しかった。これでもっと旦那様とサヴォアの家のお役に立てる。
スロットを持つ者は少なくないが、探索者になったり戦場に出れるほどのスロットを持つものは200人に一人程度だ。私にその力が眠っていたことを感謝した。
攻防のスロットであれば旦那様の近くでお守りできたのだけど、私に与えられたのは魔法スロット、特殊スロット、回復スロットで旦那様の盾になれるようなものではなかった。
「神が与えてくださった力だ。感謝するんだぞ」
私は背が伸びて、旦那様からはもう見下ろされるようなことはなかったけど、変わらず頭を撫でてくださった。
旦那様のおそばにお仕えし、あちこちの戦いに参加した。
私にとっては平穏な時期だった。たとえ戦場であったとしても。
◆
あるとき、旦那様が指揮を執った戦争が痛み分けになった。
それ自体は珍しくはない。和平が結ばれ、いくばくかの領地と賠償金のやりとりがあった。
運命が一転したのはその直後。その戦争にはとある4大公に近い家の子弟が参戦していた。その者が討ち死にしたのだ。
取るに足らない局地戦のはずが、それで話が大きくなった。
幸せが崩れ去るのは一瞬だった。
その貴族が王に訴え出た。
ややこしい、私にはうかがい知れない力学が働いたらしく、旦那様は、ガルフブルグの未来を担う有能の士を愚かな采配で落命させた、という汚名を着せられた。
旦那様には死罪が科され、サヴォア家には多額の、私の見たこともない額の賠償金が課された。
明らかに異常な措置だった。
ルノアール公も旦那様のことを惜しんで奔走してくださったそうだが、最終的には王の言葉には逆らうことはできない。
賠償金のために家屋敷も領地も売られたがそれでも足りない。その場合は直系の血縁が奴隷に落とされる。
奥様とお嬢様。しかし二人を売ったところで賠償金には到底満たなかった。
あとから風の噂で聞いた。その貴族が言っていたこと。
妻と子が奴隷にされても何もできず、ただ処刑される苦しみを味わわせたかった、と。
旦那様は今まで見たこともない悲しい顔をされて刑場に連れていかれた。
最後は堂々とされていたがその胸の内はいかばかりだっただろうか。
◆
奥様とお嬢様が売られる日、私は奴隷商に私も奴隷として売るように申し出た。ただし一緒に、と。
私は自分の価値を分かっている。スロット持ち、しかも複数のスロットを持つ魔法使いは奴隷商にとっては高額な商品だ。
ただでそんな「商品」が増えるのだ。悪い話ではなかったはずだった。
でも3人一緒は拒否された。どちらかと行かなければいけない。でも……どちらかと、なんて選べるはずもなかった。
「ここまでしてくれなくてもいいのに……あなたは自由になれるのよ?」
私を見て、奥様が悲しげな顔で言われた。
でも。私が今いるのも、スロット使いとして一人前になれたのもすべてはサヴォア家があってこそなのだ。
旦那様に拾われなければ、私はあの木の下で誰にも知られないまま死んでいた。だから私が最後までお仕えするのは当然だ。
お二人を見捨てて、独りぼっちで生きていって……それになんの意味があるだろう。
「……ありがとう」
長い沈黙があって、奥様が私を抱き寄せてくださった。
「セリエ、この子と一緒に行ってあげて」
まっすぐな目で私を見て、奥様は言われた。
「私は大丈夫。でもこの子はまだ子供よ。
あなたは強い魔法使い。この子を守ってあげて。サヴォアの血を引く最後の子よ。頼むわね、セリエ」
奥様がいつも通りの落ち着いた目で私を見つめる。
永遠のお別れかもしれない。一秒でも長く、少しでも確かに奥様の顔を目に焼き付ける。
「……命に代えましても……お守りします」
お別れなんてしたくなかった。泣き叫びたかった。
でも私がそんなことをしてしまえば奥様の心を乱すだけだ。必死で涙をこらえて、いつも通りにお返事をした。
「ありがとう、セリエ」
「……時間だ」
奴隷商が言って奥様の肩に手を置いた。
「ユーカ、あなたは強い子。サヴォアの血を引く子として誇り高く生きてね。
一人にしてごめんなさい。許してね」
奥様がお嬢様をしっかり抱きしめて、向きなおった。
「さようなら」
「お母さま!どこへ行くの、お母さま!置いていかないで!」
お嬢様の声は今も耳にこびりついている。私はただ自分の耳をふさぐしかできなかった。あの時のような声を二度と上げさせはしない。
奥様は毅然として振り返らず行かれた。最後まで取り乱したりはされなかった。
……恐ろしくなかったはずはないのに。その先に待ち受けてるものがわからなかったはずはないのに。
誇り高い、永遠にお仕えするわが主。
奥様のその後はわからない。色々と噂を集めてみたけれど、ついぞわからなかった。
◆
私を買ったアルドという奴隷商は割と善人だった。
奴隷商というとイメージが悪いが、奴隷商の多くは制約の能力を持っているものであって、必ずしも人でなし、というわけではない。
彼は私たちの売値を高くし、代わりに貸出値を低く、供託金を高く設定してくれた。
奴隷は、貸出されているうちに稼いだお金で自分を買い戻すことができる。貸出値が低ければ利用者も増え、自分を買い戻す可能性も高くなる。
買値が安ければ誰かに買われて、ばらばらにされてしまうかもしれないが高値の奴隷は手が出しにくい。
ただ、貸出値が安い、ということはつらいこともあった。
ガルフブルグでは探索すべき迷宮や遺跡は少なくなっていて、探索者がスロット使いを「正規の」目的のために雇うことは減ってきていた。
アルドは悪くない人間だったがこればかりはどうにもならない。
せめて優しく抱いてくれれば耐えられるけれど、娼館よりは安上がりとばかりに、私をそういう目的で借りる者にそんな慈悲は期待できない。
5人組に貸し出されて、四肢を押さえつけられて2日間昼夜問わず嬲られたときは涙が出た。
生き地獄だったが……私が死ねば次はお嬢様の番になってしまう。絶対に死ぬわけにはいかない。
薄汚れた私をお嬢様が髪をなでてくださって、ごめんね、と謝りながら一緒に泣いてくださった。お優しいわが主、必ずやお守りします。
少しずつ貯まっていく解放への積立金だけが支えだった。
◆
私たちの状況が少し変わったのはガルフブルグにゲートが開いた時だった。
アルドは商品全部を連れてゲートの向こうに移り住んだ。ゲートの向こうはまだ見ぬ遺跡があり、探索者が次々と渡って探索を行っているという。
連れてこられたのは空まで届きそうな巨大な塔が立ち並ぶ遺跡だった。
サヴォアの旦那様の屋敷どころじゃない、王様の城にも匹敵する建物が立ち並んでいた。そしてどこまでも続く、継ぎ目のない石畳。
ゲートを越えた時に見た、太陽を浴びるガラスの塔の美しさはこの世のものとは思えなかった。きっと神が建てたものだろう。
その日から、私はスロット使いとして貸し出されることが多くなった。
まだ見ぬ世界、探索する場所はいくらでもあった。
けがをすることもあったし、戦いのついでに慰み者にされることもあったけど、以前よりは辛くない。
そんなある日、不思議な男が私を借りに来た。
およそ鍛えているという感じではない細身の体。鎧は着ておらず、奇妙な形の上着に白い中着。首からは細い布を下げている。
見たことのない風体で探索者には見えないが、探索者、しかも前衛だという。
私の体をじろじろ見ていたから、抱くのかとおもったけど、アルドにこう言った。そういうつもりじゃない、と。
男は道に止まっている車輪のついた鉄の箱を動かすことができた。誰がやっても動かせないと聞いていたのに。
どういう能力なのかと思ったら、管理者というスキルだという。でも、そんなものは聞いたこともない。
それに、その男は今まで見た探索者の中で最も速かった。
自分を殴れといわれて、遠慮なく振った私の武器を文字通り目にもとまらない速さでかわした。直前まで当たるとおもっていたのに掻き消えるように。
オーガと戦うときにも奇妙な槍のような武器を使っていたが、その切っ先が見えないほど。
オーガの威力はあるが鈍重な攻撃では何回やってもこの人には当たらなかっただろう。
しかし太刀さばきや体さばきは私から見ても稚拙で無駄が多く、恵まれたスロット武器の力に頼り切っている印象だった。
おまけに魔法の使い方すらしらない。わけがわからなかった。
夜も結局私を抱こうとはしなかった。
男に借りられるときは、意識的に尖った態度を取るようにしている。そうすれば矛先は私に向いてお嬢様に危害は及ばない。経験でそれは分かっていた。
でもこの男は本当に私にもお嬢様にもなにもしようとしなかった。
貸出されたときに、お嬢様と静かに夜を過ごせたのは久しぶりだったと思う。
とても……失礼なことをしてしまった。
◆
「お前に買い手がつきそうだ」
そういわれたのは男が私たちを返却した翌日だった。
そう告げられてからしばらくして来たのは、おそらくダークエルフの血が入っている男だった。
浅黒い肌に、整えられた黒髪。紺色の高価そうなマントに黒真珠をあしらった装飾をつけた、いかにも貴族の子弟という雰囲気だ。
見下すような視線で私を上から下まで舐めるように眺める。
総じて探索者はスロット持ちの奴隷を買えるほど裕福じゃない。
それに、普通は探索者同士でパーティを組む。一時的な戦力補強で奴隷を借りることはあっても、奴隷を買ってまでパーティ入れようとするものは少ない。余程強力なスロット持ちなら別だけど。
だから買い取られるのならば貴族や裕福な商人になることは分かっていた。
そこに買われれば、魔法使いとして以外の役割も求められていることも。でもそんなことの覚悟はできている。今までとなにも変わらない。
「お買い上げいただけるようで。ありがとうございます。
わたくしがお嬢様の分まで、誠心誠意命を懸けてご奉仕いたします。ですから、お嬢様には寛大な処遇をお願いいたします」
大事なのはそこだけ。お嬢様と一緒にいられれば、私はどうなって構わない。
「そういうわけにはいかないのだよ」
「え?」
見上げると、勝ち誇ったかのような目が私を見下ろしていた。
「……私はラクシャス家の命令で来てる。わかるかな?」
どこかで聞いた名前だ、と考えていてようやく思い出した。
旦那様を破滅させたあの貴族の名だ。目の前が真っ赤になるような気がした。
なぜここに?あいつらが、なぜ?
「安心してくれ、キミたちを離れ離れにはしない、暫くはだが。
まずは、君の大事なお嬢様の前で君を嬲ってやろう。
それだけでは不公平だから、お嬢様を抱くときは君もその場にいさせてやる。いつも一緒だ、うれしいだろう?」
拳を握って殴りかかろうとしたけど、制約が働いて腕が後ろに引っ張られるようにして止まった。ここではどうしようもない。旦那様の敵が目の前にいるのに。
もし私に今スロットの力が使えれば。こいつの首から上をガルフブルグの王城まで吹き飛ばしてやるのに。
にやにやと笑いながら男が言う。
「まあじっくり楽しんだ後は、君は娼館にでも売り払うがね。それまでは一緒にいられるぞ」
耳元でささやいて男はカウンターの向こうに行ってしまった。
殺してやりたかった。
◆
気づいたらあの妙な男がもう一度店に来ていた。お嬢様が男と何かを話している。
「お兄ちゃん、一緒に連れてって!」
お嬢様がその男の手を取って言った。
男が何かを考え込んでいる。
何を考えているかは分かる。気持ちはうれしい。でも、その先を言わないで。お嬢様に呪いをかけないで。
だけど、その男はこういった
「ユーカ、僕が君達を買うよ。待っていて」
男は変な上着の裾をひるがえして出て行った。
◆
その日は一日に10回はお嬢様から聞かれた。
「お兄ちゃんは迎えに来てくれるんだよね。まだかな?」
何かを与えられないことは辛いけど我慢できる。本当に辛いのは何かを与えてもらえると思ったのに与えられないことだ。
私はどう答えればよかったのだろう……八つ当たりとは分かっているけど、あの妙な格好をした男を私は恨んだ。
「きっともうすぐです。お金を用意するのも大変ですからね」
不自然にならない様に言うしかない……他に何と言えただろう。
他の奴隷たちがなんとも見えない目でこちらを見る。
私はどこへ売られようと、何をされようと耐えられる。今までどおりに。
でもお嬢様をお守りできなくなることは耐えられない。
夜は二人で抱き合って眠った。お嬢様と過ごす最後の夜かもしれない。
「セリエ、ちょっと痛いよ」
「すみません、お嬢様」
強く抱きしめすぎたせいでお嬢様が身じろぎされる。
「今日は来てくれなかったね。明日は来てくれるよね」
「そうですね。きっと大丈夫です」
そう答えるしかなかった。
◆
次の日はもっと辛かった。
ドアが開くたびに、といっても奴隷商を訪れるものはあまり居ないのだけど、お嬢様が弾かれたように立ち上がってドアのほうを向き、うなだれるのを見るのは。
日が低くなるにしたがってお嬢様の顔が曇り、口数が少なくなっていく。胸が張り裂けそうになった。
あのドアが開き、あの貴族が入ってくれば……私たちはどうなるのだろう。お嬢様は?
日がすこしずつ低くなり影が長くなる。お嬢様が私にしっかりしがみついてくる。体が震えているのが分かった。でも私には抱き返すしかできない。
奴隷は自分の運命を自分では決められない。買われたらそれに従うしかない。
「お兄ちゃん来てくれないね。嘘だったのかな……」
あの男のことを責めることはできるだろうか。
普通に考えれば二日間で120000エキュトを稼ぐというのは不可能なことなのだ。そういう意味では責めることはできない。
でも、お嬢様に無為な期待を抱かせたことは許せない……私が奴隷から解放される日があるとしたら、それまで生きていられたら真っ先にあの男の喉を食いちぎってやる。
「セリエ……もうお別れなのかな」
「いえ、そんなことは……」
「……今までありがとう。ごめんね、つらいことばかりさせて……」
私の胸の顔をうずめたままお嬢様が言われた。
「まだ日は沈んでませんよ、お嬢様。あの方がもうじき来られますから」
あの時の気持ちは今もわからない。
信じたかっただけのか、気休めだったのか。信じていたのか、ただ捨て鉢になっていたのか。そして。
……その時の光景を私は永遠に忘れないだろう。
ドアが蹴飛ばされるように開き、日暮れの逆光の太陽が部屋の中に差し込んできた。
入ってきたあの男が周りを見渡し、私とお嬢様を見る。そして、懐からつかみだした割符の束をアルドの机に積み上げた。
信じられなかった。本当にたったの2日間であれだけの大金を用意できたんだろうか?どうやって?
アルドが割符を数える。多分何度も念入りに改めているんだろうというのがわかった。その間は100年以上たつほど長く感じた。
……そして、私たちはその男のものになった。
◆
やっぱりこの男はよくわからない。
二日で120000をどうやって手にしたのか?そして、なぜ三日前に会っただけの私たちにそんな大金をはたいたのか。
あの貴族から5倍で買い取るという条件さえ平然と蹴った。ガルフブルグで何年かは遊んで暮らせる大金だ。誰だって考えを変えるだろうに。
まったく理解できない。
でもそんなことはどうでもいい。
この人がいたからこそ、私はお嬢様と一緒にいられるのだ。それだけで、もう十分だ。
ところで、よくわからないことはほかにもある。
自分で口づけするように言われたのに、口づけをしていただくようお願いしたらなぜか戸惑っておられた。
自分で言われたことなのに、なぜだろう。
それに妙に周りを見回しておられた。奴隷に口づけするのに、なんで周りを気にするんだろう。
最初の口づけはすごくそっけなかった。
私が失礼なことを言ったことを怒っておられるのか……でも、怒っておられても当然だ。
それとも私は汚れてると思われたのだろうか。それも、悲しいけど仕方ない。
でも……お願いしたらもう一度口づけしてくださった。
……今まで、口づけは数え切れないほどされた。
でも、無理やり押さえつけられて口をふさがれる、そんなのとは全然違った。
優しくて、柔らかくて。私のことを大事に思ってくださっているのが伝わってくる口づけ。
これが恋人同士のする口づけなんだろうか。初めての気持ちで天に昇りそうになった。
でも奴隷相手にあんな風にするなんて、やっぱり変わった人。
……とても変わった、私の大事なご主人様。
いったんここで区切りとなります。
読んでくれた方に、心から感謝します。




