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亭主様と恋の種  作者: まるあ
第三章 百花繚乱、花の嵐は尽きることなく
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昼前だから、攻防戦です!

 二階の窓からの脱出騒動が収まってから一晩が経ちました。

 昨日は不覚にも、疲れすぎて少し早目の夕食からの記憶があやふやなのです。気付いたら今朝を迎えていましたから。もしかしたら、食べている時に寝てしまったのかもしれません……。

 お陰で毎日恒例の、実家のお手伝いを休んでしまいました。

 実家のお手伝いを無断欠勤するだなんて、生まれて初めての事です。今日、実家に行った時に謝らなくてはいけませんね。

 そして、昨日の運動量が凄まじかったためか、今日は全身が筋肉痛です。

 今まで使っていなかった筋肉や腕と足がピキピキです。朝になって、寝台から起きようとしてあまりの痛さに悶絶してしまいました。


 …………実家のお手伝い、きちんと行けるでしょうか。



 そう言えば、ヴェルさんの話では、バレンさんはフィルス君を連れてお母様の元へ行ったそうです。

 フィルス君はもうこちらに戻ってこないのでしょうか……? 

 なんだか寂しいですね。

 お別れの一言もしていないです。

 でもですね、また帰ってくるような気がします。

 ……荷物が置きっぱなしですから!



 私が貰ったウサギのぬいぐるみのポーチバージョンが、寝台脇の棚にちょこんと置いてあるのに気付いたのは今朝起きてすぐの事でした。

 ヴェルさんは、このポーチを直ぐにでもお母様の元に送ると言っていたのですが、そうするとフィルス君ともう会うきっかけが無くなってしまいます。それは避けたかったので、そのポーチは私が預からせてもらいました。

 これを持っていれば、またフィルス君に会えるのです。

 再びフィルス君に会った時の事を想像すると、顔がゆるみます。

 小さな手。ほよんとした頬。陽に透かすと高級な金糸の様な髪。大きくて少し潤んだ瞳。私を見つけると、手を振って走り寄る姿は、耳や尻尾がなくても、私にとっては金の子犬に見えるのです。

 …………子犬なんですよっ!

 自分に向かって尻尾を元気いっぱい振って走り寄る子犬です!

 そんな可愛い子犬を抱きしめて、気が済むまで頬ずりをしたいのです!

 


「やっぱりそのポーチ、俺が送っておくから。……いや、今日にでもジョニーに頼もうか」



 心の中で、子犬フィルス君を抱きしめて頬ずりしていたのですが、それが表に出て顔がゆるみ過ぎていたのでしょうか。

 いつの間にか居間に来ていたヴェルさんが、三人掛けソファに深く座りながらウサギポーチを抱きしめた私を見て、なんだか見てはいけないものを見た表情をしています。

 今日は厨房のお手伝いでしょうか。白地の服に黒いエプロンを付けたヴェルさんは格好良いです。どのような表情をしていたとしても、今日も綺麗ですね。憂いのある表情も素敵です。

 ヴェルさんは微妙な顔をしながら、私が抱きしめるポーチにその細い指を伸ばして、それを掴もうとしています。



 …………むっ! ウサギポーチを取り上げる気ですね!

 それは断固拒否です。子犬を抱きしめれなくなるじゃないですかっ。

 


 ヴェルさんの指から逃すようにポーチを胸元にしまうと、私は「ダメです」と彼に微笑みました。

 ヴェルさんは、私の意地悪な表情を見て困った顔をすると、空気を掴んだ手で髪をわしゃわしゃすると、ふ、と笑いました。



「……何であの子にこだわるんだろうね」

「可愛いじゃないですかっ。……子犬みたいで。ヴェルさんのミニチュアですし。まるで、ヴェルさんの子供の頃を見ているみたいで、嬉しいんですよ」

「……そうか。君は小さな俺が見たいわけだ」



 ヴェルさんはそう言うと、なぜか居間の扉に鍵をかけました。

 ……鍵なんて、今必要でしょうか?

 ……ヴェルさん、なんだか瞳が妖しく輝いていませんかっ?!

 ……その胡散臭い笑顔は、なぜなんでしょう?! 

 状況が飲み込めない私にゆっくりと歩み寄ると、私の座っているソファの背後に手を掛けて、空いている方の手を私の頬に当てました。

 そして、胡散臭い笑顔を背筋がゾワリとする様な笑みに変えると、私の唇を包むようなキスを一つ落としました。唇が離れると共に、頬に当てていたヴェルさんの指が、つつ、と首元を伝います。



「―――ヴェルさんっ?! 何を……!」

「……うん? 一秒でも早く、小さな俺を見せてあげようと思って。でも、こればっかりは授かるものだから、直ぐに出来るかわからないし、俺に似るかわからないけど。後で神殿に行って、俺に似るように祈ってこようか」



 ヴェルさん、それってニッコリ笑顔で言う言葉ですか?!

 昼前の時間に言う言葉ですかっ?!

 ……流石にこの時間からそれは無いですよ!

 拒否ですっ! 断固拒否ですっ!! 

 ああ、でも、逃げようにも身体が痛くて、思うように動きません。動けても、ソファの上でジリジリと後ずさる事しか出来ません。

 ヴェルさん、わたわたする私を見て楽しそうですね? 

 ……えっ? 楽しくは無い? これから楽しくなるんだから……って、ま、待ってくださいってば!



 三人が座れる程の大きなソファでも、後退して行けばすぐに逃げ場は無くなってしまいました。

 ヴェルさんは、うろたえて青ざめる私を見ながら、抵抗するために突き出している腕をやんわりと退けると、私に覆いかぶさって耳朶に口づけました。

 


「―――ヴェルさんっ! ダメですっ……! ……やめっ……ぁ」

「……抵抗されると、逆に止めたくなくなるんだよね。不思議だね?」


 掠れた声で抵抗する私の髪を撫でながら、ヴェルさんは瞳に厚く甘い色が宿らせて私を翻弄していきます。

 ヴェルさんのその瞳の色に流されてしまいそうです。

 ……そう言えば、抵抗されると止めたくなくなると言っていましたよね。今、流されて抵抗をやめたら、止めてくれるのでしょうか?

 少しだけ力を抜いた私に向かってヴェルさんは瞳を細めると、その口角を上げました。


「……残念だけど、やめないよ? 今まであの子に構って放っておかれたんだから、その我慢して分だけ癒してよ。……前、癒してくれるって言ってたよね?」

「――――――それは」


 以前言った『癒す』というのは、マッサージの事ですってば。

 ……もしかして、ヴェルさんはこの事を期待していたのですか?! なんて事っ! ずっとマッサージをして欲しいのだと思っていましたよ! またまた勘違いしてました。

 

 私がそれを説明しようとした時、不意に居間のドアノブがガチャガチャと音を立てました。

 なんてタイミングがいいのでしょう! 救いの手です! ヘルプミーですっ! ですが、鍵がかかっていますから、当然開きません。

 ヴェルさんにもノブを回すその音が聞こえているはずなのに、私の身体の線をなぞる指は止まりません。寧ろその逆で、私の服を緩めに掛かっています。

 あああっ、このまま流されてしまうのでしょうか……!

 それは避けたい。全力で避けたいですっ! 流された後で、この部屋から出るのが恥ずかしくなりそうですからっ。

 やがて音を立てていたドアノブは静かになり、そのすぐ後に、カチリと何かが降ろされた様な、解放された様な音が聞こえました。

 そして、開くはずの無い扉が、ゆっくりと開かれました。



 

 

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