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亭主様と恋の種  作者: まるあ
第三章 百花繚乱、花の嵐は尽きることなく
52/58

捕まってしまいました。

 私が逃げた先は、お洗濯がたくさん干してある場所です。

 たくさんの服と、たくさんのお店で使うテーブルクロスがヒラヒラと風に煽られて、まるで踊っているようです。

 これだけ布に囲まれていたら、きっと見つかることはないでしょう。

 このお洗濯たちが取り込まれる頃には、私の嫌な心も落ち着いているに違いないです。足も痛いですし、少し休憩です。

 …………ああ、でも。足の捻挫治療を休憩の前にしなくてはいけませんね。

 捻挫は最初の処置が大切なのです。ずきずきと痛むので、せめて鎮痛作用のある薬草だけでもその辺りに生えていないでしょうか。あちこちに自生していると思うのですが。

 怪我をしても、野に生えている薬草で出来るだけ早く治療が出来る。普段はありがたみの無い資格ですが、こんな時は、薬草士の資格をとっておいて良かったと思えます。



「……何を探してるのかな?」



 私が薬草を探し始めて直ぐに、少し離れた場所から問われました。

 かなり覚えのある声だったのですが、捻挫した足がかなり痛くなってきたので構ってられません。「ちょっと痛み止めを」と言いながら、声の主を無視して雑草を掻き分け薬草を探していると、不意に影が頭上に落ちて誰かの靴先が現れました。かなり見覚えのある靴です。

 声といい、この靴といい、当てはまる人物は一人しかいません。

 あ、と思う暇も無く私の手が引かれると、靴の主の怒った顔が目に入りました。

 予想よりも早く見つかってしまいましたね。

 



「……ヴェルさん」



 色んな気持ちが混じり合って、どんな顔をしたらいいのか判りません。

 ヴェルさんの顔がまともに見れなくて視線を漂わせていると、ヴェルさんが柔らかい手つきで私の右足に触れました。何の前振りも無く痛む部分に触れられて私が顔を顰めると、ヴェルさん本人も怒っていたはずの顔を顰めて、なんだか痛そうな表情を浮かべ始めました。

 私の痛みに同調するかのように。



「危険を冒して二階の窓から逃げるほど、俺が嫌? こんな怪我をしてまで逃げるほどに、俺が嫌いになった?」

「…………嫌いになんて」



 嫌いになんてなれないです。なれるわけない。

 むしろその逆で、私の考えていた事を知られると、嫌いになられるかもしれないです。

 ほんの少しでもフィルス君のお母様を憎く思ってしまったのです。ここに帰りたいと言っていたらしい彼女を家に迎えるのに反対してくれないヴェルさんに対して、少しでも裏切られたと思ってしまったのです。

 こんな暗くて醜い感情を抱いている私を知ったら、ヴェルさんが私を嫌いになるのではないでしょうか……。

 私が心の中でそんな事を考えているのを知らないヴェルさんは、私の顎を掴んで上を向かせました。今はまだヴェルさんを見るのは辛いのに。

 直視できない為に直ぐに視線を逸らしましたが、ヴェルさんの表情を視界に入れてしまいました。怒っているはずなのに、なぜか瞳を潤ませて私を見ています。



「じゃあ、何で逃げるんだ? あんなロープもどきで二階から逃げる危険を冒してまで! 下手したらこの足の怪我だけじゃくて、もっと酷い事になっていたかもしれない」

「……それは」

「……それに、なんで俺を見てくれないんだ……! 見るのも嫌な程、嫌いになった? なんで? そこまで嫌われる事をした覚えは全くないんだ。どうしてか理由を言ってくれ!」



 ヴェルさんの濁りの無い翡翠の瞳から、透明の雫が盛り上がってきました。溢れ出んばかりの水をたたえるそれは、まるで翡翠色の泉のようです。

 それは目のふちから溢れ出て、はたはたと私の頬を濡らして幾つもの筋を作りながら地面へと染みを作っていきます。

 過去に見た、ヴェルさんの綺麗な涙です。気付いたら手を差し伸べていた、「振られた」と声を殺して泣いていた時のあの涙です。

 ……私がこの涙を流させてしまったのですね。私の行動が、ヴェルさんを泣かせているのですね。

 そう考えると、心が悲鳴をあげます。ヴェルさんへの想いが身の内から溢れ出て止まりません。僅かに瞳を伏せたその顔を、この腕で抱きしめて涙を拭いたい衝動に駆られます。

 ―――もう、本心を隠しておくなんて出来ません。


 私はヴェルさんの涙を指で拭うと、その翡翠の瞳を見ながら口を開きました。



「ヴェルさんが好きです! ヴェルさんがフィルス君のお母様の事を好きで、家族だと思っていて、この家に迎えようとしていてもあなたが好きなんです。だから、……ヴェルさんがフィルス君のお母様を選ぶと口にするのを聞きたくなくて、邪魔だと言われるのが嫌で……逃げました」

「…………は? ええと?」

「……ですから、嫉妬したんです。フィルス君のお母様に。嫉妬した顔をヴェルさんに見られたくなくて、気分が落ち着くまで隠れていようと思っていたんです。それなのに、山狩りのように探すから逃げざるを得なかったのですっ」




 一気に言葉を放ったせいで荒い息をする私を見て、ヴェルさんは目を見開いて固まりました。それはほんの数秒でしたが、私にとってはもっと長い時間の沈黙に感じました。

 彼はその整った顔を歪ませると不意に私を抱きしめました。

 もう逃がさないとばかりに締め付ける腕が私の背を捉えて、空いている片方の手で私の頭を優しく撫でると、私の肩口に顔を付けながら何故か乾いた笑いを洩らしました。

 先ほどまで悲しい雰囲気が漂っていたのに、それを払しょくするような声です。安堵が入り混じったような、それでいて楽しいという感じで何故か笑っているのです。

 それに驚いてヴェルさんの顔を見上げると、彼はとても嬉しそうな笑みを浮かべています。

 ―――――なぜでしょうっ?

 今の言葉に喜ぶ要素はあったのでしょうか?!

 



「……ははっ! ごめん。ココットが嫉妬してくれたのがすごく嬉しくて。なんだか見当違いの事を考えてたみたいだし、笑いが止まらない」

「ええっ? 見当違い……?」

「そう。もっと早くちゃんと伝えなければいけなかった。フィルスは弟だよ。バレンから聞いたと思ってたけど、聞いてなかったんだね。……ああそうか、だから母さんの事を話したらあんな顔をしたのか。勘違いさせた挙句に悩ませてごめん。」



 ―――お と う とっ?!

 フィルス君は、ヴェルさんの子供ではなくて弟さんだったのですかっ!!

 じゃあ、私が考えていたのは全部間違いで……。

 フィルス君のお母様はヴェルさんのお母様で。

 ヴェルさんを振った方はフィルス君のお母様ではなくて……。

 この家に帰ってきたいと仰ったのはヴェルさんのお母様で。

 お母様だから家族なのは当然で……。

 …………ああ。

 なんて恥ずかしい勘違いをっ!

 勘違いで嫉妬した挙句に逃げ出して、ヴェルさんを泣かせてしまうなんてぇっ!!

 アンナさんやマルスさん。うさぎ亭の方々を山狩りの如く駆り出してしまうなんてっ!!

 ごめんなさい。ごめんなさい~~~っ!!

 今すぐに穴を掘って埋まっていいですかっ?!

 納屋から穴を掘る道具を持ってきていいですかっ?!

 恥ずかしすぎてヴェルさんの顔を見る事が出来ませんっ!!



「……思う所があるのは理解できるけど、埋まるのはちょっと困るよ。見てもらえなくなるのも」

「―――ええっ?! ヴェルさん、超能力者ですか? 私の心を読むなんてっ!」

「まさか。赤くなったり青くなったりしてたし、この口から声が出てたよ」



 驚いて見上げた私に困った顔を返しながら、ヴェルさんは親指の腹でそっと私の唇をでなぞりました。

 そして、私の背筋がゾクリと震えるほど淫靡で妖艶な笑みを浮かべ、優しく一つのキスを唇に落としました。

 短くて、何かを確かめる様なキスです。仲直りの徴でしょうか。

 ……あまりに急だったので、目を閉じるのを忘れてしまいました。

 私の唇を塞ぐ柔らかな感触が消え、閉じられていたヴェルさんの長い睫毛がゆっくり開かれます。

 まさか私が目を開けたままだったとは思わなかったのでしょう、ヴェルさんは僅かに驚いた表情を浮かべると、再び相好を崩して私の額に彼のそれを当てました。 



「……そうだね、もしも君が悪いと思っているのなら、今ここでココットからキスをしてくれる? ただ触れるだけじゃなくて、ちゃんとしたやつ」

「ちゃんとした……」

「そう。……出来ない?」



 先ほどまで涙に濡れて赤くなった瞳を揺らせて、ヴェルさんは私を見つめます。

 心なしか上目遣いです。早く、と言われているような感じがします。

 今まで自分からヴェルさんに口づけをするなんて滅多に無かったので、ヴェルさんが希望する事を実行するには、とても勇気がいるのです。

 第一、ここは外です。お洗濯を干す場所なんです!

 いつ人が来るかわからない場所なんですっ!! しかも、今は山狩りの如く私を探している方々が居るのです! 大変危険なのです!

 ですから、心臓がバクバク言っています。この胸を突き破って出てきそうなほどに、強く、大きな鼓動を刻んでいます。 

 


「…………出来ないなら、いいけど」



 まごまごしている私に焦れたのか、子犬の様な表情を浮かべて、ヴェルさんは私から視線を逸らしました。

 とても残念そうな顔です。

 子犬の耳が垂れて、尻尾が悲しげに揺れている幻影が見えた様な気がします。

 …………。

 …………わかりました。私も女です。勇気を出してみましょう。

 でも、ひとつお願いが。



「目を閉じていてくれますか? じゃないと、恥ずかしくて出来そうもないです」



 ヴェルさんは嬉しそうに微笑むと、私の腰に手を回して、ゆっくりと金の睫毛に彩られた瞼が翡翠の瞳を覆っていきます。

 完全に瞼が落ちたのを見計らい、私はヴェルさんの頬を両手で挟んで唇を寄せました。柔らかな感触に酔ったように、ヴェルさんが私の腰を引き寄せて、暫くの間はお互いの柔らかな熱に酔いしれたのでした。




なんとかココットの勘違いをただせました。

普段ならばここで終わるのですが、まだ数話残っています。フィルス君や、その他の皆さまが出てきていないのでもう少しだけお付き合いくださいませ~(^ω^)/



実は一話で収めたかったが為に、文字数の都合で後半でカットしてしまった部分があるのです。せっかく書いたので、こちらに。

もしも本編に載せた方がいいと言われる方がおりましたら、本編に入れさせていただきます!(^^)!

以下、その部分です。 ↓↓↓↓

 

***


  『ココット危うしっ!』



 初めのうちは深く重ねるだけの唇だったはずなのに、なぜか途中からヴェルさんに翻弄されてしまいました。止めようにも、頭を固定されてしまって顔を逸らす事も敵いませんでした。

 その内に押し倒されるのでは、と危惧した程にヴェルさんは執拗でした。

 甘く名前を呼ばれて、胸元のリボンに手を掛けられた時には全力で突っぱねましたが、もしも流されていたらどうなっていたのでしょう。

 ……さすがにここは外なので、そんな事態にはならないとヴェルさんを信じていますが。

 


 あまりの口づけの激しさに、私だけ息があがっているのは納得できませんが、ヴェルさんが満足気なのでこれで良しとしましょう。

 仲直りですね!

 


「……そう言えば、バレンと二人(・・)でどんな話をしていたんだい? フィルスの事を話してたんじゃないの?」

「フィルス君の事じゃなくて……ええと。ヴェルさんの……」


 そこまで言って気付きました。

 バレンさんと具体的に話したのは、主にブレスレットの時に話題に出た女装の事じゃないでしょうか。確かに他の事も話しましたが、ほんのちょっとです。

 フィルス君のお母様の話題が出て直ぐにカイト兄が来ましたし。


 何と言えばいいのでしょうか。


 ヴェルさんが女装した話と言ってもいいのでしょうか?!

 女装のヴェルさんを見たカイト兄が、あなたに一目ぼれしたと話してもいいのでしょうかっ?!

 ……ダメですね。

 二人の沽券に関わりますね。



「俺には言えない事を二人っきり(・・・・・)で話してたのかな?」


 どう話していいのか悩んでいると、ヴェルさんが私の頤を持ち上げました。

 つられてその顔を見ると、何故か意地悪く微笑んでいます。


「約束したよね? バレンとは二人にならないって」

「ご、ごめんなさいっ! でもですね、後ろには飼育小屋がありましたし、飼育員さんやフィルス君がいて……」


 そこまで言って、フィルス君を飼育小屋に置き去りにしてしまった事に気付きました。

 

「―――どうしましょうっ! フィルス君を置いて来てしまいました!」

「……知ってる。今はバレンと母さんの所に向かってるはずだから。……で? 約束を破ってまで、バレンと何を話してたのかな?」



 どうやらこの追及からは逃げれないようです。

 ……どうしましょう。

 ヴェルさんの顔が、時間が立つほどに意地の悪いモノに変わっていってます。

 でも本当の事なんて言えるわけなく。



「……ヴェルさんの事を聞いていました。知らない事が多かったので」


 

 苦し紛れに言った言葉ですが、ヴェルさんは嬉しかったようで、相好を崩すと先ほど離れたばかりの私の唇に優しく彼の薄い唇を重ねました。



「聞いてくれたらどんな事でも話すのに。……これからは俺に聞いてくれるかな? 他の誰かに聞くんじゃなくて、この俺に」


 

 重なる唇の合間に、甘美とも言える声で耳元で囁かれれば、是と答えるしかありません。

 私の答えを聞いたヴェルさんは、再びその唇で私を翻弄したのでした。



 



 




 



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