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亭主様と恋の種  作者: まるあ
第三章 百花繚乱、花の嵐は尽きることなく
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勇気を出してみますっ!

「何やってるんだよ。皆変な顔しちゃってさぁ」



 不意に聞こえてきた声に振り返ってみれば、バレンさんが居間の扉前であくびをかみ殺していました。

 寝癖がついた茶色の髪をかきあげながら、つかつかと私たちの方へと歩み寄ると、ヴェルさんの手に収まっている小箱を見て成程とどこか納得した様子でした。

 

「ああ、ソレ? 兄さんに預けてたんだよね。丁度いいや、貰っておくよ。……いいよね?」

「……そうだね」

「―――バレン、答えなさい。それはバレンの物なのですか?」

「そうですね。俺の手の内にあるので俺の物です。トレンチャー軍医、何か問題でも?」

「……いえ」



 バレンさんから視線を外したカイト兄は、どこか納得が出来ていない表情を浮かべています。

 ……実を言うと、三人の会話を聞いていた私も、どこか納得できません。

 あのブレスレットは、私が十八の時にヴェルさんが腕に付けていた物です。しかも、マルスさんとお揃いで。当時は衝撃的な程に美女と野獣カップルだと思っていたので、今でも脳裏に焼き付いています。

 今現在はその腕に付けていなくても、ヴェルさんが今さっきまで保管していた以上は彼の物だと言えるでしょう。

 フィルス君が来てから一週間が経過したという事は、バレンさんが来てから一週間という事になります。

 その一週間、一言もブレスレットの事を言わなくて、今それを口に出すのって何か怪しい感じがしますね。

 まるで、カイト兄の追及からヴェルさんを守っている様な感じがしてきます。

 ……ヴェルさんの事を碌に知らない度が、また一ポイント増えましたね。



 バレンさんは白金で出来たブレスレットを懐にしまうと、私とカイト兄の疑心に満ちた視線から逃げるように、空腹を訴えながら部屋を出て行ってしまいました。 

 ……今ここでヴェルさんにあのブレスレットの事を聞いては不味いでしょうか。

 そうですよね、カイト兄の居る前で話題にするのは得策ではありませんね。

 



 


 午後になってフィルス君が居間の大きなソファで寝てしまい、カイト兄が帰るのを見送ると、ヴェルさんもお仕事に行ってしまいました。

 お仕事と言っても、同じ建物の中ですが……。

 正直、一人の時間は手持ちぶたさなのです。

 晴れていればお庭の草むしりでもするのですが。あいにくと外の天気は雨です。

 ……何をしましょうか。

 この場にヴェルさんが居れば、先ほどのブレスレットの事を聞いてみたかったのですが、残念ながらお仕事を邪魔するわけにはいきません。

  


 やる事が無くて、しとしとと窓の外に降る雨を見ていると、なんだかヴェルさんと初めて出会った日を思い出します。

 女神様のように綺麗な方が、神殿の外階段で泣いていたのです。

 「振られた」そう言いながら、声を殺して泣いていたのです。綺麗だと思える涙をハラハラと流して。

 そのヴェルさんを振った方のお子様が、私の指を握りしめて眠っているフィルス君かもしれません。

 フィルス君は、とても可愛らしいです。本当に。神様に誓ってもいい位に。

 ……でも、寝顔を見ていると、やはりヴェルさんにそっくりで、濃いであろう血の繋がりにとても胸が痛むのです。

 柔らかな金の髪も、閉じた睫毛も、ややつり上がった眉の形も、少し薄めの唇も、全部がそっくりなのです。

 勇気を出してヴェルさんからフィルス君の素性を聞こうと思った事は何度もありますが、怖くなって聞けずじまいです。今でも、ヴェルさんと二人になるといつその話をされるのかと怖くて、ついフィルス君を傍に置いてしまうのです。

 ……矛盾してますね。

 フィルス君を見ていると胸が痛むのに、フィルス君を傍に置いてしまうなんて。

 しかし、いつもフィルス君と一緒に居る訳ではありません。

 実家のお手伝いから帰る時は、ヴェルさんと二人きりなのです。ですが、出来るだけフィルス君のお母様の話を避けてしまいます。いえ、その話になると、私が逃げてしまうのです。



「…………いけませんね。このままでは」



 フィルス君の柔らかな髪を撫でながらそう呟いた時、不意に部屋の空気が動きました。

 雨が降っている為に、今日は窓は全て閉めてあるのです。不審に思って見回すと、私達が今使っているソファの後ろに、バレンさんが立っていました。

 ……無言で。

 ……何を考えているのか判らない表情で。

 


「―――ぅわぁっ!! おおお驚くじゃないですかっ! 居るのなら声のひとつくら……むぐぅ!」

「静かにね? 幼児には昼寝が大切なんだからさ」



 バレンさんは気付いた私に向かいニッコリと笑いながら口を片手で塞ぐと、もう片方の手の人差し指をバレンさん自身の口前に持ってきて、声を出さないように言いました。

 後ろ向きのまま首が固定されて痛いです。

 ですが、後ろから耳元に落とされる声と、首筋に触れるバレンさんの髪がくすぐったいです。

 あまりにくすぐったくて、フィルス君が私の指を掴んでいる事を忘れて、その手を離してしまいました。

 幸いな事にフィルス君は深い眠りに入っていた様子です。少し身じろぎはしましたが、規則正しい呼吸音は健在です。

 ホッと胸をなでおろした私ですが、バレンさんの手は未だ私の口にあります。



 話せないままです。

 ……苦しいですっ。

 せめて鼻からは指を離してくださいっ!

 息が出来ませんから~~っ!!




 私の心の声が聞こえたのか、声が出なくて「ムームー」と唸る私の言いたい事を察知してくれたのか、バレンさんは私が窒息する寸前で手を離してくれました。



「……死ぬ所でした。お花畑が見えてくる所でした」 

「あはは。ごめんね? これを返しておこうと思って」

 


 そう言いながらバレンさんが私に差し出したのは、先ほどヴェルさんがバレンさんに手渡したブレスレットでした。

 白金の、装飾が一つしかない簡素なブレスレット。



「さっきはトレンチャー軍医が居たから俺が貰ったんだけど、兄さんのだから返すよ。俺さ、今から出かけなきゃいけないんだよね、後で渡しておいてくれる? ……そうそう、くれぐれも軍医の前にこのブレスレット出さないでね」

「……えっ?」


 

 それはどうしてでしょう。

 カイト兄とこのブレスレットにはどのような関係があるのでしょうか。

 ……聞くのなら、今がチャンスなのではないでしょうか。

 ブレスレットの秘密や、私の知らないヴェルさんの話、もしかしたら過去のヴェルさんの話を聞く事で、フィルス君のお母様の情報が何やら解るかもしれません。

 ヴェルさんの口からかつての恋人の話を聞くよりも先に、第三者の話を聞いておいた方が心の準備ができるかもしれません。

 そう思った途端、私は颯爽と部屋を出ていこうとしているバレンさんの服を掴んでいました。

 


 ――――――ビリリッ!



 服を引っ張ったら、何とバレンさんの服の裾が……裂けました。

 そんなに強く引っ張っていないのに、思いっきり裂けました。私は気付かない間に、少し力を入れて引っ張るだけで服を裂く事が出来る超人になっていたのでしょうか?! 

 ああ……、バレンさんの服の背中に大きなスリットが入ってしまいましたね。ヒラヒラと裾が舞って蝶の羽みたいです。走ればその羽で飛べそうですねっ?

 ……あ、笑って誤魔化すのはダメですか?

 …………もちろんダメですね。



「……すみません。少し聞きたい事があって、引き留めようとしたばかりにこんな……」

「………………いや。いいよ。今から出かけなきゃいけないんだよね。直ぐに済む話なら今聞くけど、長くなりそうなら明日でもいい?」

「そうですね。色々と聞いてみたい事があるので、明日の方が宜しいかと。……あ、服を直しますので置いていってもらえますか? と言いますか、是非とも直させてください」

「ええっ? 今脱ぐの? いや、いいからっ!」

「ダメですっ! こんないとも簡単に服を破くほどに超人的腕力があるだなんて、ヴェルさんに知られる訳にはいきませんっ! 脱いでいってください~~っ!!」



 逃げようとするバレンさんの服の裾を尚も強く引っ張ると、布が裂ける音と共に、背中のスリットが更に深くなりました。

 もはや意地ですね。

 ここまで裂いたからには、きちんと直さなくては気が収まりません!

 破いた分きちんと修繕して、ヴェルさんに女らしい部分を見てもらわなくては!

 こうなったら最後まで破って置いていってもらいましょう!

 最後のひと押しとばかりに力をこめた瞬間、その殺気にも近い私の決意を感じ取ったバレンさんが叫びました。



「わかったっ! 降参するから! 脱いでいくから引っ張らないでくれ~~っ!!」




 「俺、初めて女に襲われる気分を味わったよ」とバレンさんが涙ながらに服を脱いで私に手渡すと、居間の扉が小さな音を立てて開かれました。

 ……なんてことでしょう!

 タイミングの悪い事に、ヴェルさんが蒼白の表情で立っていました……。

 ヴェルさんの綺麗な翡翠の瞳が見ているのは、涙目で上半身裸のバレンさん。そして、血走った目をした荒い息の私。

 ……誤解してますね?

 ……瞬きを忘れる程に凝視してますが、大いに誤解ですからっ!



「違いますヴェルさんっ! これは服が破れて、いや、服を破って脱いで貰って……」

「ええとね、おにいちゃん、ふくをぬいでたよ」

「―――ばっ! 違うから、兄さん! この子の言う事はあってるけど、意味が違うからっ!!」



 いつの間にか起きていたフィルス君の言葉で、更に真っ白な顔になったヴェルさんの誤解を解くのは苦労しました……。

 そして、日が暮れるまで瞳を潤ませた子犬の幻影を纏ったヴェルさんに、こんこんとお説教をされました。

 ……ごめんなさいヴェルさん。

 ……ごめんなさい子犬さん。

 

 



 

 



 

  


 

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