動物虐待はいけませんっ!
フィルス君が空腹を訴えた事で、『うさぎ亭』へと帰ってきた私たちです。兄たちも連れて。
怒って出て行ったはずの私がヴェルさんと一緒に帰宅し、出迎えてくれたマルスさんとアンナさんは明らかにホッとしたという表情をして私を迎え入れてくれました。
そして、彼の弟であるバレンさんとカイト兄を見て、マルスさん達は驚いて各々別の意味合いで叫びを挙げています。
「バレンーッ! てめぇ、逃げ出してきたのかぁ!」
「ああっ! 貴方様はっ! カイト=トレンチャー様!! 十五で入軍して直ぐに精鋭部隊に抜擢されたけれども若干二十歳で軍医に転身した、新薬の開発で功を上げ続ける天才! こんな所で会えるなんてぇっ!」
マルスさんは顔を真っ赤にしてバレンさんに突進するように近づくと、こめかみを拳でグリグリと圧迫しだしました。「違う~!」とバレンさんが言っていても聞く耳持たぬという感じです。一方アンナさんはというと、胸の前で手を組んだ状態で口を開けて恍惚とした表情を浮かべて兄を見ています。
……アンナさんはカイト兄をご存じだったのですね。と言いますか、意外に有名人だったカイト兄に驚きです。天才と呼ばれる程の人間だったのですね。ビックリ仰天です。
マルスさん、こめかみグリグリの刑は地味に痛いです。是非ともそこまでにしてあげてください。その素敵筋肉の腕は十分武器になります。あまりの腕力にバレンさんが痛くて泣きだしているじゃないですか。
リスのような可愛いバレンさんが泣いているのは、見るに堪えません。動物虐待しているように見えます。可哀そうすぎますっ。
そしてアンナさん。よだれが出ています……。
食べ物を前にした動物の顔になっていますよ?
兄は美味しくは無いと思いますが。マルスさんの様に素敵筋肉がついていないので、食べれる部分はほぼ無いと思います。そんなに美味しそうに見ないであげてください。あまりに熱烈に見すぎて、ひいていますが……?
二人を止めるにはどうしたらいいものか、と思い悩んだ時です。
私と手を繋いでいたフィルス君が急にぐずりだしました。
「おなかすいたー」
ああ、そうでした。
朝食を食べずに、外に連れ出してしまいましたからね。
ここに帰ってきた理由も、フィルス君が空腹を訴えたからでした。
フィルス君の声を聞いたマルスさんが、それまでグリグリ攻撃をしていた手を止めて厨房の方へと歩いて行きました。
きっと美味しい何かを作ってくれることでしょう。
「もう少しだけ我慢してくださいね? ……ああそうでした。フィルス君の席は、お父さんとお隣がいいですよね。その方がいいですよね? ヴェルさん」
私のその言葉に、その場にいるほとんどの方が息をのみました。
いきなり空気が重くなったような気が……?
何か変な事を言ったでしょうか?
私はただ単に、フィルス君の隣はバレンさんがいいですよね? と聞いたつもりだったのですが……。
「……『お父さん』、ですか。成程。親戚か何かだと思っていたのですがね。ココットはやもめの所に嫁に行ったわけですか。よく父が結婚を承諾したものだ」
重い空気を切り裂く刃の様に、カイト兄の普段よりも低い声が響きました。
その言葉を聞き、驚きの声をあげたのはカイト兄の前で頭を押さえていたバレンさんでした。
「えええっ?! その子、兄さんの子供だったわけ? 異様に似てるけど、俺も親戚の子だと思ってたよ!」
「……えっ! バレンさんのお子さんじゃないのですか? 先ほどフィルス君が『お父さんはお城にいるよ』って言ってたので、てっきりヴェルさんの弟さんの子供さんかと……」
「冗談にしてはきついこと言うね。俺、まだ二十二になったばっかだし。軍隊という屈強な男の園でどうやって子供を作れって言うんだよ」
――――――!!
なんて事でしょうか。
バレンさんに否定されてしまいましたっ。
やはり、ヴェルさんの子供説が有力なのでしょうか……っ!
もしかすると、アレかもしれません。主婦の皆さまが恐ろしいと思いながらもつい読んでしまう、お涙ちょうだいのドロドロ恋愛物語っ!
フィルス君のお母様はヴェルさんと別れてから身ごもった事に気付き、戸惑いながらもヴェルさんに知られないように一人で育てようと身を粉にして働いていたのかもしれません。そんな頑張る彼女を、お城の方が見染めて粘りに粘った末にゴールインしたのかもしれませんねっ!
それならば納得ですね。『お父さんはお城にいる』が当てはまるのですから。
ヴェルさんと、フィルス君が同じような顔をしているのも納得です。
頬に両手を当てながら、うんうんと首を振ってひとり納得していると、ヴェルさんが私の肩に手を置いて溜息をつきました。
アンナさんはそれにつられるように、額に手を当てて痛いものを見る様な悲しい目をヴェルさんに向けています。
「……さっきから空想世界に浸って呟いてるけど、違うからね。変な事を納得しないでくれるかな。ドロドロ恋愛物語にはなってないから」
「リウヴェル……。アンタ可哀そうな男なんだね。ココットちゃんに、自分の子供かもしれないって納得されるなんて。……ていうか、ちゃんとその子の事を話しなさいよ」
「兄さん……。何か同情するよ。でもさ、ちゃんと認知しないと」
「だから違うって!」
「―――ほぅ? 認知すらしていないのですか。最低な男ですね。貴方もそこのバレンと一緒に一軍にいらっしゃい。私が特別に扱いて差し上げます」
懐から馬を操る時に使用する馬鞭をとりだしたカイト兄は、それをヴェルさんの眼前に突き出しました。何故だか満面の笑みで。
……兄の、見てはいけない小箱を開けてしまった気分です。
妙な展開になりそうになり、たじろぐヴェルさんとアンナさん。アンナさんは「だから早く説明しなさいって」と怒りながら、ヴェルさんの足をヒールの付いた踵でグリグリしています。先ほどのマルスさんのグリグリ攻撃とどちらが痛いのでしょうか。どちらにしても、とても痛そうです。痛くてヴェルさんの瞳に涙が滲みだしました。
ああっ。いつかの子犬の幻影が見えてきました……っ!
動物虐待ですよ。アンナさんっ!
そして、それを面白そうに見ているバレンさん。止めようという気配が微塵も感じられませんね。
ここは、妄想してつい口を滑らせてしまった私が止めるべきでしょうか……?
そうですね、責任をとって動物保護をしたいと思います。
「あの……」
「おうっ! 待たせたな!」
意を決した私の声に被さる陽気な大音声。それは、料理を手にした素敵筋肉のみなさんを引き連れたマルスさんの声でした。その見事なムキムキ逆三角の体系から出される大きな声は、世界一の大声だと思います。大声大会なるものが開催されれば、優勝は間違いなしの大音声です!
マルスさんの太くて大きな声は広間に響き渡り、重苦しい雰囲気と荒れていた皆の声をかき消しました。
空気が一掃されました。空気を綺麗にする道具みたいですね。
……耳は痛いですが。




