亭主様は、言葉がたりません。 1
亭主様視点です。
事の始まりは、差出人の無い一通の手紙からだった。
それ以来毎日届き続ける小花柄の手紙。
「……またか」
最初の一通目に書いてあった内容は、俺に子守を頼みたいと言った内容だった。
差出人の記名が無くても、誰が俺に手紙を送ったのかわかっている。今はこの家に住んでいない人間だ。
新婚生活真っただ中を行く幸福の中で、他所の子供は邪魔者だ。もちろん即答で『否』と返事を送った。
しかし、だ。
その返事は相手を怒らせたようだ。
毎日届き続ける小花柄の手紙。内容はいつも同じ。けれども、最初は『預かって欲しい』と、頼む感じだったのだが、回数を重ねるごとに『預かれ』と、命令に変わった。
辟易していた俺は、配達員へと転職したジョニーに『受け取り拒否』を申し出た。その際に伝言で、もう送ってくるなと釘も刺した。
―――その結果、更に相手を怒らせたようだ。
相手は強硬手段を取った。
子供を単身送りこんできたのだ。新婚生活真っただ中を謳歌する俺の家に!
幼児であろうと、邪魔者だ!!
……いや、幼児であるからこそだ。
おそらくココットは、子供が好きだ。俺の存在を忘れ去るほどに、生まれたばかりの甥ですら溺愛している。
そんな子供好きのココットの前に、幼児を連れてきたらどうなるか?
―――そんなのは、わかりきった事だ。
俺の存在など、幼児を前にしたらきっと忘れる……。
だから届き続ける手紙を見ていないふりをし続けたし、俺の事を心配をする彼女に一言も言わずに隠し続けた。
……その結果がコレか。
その子供が持っていた相変わらず差出人の記名が無い手紙には、『誰の子かわかるでしょう? よろしくね』と、たったの一言だった。
誰の子かというのは、その子供の顔を見れば直ぐにわかった。一瞬で悟ったとも言える。
……俺とそっくりだったからだ。
だが、この子供の素性を知らないマルスとココットは、きっと俺の子供だと勘違いしているに違いない。
色んな意味で力が抜けた。絶望すら感じる。いや、考えれば考える程、幼児の親に嫌悪感が湧きあがってくる。
手紙を握りながら、そんな複雑な心境を整理していると、ふとココットの苦悶の表情が目に入った。しかも、後ろに居るマルスからは殺気が。
……後ろのマルスはどうでもいいが、ココットの誤解だけは解かなければ!
こんなに俺にそっくりな幼児が目の前にいるんだ。世間一般に考えると、俺が妊娠させた女性を捨てたと考えているに違いない。
俺は、必死になって口を開いた。
彼女に真実を言わなければ!
「―――誤解だから! この子は俺にそっくりだけど、違うから!」
俺のあまりの剣幕に、ココットは息を飲んだ。
大きな瞳を潤ませながら俺を暫し見続けると、爪が白くなるまで力を入れて手を握った。その顔は眉間に皺が寄って、とても何かを我慢しているという風だった。
やがて彼女は唇を噛みながら、俺を視界に入れたくないという呈で視線を外した。僅かに溜息も吐きながら。
―――その瞬間。
俺の心に、絶望という名の奈落の底への招待状が届いた。
『三行半』を叩きつけられる寸前かもしれない。
泣きそうだった。
情けない事に、気を緩めたら、きっと涙が流れるだろう。
心なしか、視界まで霞んできた様な気がする……。
ココットに嫌われたかもしれないという絶望の涙を目尻に溜めつつ、俺は力の入らない身体を動かして部屋へと戻った。
部屋へと戻るや否や、マルスが扉を蹴破る勢いで追いかけてきた。
マルスは何も言わずに俺の胸倉を掴むと、目に光がチラつく強烈な一撃を俺の頬へと見舞った。マルスの丸太の如き腕から繰り出された一発は、俺の首がもげるのではと思えるほどの衝撃だった。
あまりの衝撃に意識が飛びかけたが、そんな事を気にもしていないマルスは、トマトのように真っ赤になりながら叫んだ。
「馬鹿野郎がっ!! けじめをつけろといつも言ってただろうが! 女を孕ませた挙句に、逃げるなんざ最低野郎だっ!! ……泣いても許されることじゃねえだろうがぁ!」
マルスは俺の読み通り、勘違いをしていた。
そして、隠し子が発覚して後悔して俺が泣いているといった勘違いも。
ただ単に殴られた衝撃で、我慢していた涙が瞳から零れ落ちてしまっただけなのに。ココットから嫌われたかもと考えた絶望の涙が。
「だいたいなぁ、男がこんな事で泣くな。第一よぉ、泣くぐらいならこんな事態になる前に何とか対処できただろう? お前らしくもねぇ……」
はあ、と両手を上げて芝居がかったように溜息をつくマルス。
ココットから愛想を尽かされて、溜息をつきたいのは俺の方だ。
いや、もう何度も溜息は吐いている。息を吐き過ぎて息苦しい程だ。きっと魂の一部まで出ているに違いない。
本当は、あまりの嫌悪感にマルスにさえ隠しておこうかと思っていた。
いくらマルスが家族同然であろうとも、知らない事が良い事もあると思う。
―――けれどこのまま黙っていると、また強烈な一発が飛んできそうだ。それはご免こうむりたい。
俺は、床にしゃがみ込みながら、あまりの心労で痛んできた頭を押さえて口を開いた。
「……誤解だ。あの子供は弟だ」
マルスが息をのんだ。静かな部屋に、唾を飲み込む音が聞こえる。
たっぷりと時間を置いて、普段では聞けない素っ頓狂な低音が、俺の耳に響いた。
「……はぁ? 何言ってんだお前は」
「嘘じゃない。二人目の弟だ。さっきの手紙は母さんからで、随分前から子供を預かってくれと言われていたんだ。……さすがにその対象が弟だと知ったのはさっきだけど」
「……聞いてねぇぞ。そんな事は」
かなり動揺しているのか、マルスの声は震えている。しゃがんだ状態からチラリと見上げてみれば、マルスは腕を組みながら何かを考えている。
聞いてない? それはそうだ。言ってないから。
言ったら預からなきゃいけないじゃないか。
母さんを姐さんと仰ぎ、傾倒するマルスに話したら、順風満帆の新婚生活を送っている俺達に、預かれと水を差すに違いない。
そんなものは却下だ。どこかの国の、見ざる言わざる聞かざるの三猿だ。障らぬ神に祟りなしだ。
フィルス君の素性が解りましたね~♪
頭の中ではココットが乱れ咲きの亭主さま。彼女と二人きりで過ごすことに過剰なまでに力を入れています(笑)
その為、他人は邪魔者扱い^_^;
次回、……またマルスに一喝されるのか?!




