最終話 またね
御使達による手配が整った。海底都市の中央広場に大きな魔法陣が浮かび上がり、ほんのりと淡く光っている。これにより、翔は元いた世界へと戻ることができる。だがギリギリまで翔はなんとも迷いが捨てられないようで、彼にしては珍しくウダウダとしていた。
(なるほど……ねーちゃんがカウントダウンして焦らせるわけだ)
少しでも他のことを考えると途端に迷いが出てくる。他の誰でもない、自分の本当に望む答えを蒼が聞き出してくれたことにあらためて感謝した。
『帰りたい』と口に出していたことで、たとえ心が揺らいだとしても、その根幹にあるモノはハッキリと見えている。
「本当にいいんですか……?」
「かまいませんよ。私も望んだことですし」
浄化の加護を引き受けるライルは勇者と握手をしながらいつも通りのすまし顔。
「ああ。私の人間性を疑問視されているのであればその対策も考えております」
「ショウ。心配しなくていい。なにかおかしな動きをすれば、私がサクッと終わらせてやる」
アレクサンドラは笑顔でそう語った。
「えええ……心配だなぁ」
念には念を、ということで魔王と一生を共にすると決めているライルが浄化の力を引き継ぐことになったのだ。とはいえ、勇者の血を引き継いでいるわけではないので、加護の力としてはかなり弱い。
それでもミュスティー本人からその依頼がなければ、翔はきっとその力を置いてこの世界を去ることはなかった。わざわざ自分に銃口を向けるようなこと、本当はしてほしくない。
『この世界の人がそれで少しでも安心できるなら、それは魔王の力を弱めることにも繋がるから』
人々の感情の澱みを受け取るミュスティーは、綺麗事だけで世界が丸く収まるわけでないことを知っていた。
魔王を宿す少年の真剣な目を見て、翔は頷いたのだ。
「ショウ。短い時間だったがあなたと会えてよかった」
「うん。俺もだミュスティー」
「あなたに後悔させないように生きるよ。ちゃんと」
勇者と魔王は、最後しっかりと握手をして別れた。
そうして転移のための魔法陣へとまた少し近づく。すぐ側には分かれ難い人が。
「あおいねーちゃん……」
翔はどんな顔をして蒼と目を合わせたらいいかわからない。
「皆によろしくね!」
声のトーンとは違い、蒼はほんの少しだけ寂しそうだった。
なんせ同じ世界を共有できる人間がこれでいなくなる。それでも、蒼は翔に生きたい世界で生きてほしい。
◇◇◇
蒼は御使に交渉したのだ。自分の代わりに翔を元の世界に戻してほしいと。自分の枠を彼に譲りたいと。
「そうきましたか~~~」
リルケルラはあちゃーっとオデコに手を当てていた。蒼相手なのでかまえていたが、まさか自分のことではなく勇者の件を交渉してくるとは、と。
「だって別にもう勇者はしょう君じゃなくてもいいんですよね?」
ソフィリアが用意した魔物達は『与する者』が捕まったことによってどんどん数が減っていた。操る側の人間がいなくなったからだ。
それに勇者の末裔自体、数は少ないが他にもいる。もしミュスティーが魔王としての力を強めたとしても対処のしようはある。
「それに御使様達も認めたわけでしょう~? ミュスティーが人間として生きることを。なのに勇者がいなくちゃってんじゃ格好つかないんじゃないですか~?」
「ええ~~~そう言われたらそうなんですけど~……だって勇者を元の世界に戻すなんて考えてなかったんですもん!」
「じゃあほら。また偉い人達に聞いてくださいよ!」
ニコニコとしながら蒼は急かす。上級神官達が見たら腰を抜かすような態度だ。
「ふっふっふ! 今日はそうくると思ってあらかじめ呼んでおきました! さあどうぞ!!!」
なぜか得意気なリルケルラの掛け声と共に、小さな輝きを放ちながら二人の御使が現れた。ギールベルトと|アーレイド《夜と死者の魂を守護する御使》だ。さすがの蒼もこれにはギョッとした。準備が良すぎる。
「お久しぶりです蒼様。あ、いえつい最近お顔だけは……」
フフッとご機嫌そうな御使アーレイ。
「私は初めまして! ギールベルト……人間からはギールベと呼ばれています。以前は私の可愛い聖獣を助けてくださりありがとうございました!」
溌剌とした様子の御使ギールベはやっと話せたと嬉しそうだ。眷属である大鹿を助けた蒼にとても感謝していたのだと大声で語った。
蒼も丁寧に挨拶を返す。そして今回は自分が無茶を言っているのがわかっているので、丁寧に、しかしあくまで強気で交渉を始めた。
「無理を申し上げているのは重々承知しているのですが、それでもどうかお願いしたいのです。彼は——勇者は何も知らないままあちらの世界で暮らしてきました。それで突然必要になったからとなんの心の準備もなくこちらの世界に連れてこられた……私と状況は同じなのです」
蒼の主張にニ柱は穏やかな表情で耳を傾けている。皆まで言わずとも御使達にはわかっているのだと彼女も力みが取れた。
「実は以前、とある神官からも似たような嘆願がありました。シャナという、勇者にしばらく付き添っていた者からなのですが……魔王を浄化したあかつきには勇者が再び異世界で生きることをどうか許してほしいと」
翔はシャナとたくさんの話をしていた。特に話題として多かったのは翔が異世界でどんな風に生活していたか。はじめはなんとも楽しそうに話し出すのに、終わりにはいつも寂しさが滲み出ていたのを、シャナはちゃんと気付いていた。
「転移後しばらく一緒にいたせいか、勇者が直接帰りたいなどと口に出さずとも気持ちは感じ取とれていたのでしょう」
アーレイドとギールベルトの話を、リルケルラは『聞いてないけど!?』 という目で見ている。
「あなたのその願いの答えを伝える前に、こちらからも確認させてください」
「あなたの席を勇者に譲るということは、あなたはもう二度と生まれた世界へは帰れないということです。あなたのこれまでの全てがある場所です。本当によろしいのですか?」
今度は驚くほどに二柱の表情がなくなった。自分達の反応を蒼に見せないよう、敢えてそうしている。
「はい」
蒼は今更ごちゃごちゃと理由を並べなかった。どうせこの御使達は知っていると思ったからだ。蒼はこちらの世界にも十分に大切なものがある。
二柱はゆっくりと目を閉じた後、嬉しそうに微笑んだ。
「わかりました。あなたの願いを叶えましょう」
「……!」
蒼はすぐさま深く頭を下げる。
(よかった……よかった!)
今頃ドキドキと心臓が激しくなる。思っていたよりずっと緊張してこの交渉に挑んでいたのだ。
(最後にしょう君のためにできることがあってよかった……!)
可愛い可愛い弟分。仕事を辞め、ひどく落ち込んでいた時、彼自身の状況も決していいとは言い難い中で気にかけてくれていた。
もしも翔がいなければ、落ち込んでいるという自覚がなかった分、回復はきっと遅かっただろう。もしかしたら元の自分には戻らなかったかもしれない。そのお礼がやっとできるのだ。
「勇者本人が元の世界へ戻ることを望まない場合はそのままです。それもよろしいですね?」
「もちろんです!」
蒼は心底ホッとしていた。
「あなたは影の功労者。他の願いもできたでしょうに」
アーレイドの優し気な声があおいの耳に届く。
「ええ! そんなボーナスあったんですか!?」
その答えに御使達は笑った。
「その蒼さんを召喚したのは私ですけどね!」
(なんでドヤ顔なのさリルケルラさん……)
今度は蒼が面白くなって声を上げて笑ってしまった。
「アーレイドさんが最初に仰っていた『この世界も決して悪くはない』っていうの、私、よくわかりました」
蒼は姿勢を正して御使達を見つめる。そしてちょっとだけ照れながら、だがハッキリと宣言した。
「あらためまして、こちらの世界でお世話になる漆間蒼です。どうぞよろしくお願いします!」
◇◇◇
「しょう君が戻ったらあっちの世界は大ニュースになるかしらねぇ」
「受験勉強しなおさなきゃな~もう何にも覚えてないよ」
また二人でクスクスと笑いながら異世界のことを話しているのを、アルフレドは離れたところから見ていた。
「行かなくていいのか?」
「そんな野暮なことはしないよ」
レイジーやルチル達、そしてアレクサンドラとの別れの挨拶はもう終わっている。
『不謹慎かもしれないけど、本当に楽しかったです』
そんな冒険の日々だった。そして旅の仲間達は最後に彼らが課された使命より、自分の決断を尊重してくれた。それがなければ翔は元の世界に戻ることなどできなかっただろう。
この世界で暮らす彼らもそれぞれのこれからを決めていた。
レイジーとアレクサンドラはここ海底都市を拠点として生活を送る。ミュスティー達と共に。
『しばらくは変な輩が現れるかもしれん。上級神官達とやり合える人間もいるだろう』
『オレは面白そうだからしばらくいるよ。手伝いも兼ねて』
ルチル達はやはりフィーラへ戻る。だが時々、ニーナに乗ってここへ遊びに来るつもりでいる。
『たまには……会いたいし……』
ぽそりと呟いたルチルの声を聞いて、その場にいた全員は目を見開きどうにもニヤつきが止まらなくなっていた。が、ニーナのひと睨みで慌てて口にギュッと力を込める。
ライルはもちろんミュスティーと共に海底都市で研究をしながら暮らす。
『とはいえたまには外の街に出て、どんな影響があるかは確認しなければいけません。アレクサンドラさん達が残ってくださるのは大変に心強い』
あきらかにワクワクしていた。やっと本来彼がやりたかったことができる。
オルフェは予定通り海底都市の再建のため、実家であるニコロス家とこの街のパイプ役になる。しばらくは文字通り往復の日々になるだろう。
『私に任せていればなんの心配もない! ああ! この功績を称えて石像を作らなければ! そうしてあの美しい劇場に私の名前を入れようじゃないか!』
いつも通り根拠なく自信満々だが、なぜか全員がその通りになるような予感がしていた。
シノノメは異世界と通じた鏡を持って、また世界を一人旅して回る。
『私が持っていてよろしいので? アキオミさんやご両親と……それこそショウさんともこれがあればやりとりができますし』
『いいんです。弟を押し付けて申し訳ないんですが……いつかまた偶然会うようなことがあれば、その時は少し貸していただけますか?』
蒼の弟である秋臣とシノノメはこれまでも仲良く旅をしていた。趣味も会うのか、いつも一人で行動ばかりしていたあの弟が、嬉しそうにシノノメとビデオ通話しているのを見て驚いたのだ。弟から数少ない友人を奪うのも気が引けた。
『しょう君のこと頼んだわよ!?』
『わかってるよ~。俺もそろそろ本腰入れて勉強するわ。火星にも行ってみたいし』
秋臣は蒼が住んでいた実家でこれから暮らすことにしている。
『娘が異世界で息子が火星なんて、うちの親はびっくりするわね~』
久しぶりに姉弟で大笑いをした。別れの言葉は言わなかった。
「ねーちゃんは残ってなにするの?」
「まだこの世界の半分も旅してないから……ぐるっと世界一周してから考えることにするよ。衣食住は揃ってるしね」
アルフレドと、レーベン、そしてフィアも一緒に。
「人生、楽しまなきゃ」
そうして最後に二人で肩を組み、お互いの背中をポンポンと叩く。
「あおいねーちゃん……ありがとう。本当に」
蒼がいなければこの世界のどこかで挫けていたかもしれない。蒼がいると思えたからこそ、この世界で勇者なんて大それた役割をこなそうと思えたのだと。
そして最後に、自分が望んだ世界への切符まで手に入れてくれた。
翔はこの世界が嫌いではなかった。見たことの——記憶にないこの魔法の存在する世界を美しいと思ったし、人々はできるだけ澱みを生み出してしまわないよう、にこやかに暮らせるようにと努力している姿を見て感動もした。
だが、翔にとっての故郷はこの世界ではなかった。その感覚が最後までなくなることはなかった。
この世界なら自分は何をせずとも特別な存在でいられる。でも翔は何者でもなくとも、異世界での生活が強烈に恋しかった。諦めきれなかった。
「私こそ、この世界に連れてきてくれてありがとう」
鐘の音が聞こえる。
最後に翔は全員と向き合って、手を挙げた。
「また!」
翔の足元に現れた召喚陣は優しい光を放ちながら彼を包み込み、最後は光の粒の粒だけがキラキラと舞い上がった。
静かに涙を流す蒼の背中をアルフレドがそっとさする。
その手の温かさで、彼女は光の粒が全て消えてしまうまで微笑んでいることができた。
「またね」
その声は遠く、異世界の地にまで届いた。




