クリスマスの贈り物
水沢さんと紺ちゃんが待つ駐車場へと向かう間、私は何から説明すればいいのか迷って黙っていた。
紅はあれから何も聞かず、ただ静かに隣を歩いていく。
いつもの紅じゃない。張り詰めた空気が怖い。
トラッドなワンピースに膝丈のファーコートを羽織った女優さんスタイルの紺ちゃんと合流し、ようやく肩の力が抜けた。
「二人とも、どうしたの? 何かあった?」
よっぽど酷い顔をしていたらしく、紺ちゃんにすぐに尋ねられる。
「迎えにいったら、山吹理事に絡まれてた」
紅の説明はいたってシンプルだったが、紺ちゃんはすぐに状況を把握したようだ。
きゅっと唇を引き結び、「詳しく聞かせて?」と私を見遣る。
自宅への電話はすでに水沢さんが済ませてくれていた。
桜子さんのいきつけだという料亭へと向かう車の中、トビー王子とのやり取りを小声で打ち明ける。
コンクールの話に紺ちゃんは軽く「そう」と頷いただけだったけど、紅は目を見開いた。
「そんな大きなコンクールが来秋に行われるなんて、初めて聞いた。まだ公には出てきてない情報じゃないのか?」
「私達も亜由美先生から聞いたばかりよ」
紺ちゃんがすかさずフォローを入れてくれる。
「そうか。……それで? 優勝できなかったらお前はどうなるの?」
私達の事情を知らない紅に、青鸞へは進学できなくなる、とは言えない。
トビーも具体的には何も言っていなかった。
「分からない。ただ、優勝してみせて、って言われただけ。だから、賭けってわけじゃないと思う」
「そうかな。あの山吹理事が、何の見返りもなしにそんなこと言ってくるわけないと思うけど?」
口調の端々にとげを感じる。私の何が気に障ったのかは分からないけど、紅は明らかに苛立っていた。
「ごめん……」
「なにが?」
「せっかくのコンサートだったのに、面倒な話に巻き込んじゃって」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
紅が声を荒らげたのは、長い付き合いの中でこれが初めてだった。
ビクリと身を竦めた私を、紺ちゃんが庇うように引き寄せてくれる。
「コウ、やめて。真白ちゃんにあたらないで」
「――悪い。ただ、俺は前にも言っただろう? もっと周りを警戒してくれ。お前が思うほど、いい奴ばかりじゃない。世の中そんなに甘くないんだよ。酷い目に合わされてから気づくんじゃ、遅いんだ」
血を吐くような言い方に、胸が苦しくなる。
大切な妹を失いかけた辛い記憶が、今でも紅を苛んでいるのだ。
切々と訴える紅に、私は衝動的に手を伸ばしていた。紅はすぐに私の手を取り、縋るように握ってくる。
「頼む、もっと慎重になってくれ」
自分のせいで最愛の妹を危険に晒してしまったという後悔は、どれくらい深く幼年期の彼を抉ったんだろう。しょせん傍観者の私には推し量ることも出来ない。
一番心の柔らかな時期につけられた傷は、そう簡単に癒えるものじゃない。
どれだけ周りが紅のせいじゃないと慰めたとしても、彼は「俺さえいなければ」と自分を責めた。きっと今も、自分を許せないでいる。
紅も蒼も、そんな不器用さはよく似ていた。
「ごめん、心配させて。ついカッとなって喧嘩を買ってしまったけど、紅の言う通りだよね。次からは気を付けるよ、約束する」
励ますように手を握り返すと、紅は切なげな笑みをこぼした。
「……ああ。頼むから、お前はずっと能天気に笑っててくれ」
能天気!? いつも一言余計な気がするのは、私の僻みでしょうか。
車中では弱さをさらけ出した紅だったが、料亭へ入る頃にはすっかりいつもの余裕ある態度に戻っていた。
あらかじめコースを頼んでいたらしく、そう待たずに次々と料理が運ばれてくる。
トビーとのやり取りでごっそりエネルギーを持っていかれていた私の胃は、いまにも獰猛な音を立てて空腹アピールをしそうだったから助かった。
コンクールの話はひとまず忘れたい。私は今日のコンサートの良かった部分についてだけ話題にすることにした。紅も紺ちゃんも私の意図を汲んでくれたみたいで、にこやかに話に乗ってくれる。
「紅は、どうしてプロコフィエフを選んだの? ちょっと意外だった。クリスマスだし、もっとスタンダードな甘い曲を持ってくると思ってたよ」
私が言うと、紅はぴくりと眉を動かした。
「特に理由は――」
「ピアノ伴奏を誰にするかで、ピアノ科の女の子たちが大戦争を起こしそうになったの」
紅の答えを遮るように、紺ちゃんが暴露してしまう。
紅は眉根を寄せて妹を睨むことで抗議の意を示した。
「あ、やっぱり。その可能性もあると思ってた」
納得する私を見て、紅は何ともいえない顔をした。
平静を装ってはいるけど、瞳がぐっさり傷ついている。
酷い悪口を言った気分になり、思わず自分の発言を振り返ってしまった。……大したこと言ってないよね?
「その話は終わり。そうだ、すっかり忘れそうだった」
紅は気分を切り替えるように明るい声をだし、テーブルの脇に置いてあった紙袋を私の方へと押し出した。
「ん? なに、これ」
つるりとした紙袋に、ロゴはない。
そっと中を覗いてみると、高さ三十センチくらいの長方形の箱が入っている。
「ちょっと早いけど、俺と蒼からクリスマスプレゼント」
「ええっ!?」
どうしてプレゼント……っていうか、蒼と連名って何事!?
ツッコミどころが多すぎて、すぐには言葉が出てこない。
「わ、私、手ぶらできちゃったよ」
ようやく出てきた情けない一言に、紅はプッと噴き出した。
「交換目当てじゃないよ。単に俺達が、真白にプレゼントしたかっただけ」
ここにいるのは、本当に紅?
反射的に問いそうになり、慌てて口を閉じる。
厚意に対してそんな返事を返すのは、あまりに失礼だ。
紅も成長している。そういうことなんだろう。
「ありがとう。ここで開けてもいい?」
高額すぎる品物が出てきたら、流石に受け取れない。
私の質問に、紅はどうぞ、と手の平を向けた。
おっかなびっくり箱を取り出し、慎重な手つきでリボンを解いていく。
中から出てきたのは、小ぶりの卓上ツリーだった。
ホワイトと淡いピンクでまとめられたツリーに、紫色のギフトボックスがセンスよく飾られている。
ツリーにまんべんなく巻きつけられた電飾の先には、繊細なビーズボールがセットされていた。電飾は透明な電池ケースに繋がっている。試しにスイッチを入れてみると、ビーズの色を反映した鮮やかな明かりが一斉に灯った。
幻想的で華やかなクリスマスツリーに、私と紺ちゃんは歓声をあげた。
「素敵ね~。やるじゃない、紅」
紺ちゃんが紅の肩を軽く小突く。
「俺だけのチョイスじゃないけどな」
珍しく謙遜した紅に、私は心からのお礼を述べた。
「すっごく可愛いよ! これ、電池式だからどこにでも置けるんだね!」
「ああ。それなら、真白の部屋の好きな場所におけると思ってさ」
紅は頬を上気させ、得意げに言った。
不覚にも可愛いと思ってしまう。いいこ、いいこ、と頭を撫でたくなった。……実行したら即、叩き落されるだろうけど。
「うん、置けるよ。どこに飾ろっかな~。大事にするね、ほんとありがとう!」
思ってもみなかったサプライズプレゼントに心が弾む。
目玉が飛び出そうなほど高級なブランド品を貰っても、ここまで嬉しくはなかっただろう。
私の性格をきちんと理解した上での素敵な贈り物だ。
「ツリーは蒼がドイツで見つけて送ってきたやつで、ビーズの電飾は俺が探した」
「ええっ? ちょ、それ紅が貰ったやつなんじゃない? いいの? 横流しして」
蒼が友情の証として送ってきたものを、アレンジして私に渡すのは、流石にどうかと思う。
苦言を呈した私をまじまじと眺め、紅は深い溜息をついた。
「はぁ……何から何まで言わないとダメなわけ? 情緒って言葉、知ってる?」
「知ってるよ、失礼な!」
いつもの紅様節に、軽口で返す。
「いいや。絶対分かってない」
「分かってるって。蒼の了解は取ってるってことなら、別にいいけどさ」
「はっきり言われなくても分かることはある。白とピンクの卓上ツリーを、あいつが俺に送ると思うか? 紫のギフトボックス付きで? ないだろ」
「……ないか」
確かに俄かには想像しがたい。
でも、それじゃどうして紅のところに送ったの?
私に直接送ってくれたら、私も何かお返しの品物を送ったのに。
「それが嫌だったんだろ」
「私にお返しを貰うのが嫌ってこと?」
「お前に気を遣わせるのが、だよ。あいつはお前に何の負担もかけたくないと思って……はぁ」
紅は説明の途中で突然話を止めた。
「なんでこんなこと、俺が言わなきゃいけないんだ」
そういって、苛立たしげに髪をかきあげる。
どうやら私の察しが悪いせいで怒らせてしまったようだ。
「ごめん。もう言わない。とにかく二人の厚意ってことだよね。ありがたく頂きます」
そう言って頭を下げる。
黙って私達のやり取りを聞いていた紺ちゃんは、帰り際、そっと紅の背中を擦っていた。




