閑話・とある女の告解（？？視点）

　私には、一つ下の妹がいた。

　名前は、里香。

　たった一つしか違わない妹と私は、まるで双子のように育った。

　「花ちゃん」とたどたどしく私を呼んだ可愛い妹は、あっという間に大きくなり、そして５年前に物言わぬ人となった。

　私が殺した。

　一足先に小学校へ上がった私の帰りを、家の前の細い道で待っていてくれたあの子を。

　初めての失恋に傷ついた中学生の私を、黙って泣かせてくれた優しいあの子を。

　私が、殺した。

　置かれた状況がドミノ倒しのように悪化を辿るきっかけは、大抵とてもくだらない一押しだったりする。

　私の場合も、まさにそうだった。

　高校に入ってから出来た二つ年上の彼氏の存在を、私は何故か里香に打ち明けることが出来なかった。

　妹が寂しがるかもしれないと思ったのか、単に照れ臭かったのか。

　今となっては思い出すことすら難しい些細な理由で、私は恋人を妹から隠した。

　馬鹿みたいに楽観的だった私は、自分の知らないところで二人が出会う可能性なんて、考えてみたこともなかった。

　どんなことだって起こり得るのが人生だ、と知った時には遅かった。

　里香は、私の恋人を好きになった。

　一見地味で人目を引くタイプではない友衣の、隠された誠実さや真摯さを、賢いあの子は見抜いてしまった。

「友君って、花ちゃんのお友達なの？」

　そう聞かれた時、私は告げるべきだったのだ。ううん、私の彼氏だよ、と。

　混乱した私は、逃げることを選んだ。

「そうだよ」

　仲のいい先輩だ、と私は説明した。

　その上で、彼には他に好きな人がいるみたいだよ、と牽制すらした。

　里香は物憂げな顔でふうん、と呟き「好きな人かぁ。どんな人なのかな」と溜息をついた。

　胸がきりり、と痛む。

　私は生まれて初めて、妹に嘘をついた。

「さあ。私もよく知らないんだよね」

　嘘を現実にしてしまおうと、曖昧に笑ってやり過ごす。

　里香はまだ、１６歳だ。

　好きっていっても流行風邪みたいなもので、きっとそのうち違う人を好きになる。

　私はそう思い込むことに決めた。

　彼女の気持ちを軽んじ、うっすらとした優越感すら抱いて。

　あの時、私はたった一人の妹を、最も卑怯なやり方で裏切ったのだ。

　それから１年後。

　里香は友衣に自分の想いを告げた。

　妹が温め続けていた一途な恋情は、正直な友衣によってあっという間に散った。

『俺は花香と付き合ってる。里香ちゃんも知ってると思ってた』

　友衣は驚きながらも、包み隠さず答えたそうだ。

　まっすぐな気性の里香は、すぐに私の所へやって来た。

『どうして、教えてくれなかったの！？』

『ち、違うよ。友衣とはそんなんじゃないから』

　私は、その後に及んでまだ逃げ切ろうとした。

　妹だけでなく、友衣をも裏切った瞬間だった。

　可愛い里香を傷つけたくない。

　ううん、そうじゃない。

　自分が傷つきたくなかった。

　綺麗な場所に立ち続けたかったし、良い人で居続けたかった。

　どこまでも卑怯な姉を、里香はしばらく黙って見つめていた。

　しばらく経って、妹はこう言った。

『ごめんね。私が、花ちゃんを追いつめたんだね』

　里香は、悲しみを抑え込んだ表情で、へへ、と笑った。

　膝が震える。

　あまりの自分の醜悪さに、恥ずかしくて堪らなくなった。

「ごめん、ごめんなさい」

　泣きながら無意味な謝罪を繰り返す私を、里香は笑って許した。

　初めての失恋だったというのに、私は妹から泣く機会すら奪った。

　それからしばらくして、里香はあるゲームに夢中になった。

　架空の男の子と恋に落ちる、という恋愛シミュレーションゲーム。

　私はどうしていいか分からなくなった。

「ゲームより現実に目を向けようよ」

　思い余って、一度そんな風に斬り込んでみたこともある。

　どの口でそれを言うの！？　って責めてくれたらいいのに。

　誰のせいだと思ってるの！？　って私を詰ってくれたらいいのに。

「え～、無理だよ。だってすごくカッコいいんだもん」

　理香は私を優しい眼差しで包み、ふにゃりと笑った。

　友衣との連絡は、とうに断っていた。

　『会って一度きちんと話そう』

　彼はそう言って何度も電話をくれたのに、私は「ごめん。もう無理」と突っぱねた。

　

　好きだった。

　どうしようもなく彼が好きだったのに、私の幼稚な選択が全てを台無しにしてしまった。

　そしてやってきた、最後の日。

　その日は、酷く寒かった。

　試験を受けに行った里香が心配になって、私は途中まで迎えに出た。

　

　大きな道路を挟んで向かい側。

　里香は、ゆっくりと歩いていた。

　ここから声をかけようか少し迷って、結局私は横断歩道を渡ることにした。

　後ろから飛びついて驚かせてやろう、と思ったのだ。

「わあ！　花ちゃんか！」

　

　里香はきっと目を丸くして、それからふにゃりと笑ってくれる。

　その笑顔が見たかった。

　なかなか変わらない横断信号ボタンを、私はせっかちに何度も押した。

　ようやく青になった歩道を、走って渡る。

　もうちょっと。あと少し。

　唇を開き、声を掛けようと思ったその瞬間。

　里香の背中は、まるで魔法にかかったみたいに突然消えた。

　何が起こったのか分からず、ただ立ち竦む。

　里香のすぐ近くにいた女性が、盛大な金切声をあげた。

「きゃあああああ！！」

　その声に、沢山の通行人が集まってくる。

「え、なに！？」

「女の子が落ちたっ！」

「うそ、誰かっ！　救急車！！」

　……――なに、言ってるの。

　

　里香。

　ねえ、里香は、どこ？

　雲を踏むような気持ちで、一歩、二歩、と進んでいく。

　そこでようやく私の目には、ぽっかりと開いたマンホールの穴が映し出された。

　そこからは、あまり記憶がない。

　日がな一日中泣き叫んでいた気もするし、一言も喋らなかったような気もする。

　横断歩道なんて渡らなければ良かった、と繰り返し自分を呪った。

　向かい側の道路から、声を掛けて里香の足を止めていれば。

　そうすれば、今も妹は私の傍にいた。

　彼女が足元の穴に気づかなかったのは、ゲームショップのポスターを眺めていたからだという。

　里香のすぐ後ろを歩いていた女性の証言で、それが分かった。

　私は知ってすぐ、確かめに行った。

　ショーウィンドウのポスターを確認した瞬間、視界が涙で曇る。

　ぼたぼたと溢れだした雫越しに見えた文字は、里香がはまっていた恋愛ゲームのタイトル。

　友衣のことがなければ、あそこまで夢中にならなかったんじゃないかと、私が疑っていたゲームだ。

　里香は全身をチューブで繋がれ、「意識が戻る可能性は極めて低い」と宣告された。

　脳が大きく損傷しているのだという。

　それでも両親は「可能性がゼロではないなら」と、延命を乞うた。

　私には分かった。

　これは罰なのだと――。

　私が罪を償わない限り、里香は戻ってこない。

　そうだよ。私が彼女を、殺したんだから。

　どんな手段を使っても、妹を取り戻そうと心に決める。

　固く拳を握りしめたその時にはもう、私はきっと狂っていた。