スチル8.エラー(紺)
本日二話同時更新です。
新着から飛ばれた方はお気を付け下さい。
紺ちゃんと話した結果、買い物には土曜日のソルフェージュが終わってから出かけることになった。
駅前のショッピングモールに、新しいコスメショップが出店したらしい。
鍵盤に当たらないよう爪を短く切ってる先生だけど、時々ネイルアートとかしてるんだよね。
マニキュアとかケアグッズとかどうかな。
10時から始まるソルフェージュには、私と紺ちゃん以外に、中学生が一人、高校生が二人参加している。
どんなことをするかというと、まずは聴音。
亜由美先生が16小節のフレーズを右手で弾く。
私達は聞き取った音を五線紙に写し、合ってるかどうか先生にチェックしてもらう。
絶対音感を持っている子は、最初から正しい音で聞き取れるらしいんだけど、残念ながら私には備わっていない。
なので、まずラの音でリズムを全部書き出し、その後で調を特定してメロディ部分を書く。
それから和音部分を付け足す、というやり方を取っていた。
最初は全くコツが掴めなくて、みんなの鉛筆を走らせる音に泣きそうになった。
左手が加わる多声聴音はまだ難しいけど、少しずつ上達してると思う。
聴音が終わったら、次は視唱という初見の訓練。
先生があらかじめ準備してくれた楽譜を黙視で読み取り、楽譜通りに歌うというものだ。
他の人の歌を聞いてしまうと意味がないので、一人ずつ別室に呼ばれて歌う決まりだった。
椅子に足を組んで座り、じっとこちらを見つめる亜由美先生の威圧感は、半端ない。
初めての時なんて、声が震えて頓珍漢なメロディになった。
集中力を試されるクラスなので、毎回ソルフェージュが終わる頃にはぐったりしてしまう。
高校生二人は、昼からの楽典のクラスも受けていると聞いた。
和声学や対位法といった音楽理論を徹底的に叩き込まれ、音大や海外留学を狙うのだそうだ。
実際にCDを聞き、その曲がどういう構造で作曲されているか、どんな表現が使われているかを、自分の言葉で説明する訓練もある。
芸事って、本当に厳しい。
プロを目指すのなら、生半可な覚悟では続かない。
玄田家の車で出かける予定の私たちは、しばらくサロンで待たせて貰うことにした。
昼からのクラスに備えて、高校生二人はテーブルでお弁当を広げている。
彼女達の持参するお弁当は、私の知っているお弁当じゃない。
ミニサイズのお重タイプで、高級ホテルの仕出しのような中身だ。……あれ、伊勢海老だよね?
桜沢 可南子さんと杉谷 葵さんという名前まで優雅な二人は、青鸞学院高等部に通っている。
2人とも雰囲気がすごく似ている。
柔和な物腰で、大和撫子という言葉がぴったりの和風美人。髪の長い方が、加南子さん。ボブカットの方が葵さん。
私が彼女らを髪形で見分けてることは、誰にも内緒だ。
「ましろちゃんは、始めたの遅いのに、すごい上達早いよね!」
「うん、私も思った。まだ二人とも四年生でしょ? 焦ってきちゃうな」
憧れの2人に声を掛けられ、私はすっかり緊張してしまった。
「いえ、全然です! お二人こそ凄くて……。憧れます! 大学は青鸞にそのまま進まれるんですか?」
可南子さんは箸を置き、小首を傾げた。
食べながらで構わないのに、彼女は口に物を入れたまま話したりしない。育ちがいいってこういうことを言うのかな、としみじみ思う。
「ん~。9月のコンクールでいいところ行けたら、コンヴァトの10月のプレ登録を受けたいな、とは思ってる」
コンヴァトというのは、パリ国立高等音楽院のこと。
流石は加南子さん! 国内の主なコンクールでは必ず入賞している実力者だけある。
しかもさらっと海外留学を口に出来るんだから、良家の御嬢さんなんだろうなぁ。
「葵さんもコンヴァトへ?」
紺ちゃんが尋ねると、葵さんはおっとりと微笑んだ。
「いいえ、私は内部進学する予定。もうコンクールはいいわ。亜由美先生をガッカリさせるのは忍びないけれど、プロは諦めてるの。もっと気軽に通えるピアノ教室の先生になりたいから、その勉強をするつもり。成人した後でピアノを弾きたくなる人だっていると思うのよね」
葵先生のピアノ教室か。楽しそうだな!
音大を目指すにしても、目的地はそれぞれ違うんだな、としみじみ思った。
「紺ちゃんは、中学から青鸞に変わるんですって? 今は確か――」
加南子さんに話を振られ、紺ちゃんは頷いた。
「泉澄女学院にいます。でも、もっと音楽のカリキュラムが充実してる学校に移りたくて」
泉澄女学院といえば、超お嬢様学校として有名な私立一貫校だ。
全寮制で、寮の歴史的価値と造形の見事さはハイソサエティの憧れの的。
【泉澄スタイル】と呼ばれる建築様式まである。
「え? じゃあ、紺ちゃんって今、寮住まいしてるの!?」
素っ頓狂な声を上げた私を見て、先輩二人が一斉に噴き出した。
「学校名じゃなくて、寮住まいに驚くところが、ましろちゃんよね」
「ふふ、ホント可愛い」
紺ちゃんまで微笑ましげにニコニコしている。
「うん。でも週末はいつも家に戻ってるよ。外泊届さえ出せば、割と自由なんだ」
「そうなんだ。寮生活か~。どんな感じなんだろう、憧れちゃうな」
泉澄だもんね、寮のご飯もさぞかし豪華なんだろうなぁ。
フランス料理的な食事をうっとりと想像しているうちに、玄田家の運転手さんが迎えに来た。
……と思ったら、水沢さんだった。
「あ、あれ?」
確か水沢さんは、紅様専属の運転手さんだったはず。
「どうしたの、水沢。私は能條に迎えを頼んだはずよ?」
紺ちゃんも怪訝そうに眉をひそめている。
「紅様が自分も一緒に行く、と主張されまして。ご学友の城山さまも同乗されております」
水沢さんは淡々と答えたが、眼差しは同情を含んでいた。
「もう! また父に電話して、私の予定を聞きだしたのね!」
紺ちゃんはぷりぷり怒っている。
紅様だけじゃなくて、蒼くんまで来ているなんて――。
でもこれは、ボクメロのイベントではないはずだ。攻略ノートにこんなイベントはなかった。
一体、どうなっているんだろう。
「申し訳ありません。先約があるのに、割り込むような真似をして大丈夫ですか、と一応は聞いたのですが……」
「どうせ兄がゴリ押ししたんでしょ。水沢のせいじゃないわ」
紺ちゃんは諦めたように溜息をつき、私を振り返った。
「ごめんね、どうしようもない兄で。どうする、ましろちゃん。車はやめて、電車使おうか?」
紅様を置き去りにする提案はかなり魅力的だったが、最愛の妹と一緒に過ごしたい紅様の気持ちも分かる。
紅茶専門店で見てしまった紅様の落胆の表情が脳裡に浮かび、返答に詰まった。
蒼くんもがっかりするだろうな。ここ最近、全然遊べてないし。
「私はいいよ、みんなも一緒で。長い買い物に付き合わせて、ウンザリさせよう」
冗談めかして言うと、紺ちゃんはホッと胸を撫で下ろした。
……仮に電車で移動したとしても、追跡してくるに決まってるし。
心の中でこっそりつけ足す。紅様のシスコンっぷりを舐めちゃいけない。
「それにしても、また全員揃ってしまうなんてね。……これもバタフライ効果なのかな」
紺ちゃんは小さく呟いた。
バタフライ効果というのは、カオス理論で『初期条件のわずかな差が、結果に大きな違いをもたらす』という意味をもつ言葉だ。
紺ちゃんも、攻略ノートの通りに進んでいないことを憂いているみたい。
「これってイベントじゃないよね?」
玄関で靴を履きながら、小声で聞いてみる。
「分からないの。私がやったリメイク版でも、こんなイベントなかったから。……考えすぎかもしれないけど、私とましろちゃんが2人きりになるのを、まるで誰かが邪魔してるみたい。そうは思わない?」
その発想はなかったけど、言われてみれば確かに。
一番初めのレッスン日には紅様がいた。紺ちゃんと話す機会を潰すみたいに。
今日だって、沢山聞きたいことがあったのに、あの二人がいるのなら深い話は出来ない。
「ましろちゃんの前世での話も聞きたかったのにな」
紺ちゃんは上品なデザインの革靴の紐を結びながら、ぽつりとこぼした。
艶やかな茶色の髪が紺ちゃんの横顔に流れ、表情を隠してしまう。
彼女の口調がどことなく寂しそうだったので、私は明るく言ってみた。
「あー、それ私も! 紺ちゃんの前世のこと、色々聞いてみたかったな。私なんて、ボクメロに夢中だったことしか思い出せてないんだよ。その他のことはさっぱり。高校生だった気がする、くらい。家族とか友達のことも、そのうち思い出せるといいなぁ」
「……そっか」
靴を履き終えた紺ちゃんは、ぴょこんと立ち上がり、まっすぐ私の顔を見た。
今にも泣きだしそうな表情に驚く。
顎にできた窪みに目が奪われ、頭の芯が軽く痺れた。
あれ? この表情、誰かに――。
「実は私もなんだ。何歳だったかは覚えてるけど、それくらい」
紺ちゃんの声は、湿っていた。
思い出せないことが辛いのかもしれない。
「まあ、でも辛い人生だったかもしれないし! 思い出さない方が幸せかもしれないよ」
励ましたくて、口にした言葉だった。
紺ちゃんはきつく目を閉じ、「……そうだね」と呟いた。
亜由美先生の家は広い駐車場を完備している。
いつもならそこに、ちんまりと母さんの軽自動車が佇んでいるわけなんだけど、今日そこで私たちを待っていたのはロールスロイスファントムだった。
後部座席の窓が静かに下げられ、紅さまがラウンジシートから顔を覗かせる。
蒼くんはわざわざ車から降りてきた。
「2人とも、お疲れ様。そんなところに突っ立ってないで、早くおいで。お腹空いただろう?」
「真白が来るって聞いて、俺も来たんだ。俺の隣には真白が座って!」
開いた口が塞がらない。
こんな馬鹿でかい超高級なリムジンで、一体どこに行くつもりなの? 園遊会?
ショッピングモールの狭い駐車場に停まるわけないじゃん。
この車を売り払えば、うちの家のローンなんて全部返せそう……。
「紺ちゃん、私、帰っていいかな?」
「本当にごめんなさいとしか」
紺ちゃんは頭をかかえた。
◇◇◇
前作主人公の成果
該当イベントが見当たりません
新友情イベント名:私を思い出して
クリア




