スチル7.ショッピングモール(紅)
終業式が終わり、いよいよ春休みに突入。
もう私も四年生だ。
転生したといっても、日々の生活は至って普通で、時々不思議な気持ちになる。
それでもせっかく与えられたチャンスには違いない。
前世の記憶を持っていることで何かアドバンテージがあるとするなら、強い決意くらいだけど、驕らず焦らず、1日1日を丁寧に生きたい。
勉強を始める前にふと思いつき、久しぶりに紺ちゃんノートを手に取った。
紅様ルートで起こるイベントだけが詳しく書かれたノート。
蒼くんについての記述はどこにもない。
紅様に言われた台詞は、あれからずっと喉にささった小骨みたいに引っかかっていた。
『蒼にあれだけアピールされて気づかなかったのか?』
疑ったことはもちろんある。真剣に考えようとしなかったのは、怖いからだ。
精神的な歳の差は、今ではあまり気にならない。
器に精神が引っ張られるのか、記憶自体が薄れていくのか、最近では18歳の自分がどんな風だったか上手く思い出せないから。
私が怖いのは、別のこと。
ボクメロに酷似したこの世界で、私が果たす役割は何なのか。
どうして転生なんてしてきたのか。
根本的なことが何も分かっていない状態で、ルート外の攻略キャラと恋に落ちるなんて、怖くて出来ない。
安全なのは、やっぱりノーマルエンドな気がする。
『三角関係モードは、やったことがないから省くね』
ノートの序盤に記されていた注意事項を改めて見直す。
三角関係モードは、前作にはなかった要素だ。リメイク版で追加されたらしい。
もしかして、この三角関係モードとやらが発生して、蒼くんとの絡みが増えてるんだとしたら?
そこまで考え、長い溜息を吐いた。
紺ちゃんも知らないことを、私が分かるわけない。
仮に新モードに突入していたとしても、紅様とも蒼くんとも距離を取っていれば、フラグは勝手に潰れていくはず。
私は考えることに疲れ、楽天的な結論を出した。
そんな私が、ボクメロ世界の強制力を思い知らされたのは、数日後のことだった。
春休みに入ってからというもの、毎日家に引き籠り、勉強とピアノに明け暮れている私を誰より心配したのは花香お姉ちゃんだ。
「たまには息抜きしよ! ね?」
「うん。……でも私、大丈夫だよ?」
「根を詰め過ぎだよ。上手くいえないけど、何だか生き急いでるみたいで……お姉ちゃんが不安なんだよ」
姉は眉を下げ、顎に窪みを作った。
涙を我慢してる時の顔だ。
「そういえば私、ちょうどヘアアクセ欲しかったんだ。一緒に見に行ってくれる?」
「うん、いこ!」
私が了承すると、お姉ちゃんは途端に明るい笑顔になった。
その日出かけていったのは、駅前のショッピングモール。
コスメショップにアクセサリーショップ。洋服屋さんに靴屋さん。お姉ちゃんは疲れを知らないショッピングモンスターだった。
全く休憩なしに次々とお店を見て回ろうとする。
早々に買い物に飽きた私は、モール内の書店で姉を待つことにした。
「3時になったら迎えにくるからね。絶対にここを動かないでよ? 真白はしっかりしてるから、知らない人に着いていくことはないと思うけど……。ああ、やっぱり無理。もう帰ろっか」
「いいよ。まだ見たいのあるって言ってたじゃん。絶対ここから動かないから、気にせず行って来て。私もう四年生だよ?」
何度も私を振りかえりながら去っていくお姉ちゃんに手を振り、ぶらぶらと平台を見て回ることにした。
今日は軍資金もないし、参考書コーナーはパス。
文庫の新刊チェックして、話題のハードカバーを一通り見て回ろうかな。
書店が大好きな私は浮かれた気分で、大きなフロアをうろついた。
一冊の本が目に留まる。
興味本位で冒頭部分を立ち読みしようと手に取った時、場違いな黄色い嬌声が背後であがった。
「私たちも一緒に回らせて!」
「ねえ、お願い。いいでしょう?」
「邪魔しませんからぁ」
一切しゃべるなとは言わないけど、書店や図書館では声のボリュームを極力しぼって欲しい。
苛立ちながら、振り返ってみる。
視線の先には、数名の女子と、彼女らに取り巻かれてる紅様がいた。
コットンジャケットに細身のパンツを合わせ、足元はエンジニアブーツ。
随分カジュアルな格好だけど、おそらく靴下に至るまで全部ハイブランドものだろう。
……ってファッションチェックしてる場合か。
早くどこかに隠れなきゃ!
ところが、時すでに遅し。
「ごめんね。友達と待ち合わせてるから、遠慮してくれる?」
私としっかり目の合った紅様は、にこやかにそう言ったのだ。
友達……? どこ?
私の隣で立ち読みしてる、ゴルフスタイルのおじさんじゃないよね?
「ごめんね、待たせて。何、読んでたの?」
紅様は爽やかに髪をかき上げ、私の持っていたハードカバーのビジネス書を覗き込んできた。
【元銀座のママが教える他人を操る25の方法論】
タイトルを見るなり、紅様は素早く俯き、拳を口元に当てる。
「……くっ」
彼はそのまま必死に笑いを噛み殺している。
人が何を読んでいようが、いいでしょ、別に!
私はムッとしながら、丁寧に本を戻した。
そして、その場を離れようと踵を返す。
少し離れたところに立ち止まったままの取り巻き連中から、殺気のこもった視線を感じる。
よりにもよって紅様絡みで、他人の恨みを買うのは嫌だな。
「……無視かよ」
「誰かとお間違えでは?」
隣に並んでくる紅様を見ないまま、低い声で凄む。
「いいから、早くあっちに行ってよ」
「お前こそ、いいから黙って話を合わせろよ。どうせ、暇なんだろ?」
でたよ、上から目線。
助けて欲しいなら欲しいって素直に言えばいいのに、ほんと俺様だな。
ゲームではともかく、現実では許さん。
「他人の時間を奪うつもりなら、それなりの態度を取るべきでは?」
怒りを込めて睨みつける。
紅様は小さく息を呑み、口を噤んだ。
黙ったまま書店の出口まで着いてくる。
さて。この人をどうやって巻こうかな。
考え始めたところで、紅様はようやく謝った。
「……確かに失礼だった。すまない、助けてくれ」
謝った! 紅様が謝った!
思わず驚き、紅様を振り仰ぐ。
余裕のない表情に、わずかな怯えが見える。
心底、さっきのお嬢様達が苦手らしい。
紅様のトラウマを思い出し、少しだけ。ほんの少しだけ同情してしまった。
「分かった。とりあえず、どっかに移動しよ」
「……ありがとう」
紅様はホッとしたように全身の強張りを解く。
ちゃんとお礼も言えるんだ。
私は心の中で憎まれ口を叩き、ぷかり浮かんだ柔らかな気持ちを蹴散らした。
「で、どこ行くの?」
「――そうだな。時間があるなら、ここから出ないか? さっきの子達につけられたら面倒だし。地下の駐車場に車を待たせてるから、お前の好きなところに連れて行ってやる」
何しにここに来たんだろう、この人。
手ぶらだし、人と待ち合わせをしてる風でもない。
「……なに。俺の顔になんかついてる?」
「用事があって来たんじゃないの? 私、姉と待ち合わせしてるし、15時にはここに戻らないと」
「そうか。なら、そこでお茶でもしようか」
書店を出てすぐのところにある紅茶専門店に目を留め、紅様が提案する。
ポットサービスが売りの上品なお店だけど、お値段が高めなんだよね。
「そんなにお金持ってない」
「は? 俺が誘ったのに、お前に払わせるわけないだろ」
紅様は呆れた口調で言い放ち、スタスタと店の中へ入っていく。
「ちょっと、待って!」
私は小走りで彼に追いつき、抗議した。
「奢ってもらう理由ないよ」
「理由ならある。俺が誘ったんだ」
そうかもしれないけど、でも――。
迷って動けない私を見遣り、紅様ははあ、と一つ溜息を吐き、手を差し出した。
「いいから、おいで。立ち話はみっともない」
あまりに自然に手を繋がれたものだから、私はあっけに取られてしまった。
紅様の手に引かれ、入口に現われた店員さんに案内される。
彼の手は大きく、さらりと乾いていた。
ゆったりとした一人掛けソファーへとおさまった後で、ようやく状況が飲み込める。
紅様は私を奥に座らせた後、向かいのソファーへと腰を下ろした。
なに、この自然なエスコート!
地上6階の窓からは、澄んだ青空が見渡せる。
非日常的なシチュエーションに、気持ちが舞い上がるのが分かった。
……これは吊り橋効果だ。
そう自分に言い聞かせる。
緊張による動悸を、恋と勘違いさせる心理の不思議が働いて、紅様にときめいたような気がしただけだ。
「好みはある?」
あんまり気が動転していたので、とっさに「俺様以外かな」と返しそうになった。
「ダージリンのファーストフラッシュにしようかな。ストレートでお願いします」
今の時期なら間違いない筈。
メニューをちらりと開くと、案の定かなりの値段が目に飛び込んでくる。うう、胃が痛い。
紅様は瞳をまたたかせ、小首を傾げた。
長い睫毛が目元に色っぽい影を落とす。
「へえ……紅茶の好みは悪くないんだな。俺も同じものにしよう」
注文を通した後、紅様は何かを考え込むようにソファーに深く座ったまま、一言も口を開かなかった。
一体どうしたんだろう。
気にならないといえば嘘になるけど、踏み込んで拒絶されたら傷つくのは私だ。
手持無沙汰になり、目の前にあったナプキンを手に取る。
気紛れで薔薇を折ってみた。
ふにゃりとした紙でもなかなか上手く出来上がり、少し気分が上向いた。
「――蒼が言ってた。ましろは、折り紙の天才なんだって」
「それは褒め過ぎ。折り紙は好きだけどね」
「いや、すごいよ。良く出来ている」
紅様はしげしげと紙の薔薇を見つめ、感心したような口調で言う。
本音なのか、からかってるのか、本当に分からない。
困っているところに、紅茶が運ばれてきた。
澄んだ金色がすごく綺麗。
目で楽しんでから、カップを持ち上げる。
飲み口はすっきりとしていて、後味も爽やかだ。思わず頬が緩んでしまった。
花のような香りが、鼻腔をくすぐる。
自然と笑顔になった私をじっと見つめ、紅様は口を開いた。
「……本当は今日、紺と待ち合わせしてたんだ」
私の最初の質問に対する答えだと気がつく。
続きを待ったが、彼はそれだけ言って紅茶を飲み始める。
「急に来られなくなったの? 何かあったの?」
気になって尋ねると、紅様は苦しげに眉を顰めた。
「ああ。体調を崩したらしい。時々、あるんだ。発作のような咳と熱が出る」
「ええっ! だ、大丈夫なの? お医者さんとかには――」
彼女が病弱だなんて初耳だ。驚いて前のめりになる。
紅様はゆるく頭を振った。
「もちろんかかってる。色々検査もしたけど、特に異常はないらしい」
「そう、なんだ。……でも原因不明って気になるね」
紺ちゃんの優しい笑顔が脳裡をよぎる。
発作じみた咳と熱、か。
もしかして、前作ヒロインに付加されてる特性の一つなんだろうか。
お腹を刺されたことといい、ボクメロリメイク版は前作ヒロインに厳し過ぎる。
紅様は、同じく眉をひそめた私に向かって、ポツリと言った。
「俺のせいじゃないかと、思ってる」
「成田くんの?」
「――……ああ。紺は俺のせいで、大怪我を負ったことがあるんだ。その時の後遺症なのかもしれない。医者は関係ないっていうけど、紺は怪我をするまで、風邪ひとつ引いたことなかったんだ」
紺ちゃんは、その時の怪我のショックで前世を思い出したと言っていた。
ザラリ、と胸に何かが引っかかる。
転生してきたことと、その発作は何か関係がある……?
「辛気臭い話をして悪かったな。こんなことまで話すつもりなかったのに」
紅様が苦笑を浮かべたので、いやいや、と手を振る。
「怪我した話は紺ちゃんから聞いたことあるし、大丈夫だよ」
私の返答を聞くなり、紅様は大きく目を見開いた。
「まさか、紺の方から話したのか?」
「うん。……紺ちゃんはもちろんだけど、成田くんも災難だったね」
どうしてそんな話になったのか聞かれたら、ボロが出そう。
ゲーム進行の説明をしてもらってて、とは絶対に言えない。
曖昧に答えた私から視線を離さないまま、紅様は目を眇めた。
犯人捜しをしている探偵みたいな仕草だ。
「……随分、紺と仲がいいんだな」
「そうだね、普通に仲良しだけど、……なに?」
「いや。何でもない。紺が信頼してるのなら、俺が口を挟むようなことじゃなかった」
紅様はさらりと答え、二杯めの紅茶をサーブした。
動揺や寂しさを押し隠し、あっという間によそ行きの仮面を被り直す。
悔しいけど本当にカッコいい人だなあ。
これで9歳だなんて、信じられない。
蒼くんもそうだけど、攻略キャラだけあって、神様から特別なギフトを与えられてるんだろうな。
「紺ちゃんに会えなくて、残念だったね。寝込んでる時に電話するのも迷惑だろうし、お大事にね、って伝えてくれる?」
「……ああ」
紅様は、目元を和ませ、それは優しく微笑んだ。
ずるい人だとしみじみ思う。
「そろそろ時間だな」
姉と待ち合わせをしてるという私の言葉を覚えていたみたいで、紅様の方から教えてくれた。
「ごめん、先にいくね。ご馳走様でした。美味しかったです」
「俺の方こそ、助かったよ。今度はゆっくりお茶に付き合えよ」
今度、という言葉に複雑な気持ちが込み上げてくる。
そんな優しい言い方、しないで欲しかった。
彼と出会って二年が経つ。
私が有害なストーカーではないと証明するのに足りる時間が過ぎ、紅様は警戒を解いたんだろう。
私の方も、最初のわだかまりを水に流すべきなのかもしれない。
だけどまた、みっともない勘違いをして、自己嫌悪と羞恥で泣きたくない。
紅様は良くも悪くも、私の心に影響力を与えすぎる。
◇◇◇
本日の主人公の成果
攻略対象:成田 紅
イベント名:春摘み紅茶をあなたと
クリア




