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 結局蒼くんは、夕方遅くまで家にいた。

 パートから帰宅した母は、ソファーに収まった彼を見るなり、瞳を輝かせた。


「ただいま~。……わあ! 可愛い!」


 血は争えないんだね。思わず遠い目になってしまう。

 母よ、気持ちは分かるけど、挨拶を先にして下さい。

 蒼くんは、アイドルを街で見かけたファン状態の母を見ても全く動じなかった。


「初めまして。青鸞学院初等部三年の城山 蒼といいます。真白さんとは仲良くさせて頂いてます。今日は突然、お邪魔してしまってすみません」


 スッと立ち上がると、こちらがギョっとするほど丁寧な挨拶を披露する。

 蒼くんの洗練された振る舞いのせいで、余計に母さんの残念っぷりが際立った。


「すごい……。えっと、真白の母です。よろしくね」


 すごいって何だ。

 いや、分かるよ。私には予備知識があったし、最近では見慣れてきたけど、蒼くんは人目を引かずに置かないほどの美少年だもんね。


「そろそろお暇します。また、来てもいいですか?」

「もちろん、いいよ。お家はどこかな? もう遅いから、車で送っていくね」


 冬の日暮れは早い。母の言葉にカーテンを開けると、真っ暗な空にいくつか星が出てきていた。

 遠慮する蒼くんを半ば無理やり母の軽自動車に押し込み、家まで送っていく。

 彼の道案内は分かりやすく、すんなり城山邸に到着した。

 

 想像以上の大邸宅に、ぽかんと口が開く。

 門扉なんて、二人ががりじゃないと開けられそうにない。

 蒼くんは、本当にお坊ちゃまなんだな。

 彼は車から降りる時、私を振り返って念を押した。


「また、うちにも遊びに来て。ましろなら、大歓迎だから」

「うん……。でもちょっと緊張するな」

「大丈夫だよ。アイツは殆ど家にいないんだ。美恵さんは優しいし、きっとましろも好きになるよ」


 アイツ、というのは継母のことだろうか。

 そこだけ吐き捨てるような口調になる蒼くんに、胸が痛くなる。

 いつもみたいに笑って欲しくて、明るく頷いた。


「分かった。私も遊びに行くね」

「やった! 約束な、ましろ」


 途端に全開の笑顔になった彼は、名残惜しそうに何度もこちらを振り返りながら、家に入っていった。

 車では黙っていた母さんが、夕食の席で蒼くんが来たことを意気揚々と暴露したものだから、大変なことになった。

 父さんは動揺するし、花香お姉ちゃんは大騒ぎするし。

「ただの友達だよ」と言い張っても、母さんのニヤニヤ顔は変わらない。


「とっても礼儀正しかったわよ~。ものすごい美少年だったし」

「いいなぁ。私も見たかった~!」

「ましろにはまだ早い!」


「だから、ただの友達だってば。ご馳走様でした!」


 まだ盛り上がってる3人を置いて、2階に上がる。

 賑やかな声は、部屋の扉を閉めると聞こえなくなった。

 私にボーイフレンドが出来たんじゃないか、って話題に花を咲かせる家族のこと、本当は嫌じゃないんだけど、どうにも照れくさくて仕方ない。


 蒼くんは今頃、1人ポツンと広い食堂でご飯を食べてるのかな。

 美恵さんだっけ。せめてお手伝いさんが一緒だといいな。


 

 

 翌日は木曜日。ピアノのレッスン日だ。

 練習を重ねれば重ねるほど、自分の指が意思通りに動いていくようになるのが分かる。

 元々、手先は器用な方だったし、ピアノに向いてるのかもしれない。

 レッスンは毎回緊張するけど、それ以上に充実している。


「はい。今日は、ここまで。……ましろちゃん、めきめき上達してるわね。先生、嬉しいです」


 亜由美先生は、滅多に手放しで褒めない。

 そんな先生のレアな一言は、私を容易く舞い上がらせた。

 緩みそうになる頬を必死に引き締め、「ありがとうございます」と答える。


「そろそろ練習曲ばかりじゃ、嫌になってくるわよね。何か弾いてみたい曲があるなら、並行してチャレンジしてみようか」


 先生はグランドピアノから離れ、楽譜が並んでいる本棚に向かった。


「ましろちゃんの今のレベルなら、……そうね。『エリーゼのために』か『花の歌』あたりかしら」

「それなら、『花の歌』を弾いてみたいです」


 『エリーゼのために』もいい曲だと思うんだけど、物悲しい感じが少し苦手。

 もっとパアッと明るい曲の方が好みだ。


「そうね。マシロちゃんは楽しい曲が好きだものね。じゃあ、新しい楽譜を買ってもらおうかな。せっかくなら色んな曲に挑戦して貰いたいし、これなんてどう?」


 先生の見せてくれた楽譜集の表紙には、『ソナチネ・ツェルニー併用曲集』と書いてあった。

 花の歌だけじゃなくて、他にも沢山の有名なピアノ曲が入っているらしい。


「はい! 頑張ります!」


 有名な曲を弾けるようになるチャンスだ。

 期待が高まり、返事が大きくなった。


「ふふ。ましろちゃんの凄いところは、それが口だけじゃないところだね。『頑張る』って言葉ほど、言うのが簡単で実行するのが難しい言葉はないって、先生は思うな」


 新しい楽譜を私に差し出しながら、亜由美先生はニッコリ微笑んだ。


「頑張っても手が届かないって悲しくなった時はね。その頑張りが、ほんのちょっと足りてないだけなんだって。生まれ持った才能なんて、積み上げた努力の前には大した意味は持たないものよ。私はそれを嫌というほど知ってるわ」


 先生の言葉には、実感がこもっていた。

 私もそう思う。

 才能がないと嘆いていいのは、気が遠くなるほどの努力を重ねた人間だけ。

 私は、まだ入り口に立ったばかりだ。先は遠く、かすかな光すら見えない。


 それでも、このまままっすぐ進んでいくしかない。

 ……ううん、私が自分の意志で、進んでいきたいと思っている。



 レッスンを終えサロンに戻ると、紺ちゃんがすでに来ていた。

 ソファーに浅く腰掛け、ローテーブルに広げた楽譜をじっと見つめている。

 彼女の指は膝の上でめまぐるしく動き回っていた。

 彼女の横顔は、怖いくらいの真剣さをたたえていた。

 私が入って来たことにも気づかないくらい、紺ちゃんは集中していた。

 

 雷に打たれたように、その場に立ち尽くす。

 紺ちゃんも私と同じだ。

 漫然とボクメロ進行通りに動いてるわけじゃなくて、彼女も真剣にピアノと向き合っている。

 ……私と紺ちゃんは、ライバルなんだ。


「紺? あなたの番よ」


 亜由美先生の声が遠くから聞こえ、紺ちゃんはハッと目を上げた。


「はい! ……あ、ましろちゃん。戻ってきてたんだね。お疲れ様」


 私と目が合うなり、ふにゃりと微笑んだ彼女は、いそいそと楽譜を小脇に抱え、立ち上がる。


「――紺ちゃん!」


 すれ違う瞬間、気付いた時には声をあげて引き留めていた。


「ん?」


 どこまでも穏やかな瞳を前に、上手く言葉を探せない。


「……ピアノ、頑張ろうね」


 ようやくそれだけを伝える。

 紺ちゃんは私を見つめ、凛とした口調で「私、真白ちゃんには、絶対負けない」と答えた。

 それは、彼女の中でとうに私はライバルだったんだと良く分かる言い方で、なんだかとても嬉しくなった。



 その後、サロンで母さんのお迎えを待っていると、紅様がやって来た。

 オペラコンサート以来の顔合わせだ。

 気まずいったらない。


「こんにちは」


 とりあえず挨拶だけした私に、紅様は眉をあげた。


「こんにちは。久しぶりだな。レッスンは終わったのか?」


 この間のことを気にしているのは私だけなのかも。

 そう思ってしまうくらい、紅様は堂々としていた。


「うん、今終わったとこ。迎えが来るまで、ここで待たせてもらうね」

「俺に断ることないだろ」


 紅様は軽く肩をすくめ、ソファーに腰を下ろす。

 会話が途切れ、沈黙が二人の間を支配した。


 ……この先も、こうやって時々遭遇してしまうのかな。


 考えるとかなり気が重いけど、亜由美先生から離れるつもりはない。

 気を紛らわせる為、受け取ったばかりの新しい楽譜集を広げてみた。

 他にどんな曲が載ってるのか、みてみよう。

 パラパラめくっていると、すぐ傍で柔らかい声が響いた。


「もうこんなとこまで進んでるのか」


 顔をあげて驚く。紅様は、私のすぐ隣に移動していた。

 いつの間に!?

 私が盛大にビクついたことに気づかないはずないのに、彼は素知らぬ顔で楽譜を覗き込んでくる。


「……うん。あ、でも今日もらったばかりだから」


 仕方なく答えると、紅様は目をあげ、私と視線を合わせた。

 深く澄んだ瞳に捉えられ、勝手に心臓が早鐘を打つ。


「……始めてまだ1年か」

「うん」


 紅さまは長い指を形の良い顎にかけ、口を噤んだ。

 思案する仕草もいちいち決まってる。本当に憎らしい。


「努力するやつには、敬意を払うことにしてる」


 突然、紅様は言った。

 は? 今、なんて?

 自分の耳を疑ってしまう。聞き間違いじゃなければ、私を尊敬する的なこと言ったよね、今。

 言葉を失くした私を見て、紅様は口角を引き上げた。


「でもこのままじゃ、先に始めた紺との差は縮まらない。もしこの先お前がコンクールに出るつもりなら、無謀な負け戦としか言えないな」


 どうやら、今度は上げて落とす戦法らしい。

 ニヤリ、と挑発的な笑みを浮かべた紅様を見上げ、私は静かに口を開いた。


「負け戦かどうかは、まだ分からないでしょ」


 彼の目つきが険しくなる。私は負けじと睨み返した。

 見えない火花が散っている気がする。

 こっちからは、絶対に目を逸らさないぞ。


「ましろー。迎えにきたわよ」


 決意を固めた瞬間、呑気な呼びかけと共にサロンの扉が開いた。

 母さんだ。

 蒼くんの時のように、また騒がれては堪らない。

 私は慌てて立ち上がった。


「お迎えありがと。いこ!」


 母の目の前に立ち、視界を遮りながら、ほらほらと急かす。


「つれないね、ましろ。お母様なんだろう? 紹介してくれないの?」


 背後から、艶やかな声が聞こえる。

 母さんの視線が私の隣りに移動し、そのまま止まった。

 すぐには言葉が出ないみたいで、母は感嘆に目を見開いたまま、固まっている。


「初めまして、成田 紅といいます。真白さんにはいつもお世話になっています」


 どいつもこいつも、何なの! 

 初対面の大人にそつなく挨拶するのは、セレブ校の必修事項か。

 全国の小学三年生男子に謝れよ!

 ギリギリと歯を食いしばる私を横目で確認し、紅様は楽しげに微笑んだ。


「あらあら。そうなの? この子ったら何も言わないものだから。はじめまして、真白の母です。成田くんも、松島先生に習っているの?」

「はい。専攻はヴァイオリンですが、ピアノも副科にあるので、時々見てもらってるんです。亜由美先生は親戚筋にあたるんですよ」

「ほう~」


 紅様の大人びた態度に圧倒された母は、感心したようにそれだけ言った。


「そうだ、これ」


 紅様はおもむろにジャケットのポケットに手を入れた。


「以前、真白さんにお借りしたんです。本当なら、新しいものを買ってお返しするべきなんですが、愛着のあるものだったらいけないので。……あの時は本当にありがとう、真白」


 出てきたのはハンカチだった。なんの変哲もないグレンチェックのハンカチ。

 オペラコンサートで私が貸したやつ。

 待ってる間だって、ハンカチを返す暇はあった。

 なんで今、返すの?

 腑に落ちず、じっと見てしまう。紅様は悠々と私の視線を受け止め、軽く片目をつぶった。

 反射的に赤くなってしまい、遅れてハッと気づいた。


 ――この人、母さんの前で私をからかうつもりだ。


「まあ、ご丁寧に。アイロンまで掛けてくれたのね、ありがとう。……真白ったら照れちゃって~。ちゃんとあなたからもお礼を言いなさい」


 私は、ひったくるようにして紅様からハンカチを受け取った。


「どうもありがとう! さあ、いこ!」


 まだ紅さまに見惚れている母さんの背中を押し、強引にサロンの外へ連れ出した。

 私たちが帰った後、ヤツは一人で大笑いしてるに違いない。

 

 当然、その日の夜も食卓は大いに盛り上がった。


「真っ赤になった真白、私も見たかったな~。どっちが本命なの? お姉ちゃんにだけは教えて!」


 じたばた足踏みする花香お姉ちゃんに、父さんが「だから、そういうのはまだ早いって」と唇を尖らす。

 言い訳する気力もなく、私はとぼとぼと2階へ上がった。


 

 それからというもの、私はピアノ教室のサロンに出入りするに、紅様がいるんじゃないかとビクビクする羽目になった。

 今のところは、鉢合わせしていない。

 早く中学生になりたい。

 中学生になったら自転車で通っていいと、両親に言われている。

 サロンには寄らず、まっすぐ行ってまっすぐ帰ろう。

 

 蒼くんとは、時々会っている。歩道橋で会えたら、うちに来ることもある。

 あの後、ちゃんとコートは買って貰えたみたいでホッとした。

 どうしても気になったのでコートのタグを見せてもらったら、アルマーニだった。キッズも扱ってたのか! 一体いくらするのか、見当もつかない。

 セレブな蒼くんは、まだ私の折り紙を欲しがっている。

 その日も、新作を渡してあげた。


「……これ、なに?」

「ヨルダンのペトラ遺跡だよ。オベリスクの墓のとこね」


 アンコール・ワットを無事完成させた私が、今凝っているのは世界の遺跡シリーズだ。

 蒼くんは絶句していた。

 完成度の高さにだと思いたいが、セレクトのマニアックさにだろうな、多分。



 

 そして三月。

 6年生を送る会も無事終わり、学校の行事は一通り終了。

 春休みまであともう少しという日の夜、紺ちゃんから電話がかかってきた。


「……え? ええ~」

『だめ? 無理にとは言わないんだけど、良ければ一緒にどうかなって』


 来週の日曜日、『春待ち祭』と銘打ったチャリティクラシックコンサートが開かれるらしい。

 そこにトビー王子が来るというのだ。


『初来日の有名なピアニストも参加するんだって。ほら、前にCDを貸してあげたヴァイオリニストもNYから久しぶりに帰国するんだよ。ましろちゃんの好きなパガニーニも演目に入ってる』


「そうなの!? それは聞きたい! ……ああ、でもなあ。紺ちゃん、紅様と一緒に来るよね? それ私のイベントにもなっちゃうよね?」


 そのコンサートへ行くと、紅様イベント【いつか聞かせて】が発生する恐れがあるのです。

 紺ちゃんメモによると、一緒に音楽鑑賞をした後、『君のピアノもいつか同じホールで俺に聞かせて』と囁かれる甘いイベントらしいんだけど……。

 正直、今の紅様がそんな口説き文句、口にするとは思えない。


「えーと。……実は分からないの」


 紺ちゃんは電話口の向こうで口ごもった。


「私が紅の妹である以上、この世界はボクメロの紅ルートをなぞってると思うんだけど、それにしては起こってないイベントが多すぎて」

「確かにそうだね」


 ノートの前のページをめくり、傍線で消したいくつかのイベント名を指で辿った。

 【いつか聞かせて】までに起こるはずのイベントは、今のところ一つも発生していない。


 ――ということは?


 紅様ルートは、すでに閉ざされたってことじゃない?


 私が目指すノーマルエンドは、主人公がピアノで成功する御一人様エンドだ。

 このまま普通に頑張っていれば、掴める未来なのかもしれない!


 一気に気分が明るくなり、紺ちゃんにも確認してみる。


『うーん。そうなのかな。……もしかしたら……でも違うかな。ああ、なんで私……』


 彼女はもごもごと呟き、最後は黙ってしまった。

 私がすでにフラグを折っていて、紅様とは結ばれないことを知ってるから、気の毒がってるのかもしれない。


「なぁんだ。そっか。それなら、私も行きたい! チケット代はいつ渡せばいい?」

『私も招待券を貰ったから、お金はいらないよ。でも、あの、紅は……』

「紅様のことは気にしないで。前も言ったと思うけど、もう1ミリも好きじゃないから。そっか。無料なんだね。ラッキー! すっごく楽しみ!」


 紺ちゃんが小さく噴き出すのが、受話器越しに聞こえてきた。

 小さい子を慈しむような、優しい笑い声。

 

 その時、突然。

 本当に突然、胸の奥が苦しくなった。


 ――『もう~。……ってば、急にニコニコしちゃって』


 懐かしい誰かの声が、耳元で蘇る。

 誰? 誰だっけ。


 大切な何かを思い出しそうになったのに、追憶の淡い光はあっという間に掻き消えた。


『じゃあ、芸術ホールの前で待ち合わせしよ。チケットは私が持ってるから、遅れず来てね』


 思索にふけりそうになった私を、紺ちゃんの声が現実に引き戻す。


「……え? ああ、うん。いろいろありがとう。楽しみにしてるね!」


 明るく答えて、通知を切った。

 切った時にはもう、何が引っかかったのかも忘れていた。



 翌朝、コンサートに誘われたことを家族に話した。

 パンにかじりついていた花香お姉ちゃんが、急に真顔になる。


「また紺ちゃんと行くのに、オペラの時と同じワンピースじゃ、ましろが可哀想。新しい服を買ってあげてよ、母さん」

「そうね。いつも花ちゃんのお下がりばっかり着せてるもんね」


 父さんが2人の会話にしょんぼり項垂れる。


「もうちょっと、冬のボーナス出たら良かったなぁ」

「ちょっと待ってよ!」


 そんなつもりでコンサートの話をしたんじゃない。

 ただでさえ、ピアノを習っていることで両親には負担をかけている。

 お姉ちゃんなんて、一度も習い事したことないのに、私がしてることを妬むどころか応援してくれている。服は清潔なら、お下がりでも何でもいい。


「いらないって。お姉ちゃんのお下がり、まだ新しいし、可愛いし」

「私がヤダ」


 珍しく姉は引かなかった。


「私のバイト代、まだ残ってるし、それ使ってもいい?」


 夏休み、海の家で短期バイトをした花香お姉ちゃん。

 そこで今の彼氏と知り合って、一石二鳥だったと笑っていたことを思いだす。


「花ちゃん……。じゃあ、半分は家計から出すよ。土曜日、2人で選んでらっしゃい」

「やったー! 母さん、大好き! ましろ、土曜日は絶対、本屋も図書館もなしだからね?」


 パチン、とウィンクを飛ばしてくるお姉ちゃんに、喉がぐっと詰まる。

 毎日ひーひー言いながら、バイト行ってたのに。

 せっかく貰ったお給料、自分のことに使えばいいのに。

 涙が浮かびそうになり、慌てて食事に戻る。


「……ありがと。お姉ちゃん」


 ようやくそれだけ言えた。父さんは先に涙を拭っていた。



 そして土曜日。

 電車を乗り継ぎ、都内のデパートまでやって来た。

 私は駅前のショッピングモールでいいって言ったのに、花香お姉ちゃんがせっかくだからと譲らなかったのだ。

 着せ替え人形のように、あちこちで試着させられ、ようやく決まった時には軽く眩暈がした。

 着てー脱いでー着てー脱いでー。

 最後の方は、いっそ下着姿で店内をうろつきたい程だった。


「とってもお似合いですよ! いいねえ、素敵なお姉ちゃんに選んで貰えて」


 売り場の店員さんは微笑ましげに目を細めた。

 花香お姉ちゃんも「やっぱこれが一番似合う!」と喜んでいる。

 かわいい。うちの姉がこんなにも可愛い。


 それからデパ地下のカフェで、一服して帰ることになった。

 ジュースを手にテーブルへ移動する。

 どうしても聞きたかったことを、そこで聞くことにした。


「お姉ちゃん、お金大丈夫なの? 値札見てびっくりしたよ。海の家のバイトって、そんなに割が良かったの?」

「ううん、普通。でも全額残してあったんだよ」


 姉は得意げに答えた。


「バイト自体、いつも頑張ってるましろに何か買ってあげたいなーって思って引き受けたんだ。だから使い道的にはオールオッケーなわけ。ましろは気を遣い過ぎ。もっと周りに甘えていいんだよ」


 前世の私と同い年のお姉ちゃん。

 向こうの世界で私は、そこまで家族思いだっただろうか。

 姉のことは好きだった。でもこんなに大切には出来なかった。彼女の優しさに甘え過ぎていた。

 だから、あんな。あんなひどい真似を――。


 堪えきれず、涙が零れる。

 私の顔を見て、花香お姉ちゃんは狼狽えた。


「えー、泣かないで、ましろ。私まで泣けてきちゃう。今日はウォータープルーフのマスカラじゃないから無理!」


 まっさきに化粧を気にするお姉ちゃんが可愛くて、泣きながら笑ってしまった。


「ごめんね、お姉ちゃん。ほんとにありがとう」


 今度こそ。

 今度こそきっと、私が妹で良かったと思わせてみせる。




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