ろく。回帰するまえとは違います!
背が高く痩身。
輝く銀髪に深い藍色の瞳。彫りが深く眉目秀麗といっても差し支えのないその顔の持ち主は、わたくしの夫であるジュリアン・カレイジャス公爵閣下。
わたくしより五つ年上ですから……いまは三十三歳のはずです。
眉目秀麗……ではありますが、いつも不機嫌そうに竦められている眉間の皺が、すべてを台無しにしていると思うのは、わたくしの偏見でしょうか。もう少しだけ、こう……愛想というか愛嬌というか。そういった類の表情ができないのかしらこの人。
……できないからこそジュリアン・カレイジャス公爵閣下なのでしょうけど!
この公爵閣下。
優秀な外務大臣として、いまや諸外国を行ったり来たり。国王陛下の信頼もお篤いのだとか。夫人たちのお茶会でも我が夫を褒めそやすのはまるで枕詞のようです。王妃陛下からもあなたの夫は素晴らしいと、間接的なお褒めのことばをわたくしがいただいておりますわ。
国内にいるときは領地経営に従事し、なにごとも手抜かりなく万全な完璧人間……だといわれています。
――ちゃんちゃらおかしいですけどね!
家族を顧みない、一切の考慮をしない、子どもの育成にノータッチ。
公爵家だから、なのでしょうかね。
わたくし自身は田舎ののどかな伯爵家でのびのびと育ちましたのでね。その辺りのことはよくわかりませんでした。
とある朝の食堂で。
娘が父親に「おはようございます」と可愛らしい挨拶したときのこと。ジロリと一瞥し微かに頷いただけで食卓についてしまった旦那さまに、わたくし、唖然としたものです。
この人、子どもと関わりたくない人なのね、と。
わたくしの父は、わたくしが挨拶すると柔らかく微笑んで「おはよう、良い朝だね」と返してくれましたわ。いつもお忙しかったお父さまでしたけど、毎朝の食事の時間だけはぜったい家族全員で過ごすのだ! と譲りませんでした。
爽やかな朝日の差し込む食堂で、家族揃って迎える朝食。とても温かな時間を過ごしたものです。
でもそれは、わたくしの実家での流儀。
このカレイジャス公爵家ではこうなのだろうと、唯々諾々と従っていたのが過去のわたくし。
そう、【公爵閣下】のなさることだから、それに従わなければならないと決めつけていました。
ただ黙って従順に。
それがとてつもないストレスになったのか、常に胃薬必須でしたけど。
「どうしたんだポール……、ッ! クリスティアナ?!」
公爵閣下のびっくり眼って、もしかしたら初めて見たかもしれません。
「どうしてきみが……っ」
閣下の藍色の瞳が極限まで見開かれて……。
お口があわあわと開閉して、なにごとか言いたいようだけど呑み込んでおられるごようす。
そんな閣下は黒いフロックコートと黒の皮手袋。まるで喪服のような黒いスーツ。
身元を明らかにするような家紋入りのボタンのついていないお衣装に身を包んでいらっしゃる。
……はいはい。“お忍び”装束ですねー。
もうね、家紋の入っていない箱馬車を見たときから推測はしていましたけどね。これは確定ですね!
高級娼館『花の楽園』へ出向かれるのですね!
はいはい、いってらっしゃいませ。
わたくしはわざと旦那さまから視線を逸らせました。
震える脚を、そうとは分からせないようにゆっくりと運び。
旦那さまの脇を抜け。
通り過ぎようとした真横で止まり。
「高級娼館へのお仕事、お疲れさまでございますわ。い っ て ら っ し ゃ い ま せ」
と、一言一句はっきりとした発音で告げ。(我ながら、冷たくて嫌みったらしい口調でしたわ)
緩やかに歩を進めると、玄関ホール中にわたくしのブーツの踵が鳴らす音が響き渡り。(耳障りですが、疲労困憊の身ゆえの不調法です。いつものわたくしならば靴音など立てずに歩きますとも! わたくしの心情的には構うものかといういっそ投げやりな心地なのです)
自室へと引きあげるため、正面にある大階段を数段登ったところで。
「クリスティアナ!」
……呼び止められてしまいました。
ゆっくりと振り返り、階下を見降ろすと旦那さまのお姿。信じられないと言いたげな表情をしていますね。
数段とはいえ、階段の上から不遜な態度で自分の夫を見下ろす日が来ようとは。
自分でも表情が作れないのを自覚しています。
いつものわたくしならば。
いいえ、回帰するまえのわたくしならば。
常に『淑女の笑み』といわれる、穏やかで当たり障りのない笑顔を顔に貼りつけていたものです。笑顔は貴婦人の礼儀としての第一歩でございますもの。相手がだれであれ、不愉快にさせないためのマナーでもあります。
けれど今のわたくしにはちょっと無理です。
ほぼ一日馬に乗り続け疲労困憊のうえに、不愉快なものを目にしたので不機嫌のピークにいます。さらには神から無礼講を許された身でもありますし。
実はわたくし、無表情になるととても冷たい感じがすると母や兄に指摘されたことがございます。自分でいうのもなんですが、美女と呼ばれ続け、かつその自覚もございます。そんなわたくしが表情を消し、他者を睨みつけるとどうなるのか。
とても冷酷で無慈悲な印象になるのだとか。だからこそ、少女のころから常に笑顔を絶やすことのないよう努めてきました。
が。
もう構うことありません。
えぇ! とくに旦那さまにはね!
たぶん旦那さまにとっては、こんな冷酷な表情をしたわたくしなんて結婚するまえも見たことはなかったはずです。
「クリスティアナ……」
呆然とわたくしの名を呟くジュリアン・カレイジャス公爵閣下。二の句が継げぬ、といったごようす。
……もしかしたら、無表情のこの【睨み】が効いているのかしら。
ふん。
にこやかではない妻の姿、とくとご覧あそばせ、ですわ。
なにも言い出さない旦那さまと、そんな彼をただ黙って見下ろすわたくし。玄関ホールには重苦しい静寂が満ち満ちていますわ。使用人たちが固唾を呑んでわたくしたちの次の行動を見守っている空気がヒシヒシと伝わります。……なんだか息苦しいですこと。




