03 紅之蘭 著 鍋 『ガリア戦記 06』
【あらすじ】
出世に出遅れたローマ共和国キャリア官僚カエサルは、人妻にモテるということ以外さして取り柄がなかった。おまけに派手好きで家は破産寸前。だがそんな彼も四十を超えたところで転機を迎え、イベリア半島西部にある属州総督に抜擢された。財を得て帰国したカエサルは、実力者のポンペイオスやクラッススと組んで三頭政治を開始し、元老院派に対抗した。
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「ローマ軍陣」
第6話 鍋
半月ごとにローマ各軍に食料が配給される。配給品は一人当たり一日小麦八百五十グラム、油脂百五十グラム、チーズ二十グラムと酢が少量となっている。兵士たちは十人前後の班を組み、炊事した。
当時の料理といえば、素焼きの鍋に具材を入れて煮込んだものがあるが、この具材から考えられるレシピは、小麦粉を練って焼いたパン、それからポタージュのようなものしか思いつかない。――柵を立て、内側にテントを張った宿営地の陣城で、火を焚き、パンにポタージュをつけて食べる風景を想像するとしよう。
カエサル麾下のローマ軍は、撤退するスイス人・ヘルヴェルディー族に追い討ちをかけようと騎兵四千をだしたが、敵騎兵五百に敗れた。そしてもう一つ問題が生じた。前線の後背にあるローマ領からの食料補給が滞っていたのだ。というのは、スイス人・ヘルヴェルディー族の別動隊が、ゲリラ戦術で、アラル川を遡上する補給物資を満載した船を襲った結果だ。
馬上のカエサルは腹心のブルータスに言った。
「わがローマ兵は辛抱強いが、空腹にはさすがに勝てまい。あの食事が終わったらわが軍の備蓄はほぼ空になる。だが幸い北東十八ローマ・マイル(二十七キロ先に盟友ヘドウゥイ族の首都ビブクテ)がある、そこで兵糧が調達するとしよう」
「急げば今日中に着きますな」
ローマ軍は陣城を引き払った。
ローマ軍の一日の行軍は、通常行軍で二十五キロ、強行軍で三十五キロ、再強行軍で可能な限りとなっている。
ローマ軍の転進は、ローマに協力していたガリア騎兵一人が、スイス人・ヘルヴェルディー族に内通することで知れてしまった。スイス人たちは狂喜して逆襲に転じ、ローマ軍六個軍団の前に姿を現した。
(ローマ軍の補給線は断ち切った。カエサルたちがビブクテ都城へ着く前に、奴らを叩き潰す!)
先の戦闘でスイス人の戦闘要員九万の四分の一である二万強の兵員が損失している。それでも七万弱がいて、騎兵戦での勝利で気勢を上げている。対するローマ側はローマ軍六個軍団と、ローマ軍の同盟する部族を合わせた三万強の軍勢だ。敵の半分である。
そのローマ軍は小高い丘の中腹に古参の四個軍団を三列に割った横列陣形に配し、後詰に新参の二個軍団を配した。
馬上にいた腹心のブルータスが、轡を並べたカエサルに言った。
「総督閣下、敵は二倍……」
「わが軍にとって有利なことが二つある。一つは斜面の高みに陣を配したこと。もう一つは寡兵であるため死に物狂いで戦えるということだ」
スイス人たちの陣形は、当時のヨーロッパで主流であった長槍密集隊形だ。恐らくは六、七万からなる軍勢を十個の方陣にして横列に並べたのであろう。麓からじわじわと丘に登ってきて、ローマ軍を半包囲しようとした。
ここでローマ軍がとる戦術は投げ槍だ。
百人隊長たちによって鍛え上げられたローマ兵たちは、戦闘機械のようで、動きに無駄がない。押し寄せる敵の一翼に集中的に投げ槍を撃ち込む。スイス人たちは多くの死傷者を出した。また無傷の者でも盾にローマの投げ槍が刺さって抜けず、使用不能になった。
ここからがローマ兵の真骨頂だ。短刀を抜刀した部隊が、隊伍を崩した敵の方陣に、斜面で勢いをつけて雪崩れ込み、白兵戦に持ち込む。ローマの抜刀兵は、相手の懐に飛び込んで鎧の隙間から短刀を突き刺す一撃必殺の修練を新兵のころから身体で覚えさせられている。
戦闘は日没をもって終了した。スイス兵が北東へ向かって敗走を始めた。
ブルータスがカエサルに言った。
「総督閣下、追撃なさいますか?」
「馬鹿をいっちゃいけない。三日以内に食料を調達する。その間、兵士たちに休息を与えるとともに死者を弔う。食料が届いたらたらふく食わせてやれ」
四日後、カエサル麾下の六個軍団は撤退するスイス人たちを強行軍で追撃した。
つづく
【登場人物】
カエサル……後にローマの独裁官となる男。民衆に支持される。
クラッスス……カエサルの盟友。資産家。騎士階級に支持される。
ポンペイウス……カエサルの盟友。軍人に支持される。
ユリア……カエサルの愛娘。ポンペイウスに嫁ぐ。
オクタビアヌス……カエサルの姪アティアの長子で姉にはオクタビアがいる。
ブルータス……カエサルの腹心




