誰もいない病院
千寿流、シャル、夜深、クラマの四人はハンターズカフェでアリシアと名乗る男から聴いた情報をもとに、件の廃病院まで訪れていた。
「わ、これ入っちゃって大丈夫?」
病院の周りにはイエローテープで立ち入り禁止の文字が記されており、あらゆる者の進入を拒んでいる。廃病院とはいっても郊外ではなく街中に建てられた病院であり、周辺の建物についても人が住んでいるような気配は感じられない。
まるでこの辺り一帯が切り取られたような錯覚を覚える。それがどこかこの世界の在り方になぞられている様な気がした。
「……」
院内には大きな庭があり、色とりどりの花が植えられている。しかし、さすがに手入れはされていないのか、草木は伸び切ったままになっており、通路側にも食み出してしまっていた。
病院の外観は清潔感を感じさせる白。廃病院と聞いていたので、幽霊が出ると噂されるような、いかにもな外観を想像していたが、そこから見ただけではそこまで荒れている様子はなかった。
一見すれば異様な光景へ感じられるものの、何も知らない人が病院に用があれば、間違って扉をくぐってしまうこともあるかもしれない。
「夜深ちゃん。廃病院って誰もいない病院のことだよね。なんでこの病院は誰もいなくなっちゃったの?あたし、結構きれいだと思うけど」
「さあ、僕も詳しくは分からないよ。まあ、廃病院と呼ばれるようになったのは結構最近のことみたいだし、きれいな理由なんてそんなものじゃないの?」
「最近になって廃病院となった。ここは理由は十中八九魔獣ということになりますね。それに病院なら」
クラマちゃんはそこまで言うと考え込むように俯いてしまった。クラマちゃんは水性の魔獣について何か知っている様子だった。もしかしたら何か心配事があるのかもしれない。
あたしがクラマちゃんに心配ないよ、と声をかけようとすると――
「クラマ ふあんなことが あったら シャルルに はなしてみて! だいじょうぶ!クラマに なにかあったら シャルルが まもってあげるからね!」
「お嬢様」
シャルちゃんがそう声をかけると、あれだけ不安そうだったクラマちゃんの顔から、不安が無くなったような気がした。それを見てやっぱりシャルちゃんはすごいなって思った。
病院の中に足を踏み入れる。外観から受ける印象の通り、こちらも白を基調とした清潔感を感じさせるロビーだ。受付には当然人はいないし、椅子が倒れていたり、枯れ果てたドラセナの鉢などを見れば、ここが廃墟だということを察することは出来る。
「夜深ちゃん。魔獣いるかな?」
「分からない。けど、なぜこんな街中に存在する病院を住処にするのかという疑問はあるよ。だから、いないという可能性も十分にあると思う。まあ要するにガセだね」
「そういえばアリシア様も情報の真偽は定かではないという話でしたね。けど、この病院全体を異様な空気が覆っているような気がします」
この病院には機関から何度も調査が入っているという話だ。その中にはあの国直属の魔獣対策支部、自由を取り戻す者たちの意を持つ『リベルレギオン』の部隊長の一人が来ていたという話だ。
しかし、結果は何も得られず。魔獣がこの病院にいたと思われる痕跡はいくつか見受けられたものの、実際にその姿は確認できなかったようだ。
もちろん、当時いなかっただけで今もいないとは断言できないが、魔獣がこの場所に、誰からも見つからないで潜み続けるのは不可能だと思われた。
千寿流の提案で二手に分かれて行動することになった一行。千寿流と夜深、クラマとシャルの二手に分かれて、病院内を一つ一つ慎重を期して隈なく探していく。
何か異変を感じたら、すぐに互いに知らせるという決まりを設けた。
都内の大きな病院という広大な範囲をたったの四人で探索するのは骨が折れる作業だ。四人に分かれて探すという提案を千寿流が初めに出したが、魔獣が潜んでいるかもしれない、という理由で夜深とクラマから即却下されてしまった。
「お嬢様。もし体調に異変を感じたらすぐに仰ってくださいね。ここは比較的荒れていないといえど、廃病院には変わりありません。よからぬ噂も多々聴いています」
クラマが先行しながら、後ろをついてくるシャルのほうを何度も振り返りながら気を遣う。
「だいじょうぶだよ!それより ちずるたちよりも はやく てがかり みつけて じまんしちゃお!」
あっけらかんと答えるシャル。そういえばクラマはシャルの苦手なものを知らなかった。
人には誰しも苦手とするものがあると思う。お化けが怖かったり、暗いところが怖かったり、高いところが怖かったり、それが普通なのだ。
流石に今はそんなことは随分と減ったが、クラマも昔は怖いものが多かった。虫はもちろん、爬虫類の類は見るのも嫌だったし、よく乱暴をする近所の子供も苦手だった。近くを通りかかる何の縁もない女性にすら恐怖を感じたほどだ。
けれどシャルにはそれがない。
今の彼女はこの通り、精神が幼児退行してしまっているため、また話は違うのかもしれないが、少なくとも彼女から怖いという言葉を聞いたことがなかった。
クラマがシャルに全幅の信頼を寄せるのはそういう面もあるのだろう。彼女はいつだってクラマを引っ張っていた。たとえ精神が幼児退行をしてしまっていたとしても、魂の部分は変わらないのだろう。
けれど、今の私は自分の身を守ることぐらいはできる。今度は私がお嬢様を守る番だ。
クラマはそう心に強く誓うのだった。
「うーん、昼間っていっても薄暗いし病院は怖いなあ。何か出てきたりしないかな?ねえ、夜深ちゃん」
あれ、夜深ちゃんがいない。さっきまでいたのに。あたしがちょっと目を離した隙にいなくなってしまった。
(もしかして、魔獣がいたのかな。もしかして、魔獣に襲われて?)
見渡してみる。
誰もいない。
どういうこと?
その異常事態に冷静になろうと、口に手を当てて平静を装おうとするものの、身体は一足先に理解できているのか上手くいうことが聞かなかった。
(まずい。まずいまずいまずいまずいっ!リベルレギオンっていう凄い人たちでも解決できてないんだ。早くクラマちゃんたちに連絡しないと!早くしないと夜深ちゃんが!)
焦って取り出したスマホはあたしの手から離れて地面に落下した。拾おうとした手はぶるぶると震えていた。
こんなことなら二手に分かれるべきではなかった。あたしの提案した愚かな選択で、夜深ちゃんの身に何かあったのなら、あたしはあたしを許せなくなる。
ガタン
「ヒッ!?」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
けど、逃げたくない。
「ででで、出て来い!悪い魔獣!あ、あたしが、その、やっつけてやるっ!」
震える両手で傘を握りしめる。
そんな千寿流をあざ笑うよう、後方に何者かの影がゆっくりと迫っていた。




