曇天を裂く白昼夢
その日はいつもよりも空気が重かった。
空気が重かったのか、身体の調子が悪いのかは分からなかったが、目覚めはあまり良くなかった。
洗面台に立ち、顔を洗う。冷たい水が気分を引き締めてくれることに期待したが、どうやら期待に沿ってはくれないらしい。
(そういえば朝の保湿はすごく大事だってお嬢様から言われてましたね。毎日を習慣に忘れずに、積み上げていきましょう)
いつものように洗面台の収納を開け保湿クリームを取り出す。重たい気持ちのせいか忘れかけそうになっていた。
あずき粒大のクリームを手に取り、目尻から始め、顔に満遍なく染み込ませていく。気休め程度にはなるかもしれないと思ったが、そこまで便利なものではないようだ。
窓の掃除をする為カーテンを開く。空に広がるのはどんよりとした一面の雲。天気予報では今日一日は雨は降らないと予報が出ていたが、この雲行きでは外れるかなと思った。
まるで今の私の気分を表しているようで、さらに気持ちが落ち込んだ。
「お嬢様?」
廊下の突き当りでお嬢様の姿を見た気がした。お嬢様は多忙であり、日夜遅くまで執務室に籠って仕事をなさっている。だから、基本的にこの時間に起きていることは珍しい。
他の使用人の方かもしれないとも考えたが、この時間にシフトを入れている者は一人もいないはずだ。それに自慢じゃないが、使用人の顔と名前は全て暗記している。遠目でもその姿を見間違えることはないだろう。
もしお嬢様であるのであれば挨拶をしないという選択肢は有り得ない。窓ガラスに反射する自分の顔を確認して、ちゃんと笑顔が作れているか確認した後、足早にお嬢様の後を追う。
突き当りを曲がる。誰もいない。
けれどそれはおかしかった。
廊下の先、十メートルに扉は一つも存在しない。もちろん当たり前ではあるが、その道中に隠し扉や屋根裏なんてものも存在しない。ここは広くはあっても忍者屋敷ではないのだから。
私はお嬢様の姿を突き当りに確認して、窓ガラスで自分の表情を確認して、廊下の突き当りまで来るのに十五秒程度しか掛かっていないはずだ。
その間に十メートルを移動して扉を開けて中に入り扉を閉める。別にこう言われればできない話ではないだろう。
しかし、それは迅速に行動した場合の話だ。お嬢様が自身の屋敷でそこまで慌ただしい行動をとる理由が見当たらない。
たかが十五秒。そう理論づけるとそれっぽっちの時間で目の前から消えたというのはあり得ないという結論になる。
この奇妙な出来事に頭を叩かれるように重たかった気分に喝を入れられる。それともこの空気の重さは、この異常を察してのことだったのだろうか。
普通であれば考えられる可能性は二つ。
お嬢様が私を避けているという場合。
これは正直なところ、考えたくない話だ。
全身全霊で応えてきたつもりではある。それでもどこか至らないところがあり、普段は気を遣って距離を保っていたが、咄嗟に避けてしまったとなれば説明はつく。
しかし、自分で言うのもあれだが、そんなことはあり得ないと思った。
ただ、避けられている理由が嫌われていると決まったわけではない。
先にも言ったが、こんな朝早くからお嬢様が起きていること自体が珍しい。言い換えればいつもとは違うということ。
私の知らないところで、いつもと違う日常、何かの異変や異常事態が起きているのかもしれない。
お嬢様はこう見えても齢三百を超える。正確には異能に目覚めた際に副作用的に過去を追体験したという話だ。
まあ、これはお嬢様の口から語られただけなので私には想像で語るしか出来ない。
なんにせよ、このバラバラになった惑星が生まれる前からこの世界を見てきているお方だ。
長い年月を生きるということは楽しい事ばかりではない。楽しい事と同じくらいに悲しいことも経験してきたはずだ。私では思いも至らないような、そんな悩みを抱えている可能性だって十分にあり得るのだ。
そうであるならば、従者としてお嬢様の口から語られるまで、知らないふりを演じるのが私の役割といえるだろう。
お嬢様が決心を固め語り出す時が来るまで、私はただ静かに彼女の側に寄り添い、彼女が必要な時には支えとなるだけでいい。
もう一つ、外部からの侵入者が屋敷内に入り込んでいる場合。
しかし、これは考えにくかった。
というのもこの屋敷内に素性の知れない人物が出入りすることはあり得ないのだ。これは屋敷の防犯が優れているとか、窃盗に遭うような高価な宝石や貴金属が無いからというわけではない。
構造上あり得ないのだ。
この屋敷に市販されているような防犯設備や守衛などは存在しない。加えていうとそれは必要ないからである。それはお嬢様の異能に依るところが大きい。
お嬢様の異能 夢抄『Night Teller』は夢を具現化する能力を持つ。
この夢の定義は睡眠時における自称の感覚に留まらず、夢想、妄想問わない。ちなみに、お嬢様の意識外でのオート運用も可能らしい。
望むのであれば世界中の名産品を、一と数える間にテーブルに溢れさせてしまう程度わけないだろう。それだけじゃない。好きな人を振り向かせることもできるだろうし、富も地位も名誉も自由自在だ。
さすがに時間を巻き戻したり、未来を手繰り寄せたり、星を破壊したり、創ったりと、規模が大きすぎる事象は不可能ではあるようだが、実際のところは試したことがないから判らないとのことだった。
思い描いた物全てを具現化することが出来るとんでもない異能ではあるが、お嬢様はみだりに行使することはない。何でも出来る力は何も出来なくなると同じことだから。
高級品のチーズが欲しくなればネットと睨めっこをして、「どれがいいかな、クラマ?」と楽しそうに私に話をかけてくれることもある。現地に旅行に行ったことも何度もある。
このように線引きはある。それはお嬢様が決めたことだから私がどうこう言う問題ではない。
話を戻すが、そうした結果、この屋敷はお嬢様が許可した人物以外の出入りができない構造となっている。
敷地内に踏み込もうとした瞬間、時間を巻き戻したように後ろに飛ばされる。だから、防犯がいらない。その他の人物、配達員や友人が連れてきた友人はどうなのか。詳しくは分からないがその辺りも自動で判別出来るという話だ。
そう、あり得ない。
ならば答えは一つ。何か私に隠したいことがあって、咄嗟のことでそれが表面上に出てしまい、隠れるような行動をとってしまった。
私はそう結論づけることにした。
冒頭の幽霊屋敷の伏線回収です。




