正体不明の魔獣
「すごいね、これ。なんていうニオイなのかな。腐臭っていうのとはなんか違くて、死臭っていうの?」
嗅いだことのないような、いろいろと混ざり合った独特な臭いが辺りを支配していた。ずっと嗅いでいると気分が悪くなると不快に感じた二人は、口呼吸に切り替えることにする。
思えばおかしな話だ。
探していた影の魔獣とやらはあれから消息を掴めない。しかし、件のトレモロは他からの報告を見るからに収束したと思って間違いない。
これは状況判断でしかないから暫く経過を観察するということになるだろうが、これまでの経験からも新たな事態に展開することは無いだろう。
であれば、影の魔獣は元々トレモロとは全く関係がなかったのか、それとも誰かの手によって消滅させられたのか。
しかし、そうであるならば一体誰が――ずっと疑問に思っているところだった。
少なくとも支部には魔獣を消滅させたという報告は届いていない。
仮にリベルレギオンに所属していないフリーの魔獣狩りという話だとしても、レギオンとギルドは協定を結んでいる以上、報告は行き届いているはずなのだ。
(魔獣狩りでもない。金のためじゃねえ、ただの善意の人助けって事か。酔狂にもほどがある)
「……っち」
「うっ、こりゃ、今日はご飯喉通らないかなー」
違和感を辿った先に在ったのは奇妙な肉のオブジェ。
見たのなら十人が十人、口を揃えて気持ちが悪いと嫌悪感しか抱くことがないだろう、醜悪な物体。
それは生きていた。
生きて地を這いずっている。
見ていたら、一層嘔吐感が込み上げてくる。
そんな、醜悪。
「なに、あれ?」
ほぼ条件反射で鼻と口を手で覆った風花が、もう一つの手で指さす。
「魔獣だろ。潰すぞ」
その直後、二つの“眼のような何か”が二人を捉えた気がした。途端に意思を持ったように“口のような何か”が大きく広がった。
ゆっくりと、確実に這うように近づいてくる。何かわからない液体を零し、その地面に悍ましい色の跡をつけながら。
二人は相手の移動速度を把握すると、一定の距離を保つように後退する。その速度は時速にして百メートルにも満たないだろう。イレギュラーであることは変わりないものの、とりあえず脅威となることはなさそうだ。
何かを叫んでいる。しかし、その物体は音を発しない。
だから、何を叫んでいるかは分からない。
「おかしいな」
「んにゃ?どうしたの、君島くん」
「あいつの“怒気”を奪えねえ。敵意じゃねえのか」
恐ろしい形相で何かを叫んでいる。魔獣の生態は人類に対しての捕食者であることは変わりないだろう。
中には知識や知恵が芽生え、その在り方に葛藤する者もいるかもしれないが、目の前の魔獣にそんな知性があるとは思えない。
目の前にいるこいつは魔獣ではない可能性もある。あくまで可能性だが。
君島の異能 偽装錬環『Deceive liberal』は相手の殺意や怒気、ネガティブな感情を奪い、自身のエネルギーに転換する能力だ。
奪われた相手は自分が何のために対峙しているのかという理由すらも奪われてしまうので、当然、敵前にして無防備を晒すこととなる。
つまり、この能力は種がバレていなければほぼ一方的に相手を無効化、無力化しつつ攻撃を行うことができるという必殺に近い能力ということとなる。
そして『Deceive liberal』は目の前の魔獣らしき何かには反応しなかった。それは脅威ではないということと同義である。だから、現状を見るにこのまま放置しても別に構わないのだろう。
まあ、こんなバケモノが街までやってきたら一瞬で駆除の対象になるだろうが。
「いいよ、こんな雑魚、あたしが全部食べてあげるから」
そんな君島の様子が手を拱いていると映っただろうか。そう言うと風花は右手をゆっくりと魔獣へ翳す。
「封域風鐸」
そう異能を顕現すると魔獣を中心に空間が歪み捻じれる。それはまるでブラックホールの様に収縮していくと、跡形もなく周りの草木や蔦ごと飲み込んでしまうのだった。
「ふう、あとは」
そう一息つくとパーカーのポケットからスプレー缶を取り出して、辺りに振り撒き始める。
「なんだそりゃ?」
「後片づけだよ、後片づけ」
「俺らの仕事じゃねえだろ」
「もちろん報告するけどそれまでに何が起こるかわからないから。ほら、臭いとかが残ってここに来た人が不審がっちゃうと、起きなくていい事件に発展しちゃうかもしれないでしょ。だから、臭いだけでも消しておこうと思って。ってナニコレ、髪の毛?長いね?」
「魔獣のくせに植毛でもしてたっていうのか。笑えねえ」
風花が掴んだ髪の毛らしきものを一瞥してくだらないと一蹴した。風花も笑えないねーと君島に賛同して、暫くの間スプレーを散布し続けるのだった。
「ハイ!終わり!じゃ、帰ろうか!」
仕事は終わり!とでも言わんばかりに大手を振ってもと来た道を歩いていく風花。こんな状況でも道を間違えずしっかり把握しているところは流石だというばかりだが、君島はまだ納得が行っていなかった。
些細なことだ。だから、あとは分析班が何とかすればいい。それだけなのだが。
喉の奥に小骨が刺さったような、目蓋に砂が入った時のような、そんな拭いきれない違和感だけが頭の中に薄っすらと残り続けるのだった。




