穴の中には
「じゃあ、覚悟は本当にいいかい」
夜深が振り返り顔を向けると黙ったままこくりと頷く二人。その頬には一筋の汗が滴るのが見える。
覚悟は決めたといった二人だが、穴の中に何が待っているかわからない状況に緊張は隠せない様子だった。
夜深が石壁に手を付けると、先日の岩壁で見た時と同じように、漆黒の不思議な光が芽を出した蔦に纏わりつき、マンホールの中にゆっくりと伸びていく。
上空にはもう飛竜はいない。
生き物の一匹すら存在しない。
ここに存在しているのは千寿流たち三人だけ。
いや、きっとこの中にクラマがいる。それは間違いない。絶対に、間違いないのだ。
「よし、いいよ。と言いたいところだけど何があるかわからない、僕が先に様子を見ることにするよ」
そう言いながらマンホールに向かおうとする二人を手で制止すると、夜深はマンホールの淵までゆっくりと歩く。
下の様子を覗き込もうと、底の視えない穴に顔を近づけようとしたその時だった。
深淵が真っ赤に染まる。黒から赤へ。この光景はつい先刻見た血に染まった惨劇の赤い雨。
しかし、今回はどす黒く染まった魔獣の血ではなく、燃え盛る様な鮮やかな赤だ。
火炎放射器を正面から吹き付けられたような衝撃に思わず、顔を覆いながら後ずさる夜深。
穴からは天に向かってうねる様な火柱が勢いよく立ちあがる。
温度は分からないが、人を一瞬で灰にしてしまうレベルの火力であろうことは想像に難くない。あと少し後退するのが遅れたのであれば、顔面が炙りステーキと化していたに違いない。
「ははは、あぶな。ほら、何があるかわからないでしょ?」
やがて火柱が勢いを弱め完全に消え去るのを待ち、そう笑いながら二人のほうに向きなおる夜深。
一歩間違えれば顔面黒焦げになっていただろう、こんなとんでもない事態に直面してもこうして笑っていられるのは、夜深が千寿流たちよりも齢を重ねた大人というやつだからだろうか。いや、違うような気がする。
「え、えひひ、そ、そだね」
あっけらかんとする夜深に、ひきつった笑顔でそう返すしかない千寿流だった。
「って、どういうこと!?今のって魔獣の罠!?」
「うーん、どうだろうね。魔獣に関しては僕も理解できてる部分が少ないからね。別の個体ってことも十分に考えられるし。そうじゃないとも言える。つまり何とも言えないよってことだね」
突如上がった火柱、それを夜深は何とも言えないと結論づける。あれが魔獣の罠でないのであればなんだというのであろうか。
いつものことではあるが、千寿流は夜深の考えていることが分からなかった。
状況は芳しくない。こんな火柱が上がる様な罠が仕掛けられているのなら、クラマの生存の可能性は低くなるばかりだろう。けれど、それよりも今は目の前の夜深の身が心配でならなかった。
当たり前だ。クラマを助けたことで誰かがいなくなるのは間違ってるから。
「大丈夫、僕に考えがある」
夜深ちゃんはそう言うとスマホを取り出して画面を何やらタップし始める。その横顔は何やら愉快そうだった。
「ちょっと!夜深ちゃん!こんな時にゲームなんかしちゃってどうしたの!?」
「君じゃないんだからゲームなんてしないよ。よし打ち終わった」
「え?」
そう言うと夜深ちゃんは再びマンホールに近づくと、何を考えたのかそのスマホを穴の中に投げ入れてしまった。
当然の如くスマホは重力に引かれて穴の中に落ちていく。千寿流がマンホールに向かって駆けよるも時すでに遅し、夜深のスマホは深淵に塗り潰されて跡形もなく消えてしまった。
「何やってるの夜深ちゃん!?なんでスマホ捨てちゃうの!?」
「大丈夫、あのスマホ耐久性抜群だから。この穴が深くても壊れる心配はないさ。試したことないから知らないけど像が踏んでも壊れないらしいよ。それって本当に試したのか気になるよね、あははは」
「え。いやいや、そういう意味じゃなくて!」
分かっているよ、という顔をしながら千寿流の頭にポンと手を置くと、夜深は近くの崩れた岩壁に腰を下ろすと、にやりと笑ってこう言った。
「よかったね二人とも。喜ぶにはまだ早すぎるけど、もしかしたらクラマちゃん、無事かもしれないね?」




