おさがりの服
それから十分ぐらいだろうか。試行錯誤、悪戦苦闘の末、目一杯まで服の結び目の部分を小さくし、なんとか飛距離を伸ばそうと試みる。
「これなら さっきよりいける! さっきまでより とおくに とどく! いっけー!」
結び目をギリギリに調整したのだから当然飛距離は伸びる。それは当然の話だ。
しかし、ギリギリに調整したということは、結び目を緩めたとも同義である。そうなればこれもまた必然といえた。
「あ」
千寿流とシャルの声が見事にシンクロする。
「まあ、そうなるよね」
夜深はその横でやれやれといった顔で呆れていた。
結び目の途中から服が(正確にいうと千寿流の服だけ)解けて空中に放り出される。
常識が通用しないこの世界でも、重力という物理法則に逆らうことなど当然できず、千寿流の着ていた服はブラックホールに飲み込まれ、跡形もなく消えてしまった。
「あああああああーーーーー!!!」
大声を上げる千寿流。そのまま崖淵から奈落をのぞき込むも、当然服が見つかることなどない。
「千寿流ちゃん。覗き込むのはいいけど、淵っこは崩れやすくなってるかもしれないから気を付けなよ」
実際、崖側には手すりや柵のような気の利いたものは存在しない。ふとしたきっかけでバランスを崩したり、足場が崩壊すれば文字通り真っ逆さまなのだ。
「うぅうぅ」
肩を落としてとぼとぼと帰ってくると、もう戻ってくることはない事実を受け止め、千寿流は両手を地面につけて崩れこむ。下着姿なので悲愴感を煽る光景だ。
それを見て、いたたまれなくなったシャルが声をかけようと近づく。
「ごめんちずる わざとじゃないの。だから シャルルの おようふくあげる!」
「え、だ、ダメだよシャルちゃん! そんなことしたらシャルちゃんが風邪ひいちゃうでしょ!?」
顔を上げ、シャルにそう返す千寿流。別に本当に落ち込んでいただけで、シャルを責めようという気はさらさらなかった。ましてやシャルの服を代わりに借りようとする気など全くない。
「ううん シャルル きめたもん! ちずるに ふくあげる!」
「だから、ダメだってば! あたし、それは違うと思う!」
不毛な譲り合いは延々と続く。
「いやいや、このままだと二人とも風邪ひいちゃうでしょ。とりあえず命さんのところに戻ろうか?」
そのまま放置しておくと延々と続きそうだ。結局、夜深が命の家に戻ってから考えようという提案をして、しょうがないなという話でまとまった。
「まあ、それは災難でしたね。でも、本当に気を付けてくださいね」
「う、うん、でもさすがのあたしも崖が怖いってことぐらいわかるよ。服のために飛び込んだりしないから大丈夫。だって、落ちちゃったら死んじゃうもんね?」
命は千寿流に対して、トレモロの件もあり、勇気のある子という印象をもっていた。ただ、口に出す気はないものの、その一方で少し抜けている面もあるなとは思っていた。
崖から飛び込む。いくら千寿流が無邪気とはいえ、命もさすがにそこまで浅慮とは思っていないが、あっけらかんとした表情を見てると少し不安になる。
「もちろん崖も危険ですが、町の南方には有害物質があふれる毒海も広がってますし、物陰から魔獣が現れないとも限りませんから」
そう言いながら、保護者の立ち位置でもあるだろう夜深のほうにちらりと目配せをする。
「まあ、いざとなったときは僕が何とかするんで大丈夫ですよ。でも、千寿流ちゃんは思ったよりもしっかりとした子ですよ。少なくとも僕が見る限りはね」
「えひひひひ……へくちっ」
夜深に褒められて嬉しい千寿流は、頬を赤らめさせて笑顔になるが、しばらく上着を着ていなかったこともあり、体が冷えてしまったのか咳をした。
ここまで戻ってくる際に、流石に下着姿はまずいだろうということで夜深に上着だけ借りたのだが、ぶかぶか過ぎてあまり服としての体を成していなかったのかもしれない。
「いけない! すぐにお湯を沸かしますので、千寿流ちゃん、是非お風呂に入ってしまってください! その間にお洋服についても私のほうで用意しますので!」
その後、お風呂にゆったりと浸かって体を温めた千寿流が出てくると、木製の脱衣かごの中に見慣れない服が用意してあった。
(これ、着ればいいのかな?)
他を見渡しても衣服のようなものはないので、ひとまず用意されていた服に袖を通す。
それは黒と白を基調としてところどころにフリルをあしらった、ゴシックロリータを思わせる装いだった。上は大きな赤いリボンとパフスリーブ、下は黒地に赤のフリルのミニスカート、これまたフリル付きでストライプ柄のハイサイソックスだった。
「あう、これ、あたしに似合ってる? こういうの初めて着たんだけど。フリフリだぁ」
「似合ってますよ千寿流ちゃん! そのお洋服はですね、私の母が昔購入したものではあるんですが、結局一度も着る機会が無くて、家に仕舞ってあったんです」
命の子供のころ、誕生日祝いとして母から送られたものだそうだが、当時、とある事件が起き、家を離れなくてはいけない状況にあったという話だ。まだ年端も行かない子供だった命は、せっかく買ってもらった洋服を着られず、三日三晩泣き続けたという。
事が落ち着くのに三年を有してしまい、結局実家に戻った際には成長期だったこともあり、もう着られる大きさではなかったというわけだ。
「今思えば少し苦い思い出ですね。手放す機会はあったんですけど、とても可愛かったので。将来子供ができた時のためということで、大事に保管してたんですよ。」
「え、そんな大切なのもらえないよっ」
なんとなく袖を通してしまったが、命が大事にしていたものだということが分かり、慌てて服を脱ごうとする千寿流を命はギュッと制止する。
「いいんですよ、こうして子供には恵まれましたけど、葵は男の子ですからね。偶然と云ってしまえばそれまでですけど、きっと、そういう巡り合わせなんですよ。その服も千寿流ちゃんに着てもらうために生まれてきたんではないでしょうか? なんて、少し大げさですかね、ふふふ」
そう言いながら軽くウインクをする命。
「僕も何かお礼したいけど、僕にできることなんてないから。千寿流お姉さん、お母さんの気持ち受け取ってください! 僕からもお願いです!」
千寿流が声のするほうに顔を向けると、寝起きだろうか、パジャマ姿の葵と目が合った。
「葵ちゃん」
別にうれしくないわけじゃない。いや、むしろうれしい。
こういう服は着たことなかったけど、みんな『似合ってる』『可愛い』と言ってくれる。まだ少し気恥ずかしさはあるけれど、そんなものすぐに馴れるだろう。じゃあ、この好意を受け取らないのも悪いなと思った。
「えひひひ、うん、葵ちゃん、命ちゃんありがとう! わかったよ。あたし、この服、もらっちゃうね!」




