怯えの奥にある光
――ゴオオオオオ!
洞窟の奥から、風の音とは違う低く重たい音が響き渡った。地の底そのものが唸っているような、腹の底を叩く重圧。
「せせせ、先輩っ!? 今の音っ!」
雪の声は震えていた。言葉の端々が掠れ、息の白さが細くちぎれていく。暗闇の中で彼女の瞳だけが怯えたように光り、まるで照らされた小動物のようだった。
「ああ、奥の方からだな」
沙希は息を吐き、肩を竦める。この辺りで魔獣が出没する報告なんて聞いたことがない。だから、内心緊張はしている。だが、それを悟られるわけにはいかなかった。
こういう時、どちらかが冷静さを保っていないと、恐怖は連鎖していくからだ。
「どどど、ど、どうしましょうっ!?」
「大丈夫、心配すんな雪。魔獣か、それとも冬眠から目覚めちまった熊か分からないが、近寄らなければ大丈夫。なあ、どうするアリシア?……って」
慌てふためく雪を宥め、判断を仰ごうと振り返った瞬間、沙希の表情が固まった。さっきまで隣にいたはずのアリシアの姿が、忽然と消えていたのだ。
「っち! あいつ勝手にッ!」
舌打ちとともに、額に手を当てる。吹き込む風の音で足音に気づけなかった。
嫌な予感が脳裏をよぎる。目の前が丸きり見えていない。あの子は――また、無茶をする。自分の傷を埋めるみたいに。
「ね、ねえ、先輩っ」
「あ? なんだよ?」
焦燥を押し殺しながら、少し苛立ちながら沙希は返す。
「そ、その、えっと」
「あー、はっきり言ってくれ。今チンタラしてられないってのは分かるだろ?」
「す、すみませんっ! その、ですね。アリシア先輩は魔獣が憎いんですか? 魔獣が憎いからこんなことをしてるんですか?」
その言葉に沙希は眉をひそめた。雪の瞳はまっすぐだった。怯えながらも逃げずに見つめてくる。
「……どうしてそう思う?」
「判りますよ。だって、魔獣の話が出た時の先輩の顔は、どこか遠い眼差しで。私と話している時でも、私の後ろ側にいる“誰か”を視ていましたから。そ、それくらいは、私にも分かります」
「そっか。んー、分かったよ」
沙希もアリシアの気持ちは理解していた。雪に口止めをする理由、それは心配を掛けたくないから。
雪はまだ精神面で幼く、脆弱な部分がある。それこそ、自分の意志すらも確立できていない。他人を心配する余裕が無いのだ。けれど、他人を気遣おうとする。それはとても危なげで不安定な生き方に思えた。
けど、それを理解したうえでなお、沙希は不公平だと感じた。目の前にいる、森に迷い込んだ雪ウサギみたいな少女は、今にも泣きだしそうな顔でこちらを見つめている。
(そんな顔されたら、しょうがないよな)
自分の行為が不義理なものだとしても、それがいつだって正しいとも間違いとも思わない。なら、泣きそうな少女の瞳から、零れ落ちるであろう涙を拭ってやるくらいはいいと思った。
「アイツには口止めされてるんだ。アイツに言わないって約束してくれよな?」
「はい」
雪は真剣な眼差しで頷いた。その瞳に映る誠実さを見て、沙希は覚悟を決める。ゆっくりと、けれど包み隠さずに語り始めた。
アリシアの妹が魔獣に殺害されたこと。父と母も同じ日に姿を消してしまったこと。新時代の人類として生まれてしまったために、厄介者として疎まれてきたこと。そして、妹を殺したその仇を探し続けているということ。
語り終える頃、洞窟の奥でまた低く唸り声が響いた。雪は両の手を胸の前で握りしめ、小さく震えていた。




