あなたが笑うなら、誰が笑わなくたって別にいい
洞窟の内部は思っていたよりも暖かい。吹き付けるような風がない事が影響しているのだろうか。そういえば、洞窟内の温度は外の気候に関わらず、年中通して温度の変化があまりないということを聞いたことがある。
「そういや雪。来希からこれ預かってたんだった。こんなとこであれだけど、忘れる前に渡しとくわ」
「え?あ、はい。あ、ありがとうございます」
遊馬来希。雪の通っている学校。正確には通っていた学校のたった一人の友人だ。そう、お察しの通り、雪は現在学校に通っていない不登校である。内情は母親から聞いた話でしかないが、よくあるいじめの類だ。
雪の通う学校、私立白銀修扇寺魔導女学院、通称『銀学』は魔装や異能を扱う――とりわけ魔装の教育に比重を置く、魔導の名門校。そう女学院だ。
わたしにその全てを知る由はないが、霜月という名に対する妬み、相手の被虐心を煽り易い、内向的な性格、そして能力者。考えられる要素はいくらでもある。
いつの時代にもいじめは存在する。理由は何であれ、納得がいく事もいかないこともあるだろう。人と人が生活する以上、それは避けようのない事でもある。人間関係は杓子定規で測れるほど単純じゃない。表面を抑えつけてその結果、熱量がエスカレートするケースも往々にある。
それなら、逃げるしかない。
彼女には“逃げ隠れる空間”が必要だった。その権利があった。
「やり取りくらいしてるんだろ?」
「は、はい」
「ん、ならいい」
必要以上は踏み込まない。辛い時はいつでも手を貸す。それが沙希の優しさだった。送られるのは目配せするような視線。その視線が「雪のことはアンタに任せたぞ」と暗に語っている気がした。
冷たい空気が外と内の気温差に煽られて頬を通り過ぎていく。まるで急かすように。追いつかないと置いていってしまうぞと、無防備な背中を囃し立てる。
そんなこと、解ってる。けど、「心配してる」素直にそれを言ったところで、ただ惨めな思いをさせてしまうだけかもしれない。
ならわたしの役割は一つ。
「ね、雪! ワクワクしませんか?」
「え? えっと?」
「ほら、見てください! 壁に張ってる氷、光を反射してまるで宝石みたいに見えませんか!?」
「わ、ほんとですね。すごく、きれいです」
正直な話、氷が宝石に視えるなんて思ったことない。特定の条件下で、無色透明の透き通った氷が形成される、という話は聞いたことがあるが、目の前にある氷は不純物が混じった濁りのある白。洞窟の造形と相まって神秘的だとは思うが、それだけだ。
けど、そうじゃない。日常の積み重ねが幸福につながるのなら、笑顔につながるのなら、一つ一つを大事に拾い続けていかないと駄目なのだ。雪はそれがどうにも苦手らしい。悪い部分ばかりが反射して浮き彫りになってしまう。独りでいるとネガティブな感情ばかりを抱え込んでしまう性格なのだ。
そう、楽しいことは自ら作り出さないといけない。
なら、今日はその一つ。
「そうだ! 今度はもう少し準備をして、洞窟の中でキャンプでもしませんか? この洞窟、結構広いですし、こんなところでご飯を食べたらきっと美味しいですよ!」
「お、いいね! でもこんなとこで火とか焚いたら、崩れてきたりしないよな? あとほら、一酸化炭素中毒だっけ? ヤバくね?」
「これだけ広くて風の通りが良いなら大丈夫ですよ!……たぶん」
「はぁ!? たぶんって言ったか今お前! たぶんって何だよたぶんって! たぶんで殺されちゃ堪ったもんじゃないぞ! もし中毒で死んでみろ? 絶対化けて出てやるからなッ!」
「あーその、その時はみんな死んじゃってませんか?」
くだらないやり取り。これでいい。誰が笑わなくたって、わたしたちが笑っていられる。その空間が何よりも大切なのだから。
「ふ、ふふふ。あははっ」
雪の口から笑みが零れる。
もう一つを積み重ねていこう。




