悲しみの牢獄
(!?)
不快すぎる声に耳を咄嗟に塞ごうとしたが、体が動かなかった。
手が動かせないことぐらい分かり切っているはずなのに、とっさに動かそうとしてしまうほどに不愉快な声。
「お姉さん、クラマって、いうんだろう?」
(これは魔獣!?私は魔獣に捕らえられて!?)
視界が再度反転する。そこには大きな姿見に映った歪な魔獣と、その腹部に磔のように捕らえられているクラマがいた。
「ご名答。あ、ご名答って正解っていう意味だよ、わかるかな。で、きみのこと、どうするとおもう?」
心で思ったことは筒抜けになった。だから、隠しようがない。
いや、ならば心を無にして殺してしまえば悟られることはないだろうか。試してみる価値はある。
無心になれ、無を考えろ。頭の中を無で埋め尽くせ。
その瞬間、視界が黄色に染まる。
(お゛!? お゛おぉおぉ!? おっほぉおぉおぉ!?)
耳元で囁くように脳内を揺さぶられる。言い表せないような甘美な電流が脳内を焼く。
悪い意味で気持ちの良すぎるソレは、クラマが心をひた隠しにしようとすればするほどに刺激を増す。
これでは考えを断つことなどできない。瞑想は許されなかった。
「ふぅん、なるほどねぇ。おれも、きみを殺すことなんて、アリンコ潰すより簡単なんだけど、それだけだったら、きみはもう、死んじゃってると思わない?」
声をかけられ徐々に思考が戻ってくる。いつの間にか脳を焼くような黄色は青に戻っていた。
悔しいがもっともな話だった。この魔獣は知性がある。そして意思疎通という意味で会話もできる。
加えてどういう状況かまだ判断はつかないものの、自分が置かれている立場は考えうる中でも最悪だといっても過言じゃないだろう。
生殺与奪の権利は完全に魔獣が持っている。加えて思考が筒抜けになるとくればもう自分ではどうすることもできないだろう。
(私を、いえ、私たちをどうするんですか?)
「ふぅん、“私たち”ってどういうこと?」
(遠かったことと目線の角度もあって、しっかりと確認できませんでしたが。蹲っていた人影、おそらく女性ですよね? そうなれば少しは予想も立てられますよ)
クラマはこの不気味な魔獣は、自分のような女性を集めていると考えた。いや、監禁といったほうが正しいだろうか。何れにせよ気持ちのいい回答が返ってくるとは思えなかった。
「……ふぅん、なるほぉどねぇ。良い読みしてるよ、お姉さん。でもさ、話変わっちゃうけど、魔獣ってひどくない? 魔の獣、心を喰らうものって誰が名付けたの? おれたち、意識があって、人間と変わらないでしょ?」
(……)
それもそうですね。と思った。
たしかにこの魔獣はこうして非人道的な行いはしているものの、あくまでも人間と魔獣の関係性は捕食されるモノ、淘汰されるモノでしかない。
この魔獣が狂ってしまったことに一因があるとすれば、それはきっと環境に他ならない。こうして魔獣として生まれてしまった自分。意志を持ち、思考ができた。
なぜ、自分はこうなのか。そう考えたとき、なんだかこの魔獣がなんだか哀れに思えてしまった。
(がッ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!? ぐぁああああああ!!)
視界が赤く染まると同時に再び全身を駆け巡る衝撃。今回は甘い刺激にとどまらず、全身を針で刺すような耐え難いほどの激痛が体中を襲った。
(あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……)
叫び声も上げられなくなる頃、ようやく電撃が鳴りやむ。
時間にして三分ほどだったが、それでも体感では何倍にも感じられた。
先ほどと同じように赤い液体は青へと色を変える。この青い液体は傷を癒す効果があるのか、電源を切るように激痛が鳴りを潜めた。
ただ、電撃の余韻は残ったままで液体の中で呼吸を整えようとするが、上手くできない。耐え切れず零してしまった吐瀉物が液体と混じり不快で堪らなかった。
「おれはもういいんだよ。きみが言ったみたいに、悲しい存在、ってことは理解してる。理解してるし、変えられない、センニュウカンってやつは、簡単に変えられない。だろう、お姉さん」
(……)
考える気力もなかった。けれど、心は筒抜けだ。だから、何を思わずとも伝わったのだろう。
「だから、おれ以外でいいんだ。だから、こうしておれ以外の、可能性を、見つけるために、きみたちを連れてきたんだ」
その言葉に不穏なものを感じた。何かとてつもなく恐ろしいことを考えている。そして、その最悪の予想がおそらく間違っていないだろうことも。
認めてはならない。それはあまりにも非人道的な行いだ。いや、この場にいるのは人間ではなく魔獣だ。だから、人間としての過ちを説くことは不可能だし、意味がない。
じゃあどうすればいい?
簡単だ。この場でこの魔獣を八つ裂きにしてやればいい。そうすれば全てが丸く収まる。
けど、それは不可能だし、もし八つ裂きにできる立場であっても、先ほどの心情を聴いた手前、あまりにも悲しい話だった。
「やっぱり、そうだよね。お姉さんも、そう思うよね。わかってるよ、思い通りの答え、返ってこないことぐらい。だから、こうして動けない状態に、したんだから」
(っくぅ!)
体を千切れんばかりに捻ろうとしても一向に動くことはない。心の中でいくら訴えかけても無駄だ。もうあの絶命してしまうような電撃も流れることはなかった。
この魔獣に人を傷つけて愉悦に思う感情などどこにもない。この魔獣の中でクラマという人間がどういう人間なのか決定したのだ。だから、もう説得は必要なかった。
「大丈夫だよ。お姉さんとは、最後までつながらない。ほかのやつらは、“出せ”や“助けろ”みたいに、うるさいヤツばっかで、どうでもいいけど、おれは、お姉さんの事、キライじゃないから」
おそらくであろう、本心を吐露する水性の魔獣。
「それに、おれのこと、見てもキモいって、言わなかった」
たしかにこの魔獣の容姿は先ほど確認したが、それを見て気持ちが悪いという感情は抱かなかった。それが魔獣の生態だと理解しているからだ。
そして、この魔獣は人との間に子を宿そうとしている。それは前例がないから可能かもわからない話ではあるが、その先に人間との共存、それができなくとも理解を求めている。
そう、ただ、求めているだけだ。
この哀れな魔獣は限りなくゼロに近い可能性を追い求めている。歪なその可能性を。
(お嬢様、どうか、この声が届くなら……)
悔しいが自分にできることは何もない。そんな不甲斐ない自分を呪う。
濁った液体の中、小さく悟られないぐらいの弱音がクラマから漏れ出すのだった。




