餞の夕焼け
ぼくたちは幼いまま。見渡す世界はまるで拙いまま。
人は人違える者を厭い合い、憎しみ拒絶する。
ならば魂は何を望めばいいのか。誰に赦しを乞えばいいのか。
青の反対が赤く染まるように、世界の在り方は反転する。
誰にも看取られないまま、誰にも気付かれないまま、ただ還り、ただ安寧へと。
けど、そうであってほしくないと、心のどこかでずっと思ってきた。
朽ち往くキミに見たのは、あの日の面影。
ただ助けてあげたいと願う少女と運命を祈る少年。
「……ッ!……ァッ!!」
決別の一撃。
森全体を揺らすほどの衝撃。その衝撃が彼の胸を焼き尽くしても、断末魔をあげることはなかった。
『虚返し』は相手の嫉妬めた形を具現化する、相手の渇望する欲求が大きければ大きい程に力を増す、因果応報を体現したような技。
魔獣が望む理想の形。誰かに肩を並べ、誰かに終わりを与えられる存在。奇しくも、その悲願こそが彼自身の終幕を導く刃となった。
それがかつての彼女だったことは、彼にとって救いになったのだろうか?
「……」
チリリと焦げ付くような音が耳元を掠める。空気そのものが焼き切れるような、非現実の残響。虚返しによって刻まれた深い裂け目が、魔獣の身をじわじわと蝕んでいく。
あれだけ強固だった肉体も、今はその大半が抉り取られ微かに震えるだけだ。身体の至る所から血とも涙ともつかぬ黒い靄があふれ出し、夜気の中へと滲み溶けだしていく。
それでも、彼はまだ立っていた。膝を折ることもなく、ただ、真っ赤に燃える眼差しだけを嘘真朧へと注ぎ続ける。
それは怒りではない。憎しみでもない。ただ、静かに――結末を受け入れるような諦観だけがあった。
「……ごめん」
それは幼子を寝かしつける母のような声。嘘真朧の小さな唇から漏れた声は、ひどく優しかった。
自身の為すべき責務。傷つけられた仲間。救われなかった彼。不安定な天秤は彼女の中できこきこと頼りなく揺れ続けた。
かつてあの日、公園で声をかけられなかった自分の幼さを。いまさら悔いても遅いのは理解している。けれど、悔いは消えてくれない。寄せては返す漣のように、胸の奥で重く疼き続ける。
彼女の頬を一筋の涙が伝う。やり切れない思いでいっぱいだった。
どうしてこんなことになってしまったのか?自分がした行いは間違いではなかったのか?他に選択できる余地は無かったのか?もし自分が未熟でなければ全てを救えたのではないか?
いくら考えてみても、その答えが見つかることはなかった。
「ぼくがキミに向けてる感情が何なのか、ぼく自身も、よく分からないんだ」
震える声で言葉を紡ぐ。彼の耳へと届いたのだろうか、魔獣の喉が微かに震えた。声にならない。だが、それは確かに嗚咽に似ていた。
「最後まで独りで戦わせて、ごめん。助けてあげられなくて、ごめん。赦して、なんて言える立場じゃないけれど、ごめん」
嘘真朧が指先を伸ばすと、彼の身体が淡く光を帯びる。いつもと同じ、生命活動を終えた魔獣が霧となって消えていく現象。けどその光は漆黒に塗れても、なぜか温かかった。
抱きしめようと触れると、彼の体躯は音もなく一層溶けていく。
何故だろう。彼の口元が微笑んだような気がした。
溶けた残滓は風に乗り、空に還っていく。
それはまるで――「ありがとう」と告げるかのような、静かな旅立ちだった。
――静寂。
戦いの音も、咆哮も、もうどこにもない。残されたのは嘘真朧一人だけ。彼女はほんの少しだけ笑みを浮かべた。だがその瞳には、耐えきれず涙がにじんでいた。
「……おやすみ、名前も知らないキミ。次は、きっと――」
言葉の続きを口にすることはなかった。日が落ち始めた夕闇に溶けるように、嘘真朧の声もまた消えていった。




