嘘真朧VS三つ目の魔獣4
魔獣は懲りることなく腕を引く。それは紛れもない継戦の意志。人と魔獣、お互いがお互いを敵とみなした以上、くだらない問答など水掛け論にすらならないということ。
渾身の一撃が振り抜かれる。
と思われたその瞬間、三つ目の魔獣は地面を軋ませながら大きく跳躍する。なんと嘘真朧の横を通り過ぎ、その先にある小さな川まで一飛びしたのだ。
嘘真朧は魔獣の予想外の行動に目を丸くした。
「え?」
あれ?なんだそれ?
川が流れている沢の部分は低く窪んでいるため、ぼくの位置からでは魔獣を確認できない。ジャバジャバと音がする。その音はやがて小さくなって――つまり、これは逃げようって話?
「っぐ」
打っても打っても手ごたえの無いサンドバッグ以下の相手。敵わないと見なした以上、もうぼくは敵としての価値すらないというわけか。勝ち目のない戦いほど無駄な事はない。なら、彼にとってぼくとの会話には何の生産性も無いわけだ。
これは不味い。もしここで彼を取り逃した場合、次の標的とみなされるのは全豹さんたちだ。それにぼくとの戦いで気が立っている状態。あそこまでの力を持っていると解った以上、ここで取り逃がすわけにはいかない。
ぼくは慌てて駆けだした。しかし、それが悪手。魔獣にとっての付け入る隙だった。
追跡を試みようと走り出したぼくの眼下。地面を抉る様に振り抜かれたアッパーが、鳩尾ごとぼくを貫いたのだ。
予想だにしない反撃。ぼくは何が起こったのかも理解できないまま、両の腕で防ぐことも出来ずに元のいた場所を越えて吹き飛ばされる。
【「やはりそうか」】
口内に鉄の味が拡がる。肺が勝手に縮こまり、喉から空気が逆流する。胃液の酸っぱさが口の中に滲んでいく。咄嗟の判断、攻撃を流したつもりだが、この威力は洒落にならない。加減を抜いた攻撃をまともに喰らえば一撃で持っていかれるだろう。
揺れる頭を何とか支え、キリキリと痛みを訴える体を起こす。魔獣はすぐ目の前まで迫っていた。けどなるほどね、逃げたと見せかけて死角からの奇襲を狙っていたというわけか。ホント憎たらしくなるほどに“人間”だよね。
【「お前の異能。相手に幻覚を視せるものだな?」】
「……」
魔獣は品定めをするように、ぼくの身体を足元から頭まで舐めるように観察する。恐らくは反撃の糸口などが無いかの確認。随分と用心深いな。いや、ぼくが用心深くしてしまっただけか。
ぼくは口元から滴り落ちる血を拭いながら上体を起こそうとするが、伸ばした腕にがっしりと掴まれ、そのまま押し倒されてしまった。
【「完璧な力などこの世には存在しない。在り方には綻びが或る。それを餌に煙に巻く。弱者の戦り方」】
ぼくの腕を掴む力に熱が籠る。怒りが嘲笑へと変わり、身体に浮き出た血管がドクンと脈を打つ。不敵に歪んだ三つ目が集約する。完全に逃げ場を失ったのだ。
あれだけの攻撃を全て往なしたのには当然だけどタネがある。しかし、ぼくは駆けだす際に異能を解いていた。
だから、今のぼくに異能による補助はない。このまま腕を封じられたまま三つ目の発動を許してしまえば、魔眼に耐性の無いぼくはたちまちその存在ごとぐちゃぐちゃに破壊されてしまうだろう。
けど、こうなることを予想しなかったわけじゃない。
「けど、弱くてもぼくたちは“生きてる”」
だから先ほど攻撃を受けた時、力を抜いて“この場所”まであえて吹き飛ばされるフリをしたのだ。
【「なにッ!?」】
嘘真朧の“言葉”がトリガーとなりそれは発動する。その瞬間、幹に刺さった特注のナイフが青く発光。周囲の温度を一気に引き下げると同時に、円状に氷の槍が発射される。特注のナイフの正体は何も、宝石がちりばめられているわけでも、金の意匠が彫り込まれているわけでもない。
__そう、ナイフに刻まれているのは魔装紋。
魔装紋が組み込まれている道具は形、用途に関わらず総称して『魔装器』と呼ばれる。魔装紋が記されている魔装書籍も便宜上は魔装器の一つ。
魔装は血を媒体とする以上、その効力を最大限に発揮するために人体に直接彫ることが多い。それですら数十万は下らない。
そんな魔装の力を誰でも、そして一定の出力以上を安定させること自体が職人の離れ業。そして今回の場合、それを携帯のしやすいナイフに刻印するというのだから、その価値がどれくらいの額に上るかは想像に難くない。
「ふふふ、けど命はお金で買えないからさ。仕方ないよね」
肩を汚した土を振り払いながら、ぼくは魔獣に対して笑みを返してやった。




