嘘真朧とミル2
「……あ、あの、アタシ、今、誰とも話す気ないんで」
「うん、知ってる。けど、なんだろーな。上手く言えないけど、ぼく、もう後悔したくないんだよね。迷って見送って、後でこうしておけばって落ち込むの、もう嫌なのよ」
それが強いっていう事なら、それは一つの形なんだと思う。フードの女は自分語りをするように遠い空を見上げてそう語った。
「今こうして声を掛けなければ、ぼくは絶対に後悔すると思った。だから声を掛けた。正直ね、理由はこれだけ」
「余計な、お世話ですよ」
それから暫くの間、沈黙が続いた。立ち上がるタイミングをすっかり見失ってしまったアタシは、そのままふさぎ込むように頭を下げて、隣にいるフードの女が去ってくれるのをひたすらに待った。
今はもう、鎌を自分に突き立てる気もない。どこかの誰かが言っていた。自殺だって元気が無いとできない。動くだけの心のエネルギーが必要なんだって。だから無理。今日はなんだか疲れた。
だから、喋る気もないならさっさと消えてほしい。と、アタシは精一杯に不機嫌な様子を全身で伝えているのだが。
「ね。空、きれいだね」
「きれいじゃないです」
口を開いたと思ったら、時折交わされるのはくだらないやり取り。意味も何もない事務的な言葉たち。
くだらない時間。くだらない関係。
何のためにこの女はここにいるのか。
しびれを切らしたアタシはなりふり構わずに立ち上がろうとした。ずっと座っていたせいか筋肉が硬直して所々痛い。これもこの女のせいにしようとして止めた。勝手に座っていたのは自分のせいだ。帰りたいならさっさと帰ればよかったのだから。
「もう行くの?」
「もう帰ります。意味わかんない時間でした。これっきりにしてください」
掛けられる声を一蹴し、別れの言葉を突き返す。もういいや、あれこれなんか考えるのも面倒くさくなってきた。とりあえず今日は帰ってさっさと寝よう。
「ごめん!上手く話せなくて!」
「きゃ!なにっ!やだ!」
去ろうとした後ろから抱きしめられる。咄嗟のことに思わず声が漏れてしまった。
「ちょ!何ですか!?や、やめてください!放してくださいっ!」
そう言っても、フードの女は離れようとしなかった。腕の力は強くない。簡単に振り払える。けれど、不思議とアタシの身体は動かなかった。身体は自由なのに、どこか深いところが固まっていた。
「喋るのっ、苦手なんだ、ぼくっ!だからっ!言いたいことはあるけれど、上手く伝えられない!」
その声は、まるで空の色を体現したかのように寂しくて、か細くて、そしてひどく優しかった。
「……視て、いられないんだ」
震えるような声に、アタシは肩を震わせながら唇をぎゅっと噛んだ。哀しいという感情を痛みで塗り潰すように、血が出る寸前まできつく強く。
「……っ!」
だって認めたくなかった。涙なんて出したくなかった。ずっと、もう泣かないって決めてた。
あの日弱かった自分とは決別したんだ。強くなったんだ。強くなったんだから、弱さなんて必要ない。哀しみなんて、心に置いていかなくていいはずなのに。
「……なんで」
ポツリと漏れた言葉。空気が抜けるように吐き出される。自分でも驚くほど弱々しい声だった。
「なんで……あたしが何も言ってないのに……そんなこと……」
「だって、泣きそうな顔してたから」
そう言って、彼女はようやく腕をほどいた。少し照れたような笑顔を浮かべながら。
泣きそうなのは自分だろ。なんて言い返す気力もなかった。
「夕日って気持ち落ち込むと思うんだ」
「……」
「えっとね。なんだろうな。つまり、ぼくが言いたいのはさ。キミにいなくなってほしくないなって、それだけ」
ミルは、ぽかんとしたまま立ち尽くした。
その言葉は、あまりにまっすぐで、あまりに不器用で、でも――あたしの中にずっとあった空白の真ん中に、するりと収まった。
心も感情も無くなって生きていけるほど人間は強くない。それはあの日決別した弱かったアタシ。不器用ながらも寄り添って、十二年間という月日を共にしてきた、かけがえのない存在だったのだ。
誰かに必要とされたいと思っていたわけじゃない。誰かに理解されたいとも、愛されたいとも思ってなかった。ただ、自分が壊れていく音を、誰かが受け止めてくれる――それだけで、ほんの少しだけでもいいから救われた気がした。
それだけでよかったんだ。
「アタシ、宝城ミルです。お姉さんの名前、教えてください」
アタシは思わずそう訊ねていた。自分の中の声をなぞる様に、温度を確かめるように。
「あ、うん。ぼくはね、ほの――いや、嘘真朧。よろしくね、ミルちゃん」
弱さも強さも別々の感情じゃない。全てが合わさって一人の人間なのだ。一生強いままでいられる人間なんていないのだから。それに弱い自分を壊したって、自分が変われるわけじゃない。自分自身が変わらなければずっと弱いままなんだ。
アタシはそれも理解できていたはずなんだ。だって、答えなんて初めから解っていた。周りの目が変わったのではなく、周りを視る自分の目が変わったのだと。
アタシは背を向けて少しだけ微笑んだ。恥ずかしくて声に出すことはなかったけれど、けれど確かに唇でそう呟いた。
__ありがと、嘘真朧さん。




