嘘真朧とミル
別に二重人格というわけではない。赫く焼け付く様な感情は“宝城ミルの中に眠っていた数ある意識の中の一つ”に過ぎないのだから。
ミルは信頼していた先生に裏切られたあの日、自身の弱い心を殺し、強い自分へと生まれ変わることを望んだ。生まれ変わることが出来た彼女は、今までの自分とは比べられないくらいに、快活な性格になることができた。
自らが授かった異能。異能の性質については、顕現した時点で脳内に全ての情報が流れ込んでいる。だから、この感情を刈り取る力『Walpurgisnacht』によってもたらされる変化、この力で何が出来るのか、どう変化するのか、ということは理解できていた。
けれど実際はそんな単純な話ではない。理解できていても納得ができるかは全くもって別の話。その日からは苦悩の連続だった。自身の性格の変化。それに伴い変わる周囲の反応。友だちだけではない、実の両親にさえ疑いの目を向けられたこともあった。
納得させようと思えば思うほど、本来の自分という存在が希薄になっていく。感情を殺した自分。どこかに消えてしまった自分。本当の自分がどこに存在るのか。こうして息をしている肉体なのか、この鎌の中に取り込まれてしまっているのか。それすらも朧気になっていく。
一人でいる時はいつも気が狂いそうだった。毎日見る鏡には自分の姿をした誰かが映る。歪な関係を細い糸で繋ぎ止めたような日常。その連続の日々。
違和感を違和感と捉えてなお、心は打ちひしがれることなく健全のままだ。記憶が無くなったわけではない。過去の弱い自分を知っている。この異能で生まれ変わったことも理解している。
けれど分からないのはその在り方。
__弱い心はあの日死んだはずなのに、苦しくて辛いのは何故?
今の自分は本当のアタシじゃない。
__いっそこの鎌で心ごと殺せたなら。
両親はアタシを通して誰か別の人間を見ていた。
__今この瞬間、この胸に突き立てれば、楽になれるのだろうか?
「それはお勧めしないな。だって死んじゃうよ、キミ」
不意に後ろから声を掛けられる。アタシの心の中でずっと渦を巻いていた“死”という選択を当てられてドキリとする。いやいや、この力を知っているのはアタシだけ。こんな初対面の人に理解できるわけがない。
「考えて答えが出ないこともある。もともと答えが無いものには、回答なんて出るわけないもんね」
そう言いながら馴れ馴れしい仕草で隣に腰を下ろしたのは、真っ黒の犬耳フードを深めに被った女だった。服の至る所に付けられている缶バッジやアクセサリーを見て、チャラそうだなと思った。だから、第一印象はそれだけ。
続いて浮かんだのは面倒くさいという感情。こういう人種は人の気も知らないで、ずかずかと踏み込んでくるのだ。相手を困ってると決めつけ、頼んでもいない説法でも語り散らして悦にでも浸りたいのだろうか。変なのに絡まれる前にさっさと退散したほうが良い。善行の半分は偽善で出来ているのだ。
アタシは未だ重たい腰を上げようと体に力を入れた。
「世の中分かんないことだらけだよ。あれも分からない、これも分からない。分からないからってAIに相談してみたりなんかしてさ、あれ?自分何やってんだろーなって思うし。だってほら、今日の晩御飯だって何にしようか迷ってるぐらいだし」
そう言って、隣の女は缶バッジだらけの袖口を弄びながら、ふふっとぎこちなく口元を緩めた。
いきなり何を言い出すんだ。言っている意味が分からない。とはこのことだろう。何か言いたいことがあるなら、しっかりと内容を決めてから話しかけてほしいものだ。
アタシは眉を寄せながらも、なぜか腰を上げるのをやめてしまっていた。この妙に間合いの近い相手に対して、警戒心は残っていたが、それ以上に何か、気持ちを見透かされているような気配がしたのだ。
「誰ですか。人の話盗み聴きして」
「あ、喉乾いてるかな?ジャスミンティー飲む?」
そう言いながらフードの女は手元のペットボトルを振る。というかなんでジャスミンティーなんだ。そんなもの好き好んで飲むヤツの気が知れない。あと飲みかけだ、信じられない。
「いりません。っていうか答えてくださいよ!」
「ごめんごめん。お邪魔ってのは解ってるのよ。だって今のキミ、誰とも話なんかしたくないでしょ。顔に書いてあるし」
「っ!じゃあ、なんでっ!」
「なんでだろうね。ははっ、分かんないね?」
その軽々な物言いにイラっとした。あれ、何でアタシはこんなに怒ってるんだ。こんな奴に。どうでもいい奴なのに。
逃げるようにアタシは視線を逸らした。弱い自分はもうどこにもいない筈なのに。あの日決別したはずなのに。どうしてこんなに悲しくて悔しい気持ちになるんだ。こんな姿、誰にも見られたくないのに。
ああ、ダメだ。弱いアタシがまた生まれてしまった。
早く。疾く、殺さないと。




