火種2
ミルは和也だけではなく、九嵐とアリナにも痛覚の“感情を殺す鎌”を突き立てた。和也には念を押して傷口は塞がっていない事、疲れが出ない点についても、一種の催眠術の様なものだとは伝えておいた。
痛覚を殺されたことにより、激痛を感じなくなった和也の足は軽い。一刻も早くこの森を抜ける。二人を治療する。それしか考えていないからだ。嘘真朧とミルの二人は後ろを警戒しつつ和也の後ろを追いかける。
「なんかあったんですかね?」
和也には聴こえない声でミルが嘘真朧に問いかける。
「そんな当たり前のこと、訊く?」
通信が遮断されたこと。間違いなく九嵐の異能の無音空間によるものだ。そして傷だらけの三人。規格外の魔獣。何があったかなんて火を見るより明らかだ。
「いえ、すみません。なんていうか、平和ボケってヤツですね、コレ」
「どういう意味?」
「アタシちゃん。団長や執音くんたちといっしょにいる時間が楽しくて忘れてたんです。この世界が最低最悪で、あまりにも無慈悲でクソったれっていう事に」
流れるのは一筋の涙。見逃してしまいそうなほど小さな水滴は、頬を伝って森の闇に消えた。忘れたい過去も、忘れてはいけない想いも全て飲み込んでいく。
「軽い言葉ばっかで、お茶らけてて、ホントダサい。えへへ、やっぱこの異能に大事なとこも持っていかれちゃったんですかね?」
それは違う。彼女の快活さは別に軽薄さから来るものなんかじゃない。弱い自分に決別して変わろうと思ったから生まれた“変化”と云う名の成長なのだ。
そんな彼女の強さを、彼女だからこそ理解できた強さを、嘘真朧は知っている。同じ時間を過ごしてきたから解る。それだけは間違いない。
けど、今自分が慰めたって何にもならないだろう。
「あとで全豹さんと話してみなよ。キミのことどう思ってるかって。彼なら忖度無しで話してくれると思うし」
「うん、そうですね」
このまま外に向かって走り続ける。まだ茫然としてくれているのか三つ目の魔獣が追ってくる気配はない。しかし、数分ともしないうちに追いかけてくるはずだ。ともすれば全員が全員逃げ続けるわけにはいかない。あんなバケモノが街にまで現れてしまったらそれこそ最悪。
嘘真朧たちは戦闘の離脱とは他に、三つ目の魔獣を処理、ないし撒いてやる必要があるのだ。それは容易な事ではない。あの魔獣には意思がある。こちらを何が何でも害してやるという殺意がある。
「うっへ!?マジヤバですよアレ!?デカブツの他にも小さい犬っころまで!」
「魔獣の装甲が薄くなっている。きっと剥がれ落ちた殻が魔獣に変化したのだろう」
和也が目を細めてそう推測を立てる。装甲から剥がれ落ちたのなら、数に限りはあるだろうが戦力差は絶望的。
「数の暴力で押し切られるとさすがにきついね」
「ひぃー、絶望じゃないですか!?今日がアタシちゃんの命日!もうおしまいだァ~!」
「ほんと、絶望的よね」
笑えない冗談を交えつつも、しっかりと退路を探しながら逃げ続ける。
「そこ右!」
「は、はいっ!」
その後も短いやり取りを交わしつつ、一心に出口を目指す。詳しいマップは手元にないとはいえ、ある程度の方角は全員が理解していた。だから、その細かな指示が魔獣を撒くために必要な事柄であることも理解していた。
「あ、こっからさき団長は左で」
目の前にはトンネルと三十メートルほどの小橋。街に続く道はトンネルを抜けてさらに直進した先だ。
小橋の先はどこに続いているのか分からない。橋の下には奇妙な色の川が流れていた。見渡すと木々の先にゴミの山が窺える。廃棄物から流れ出た汚染物質が混ざって流れているのだろう。
嘘真朧は頷くと、迷わず小橋の方向へと走り出す。
「そっちは違う!団長!」
「はぁ、いいんですよ、全豹さん。アタシたちはトンネルをくぐって病院へ向かいましょう。言いましたよね?怪我診てもらわないとヤバいですから」
「だからッ――」
和也はミルへと顔を向け言葉に詰まる。あれだけ騒がしかった彼女の表情が冷静だったからだ。
和也の腕は全体が鬱血していて、ところどころから血が流れだしている。ミルの異能のお陰で痛みこそ感じてはいないだろうが、素人目にも早く医者に掛からないと危険な状態であるのは明白だった。
「ほら、手震えてますし。アタシ、魔装はよく分かんないですけど、もう無理でしょソレ。無理するだけで勝てるのなら誰だって最強になれますよ。それこそ、アリンコでも人間様をぶっ殺せるくらいにね」
「……っ」
鬼気迫る表情。仲間を窮地に追いやった自責の念。きっと彼はまともな思考が出来ない状態なのだろう。だから、和也を説得するためにミルは少し語気を強める。それでも自分の命を投げ打つというのなら、気絶させてでも止めなければいけない。
和也は自分の腕を見る。自身の意思とは関係なく小刻みに震えている。痙攣反応だ。こんな状態で魔獣と対しても何の役にも立てないだろう。自分のことを俯瞰で見ることが出来たのか、少しばかり落ち着いた表情でミルに向き直りこう言った。
「……彼女は、強いのか?」
「んー、そうですね。団長は――」




