何でもない日の何でもないような非日常3
その時、アリナが何かを思いついたように手を叩き、スマホに文字を打ち始める。
『これって想定外よね?なら苗鳩さんに協力を仰ぐのはどう?』
それは考えた。しかし、嘘真朧たちに助けを仰ぐにしても、この場所を知らせるにしても異能の影響下では意思疎通は出来ない。異能を解く。つまりはあの魔獣にもこちらの居場所を知らせるということだ。
『ダメです。危険すぎます』
そう。それは――避けたい。
嘘真朧たちの居場所が分からない以上、ここに辿り着くかも確証が無いのだ。半面、魔獣はある程度こちらの位置に目星をつけているだろう。彼女たちがここに辿り着くのが先か、魔獣が追い付くのが先か、そんな目に見えている賭けはしたくはない。
それにあの三つ目の魔獣は異常だ。いくら『嫉妬』の団長といえど勝てるかどうかわからない。そもそも『嫉妬』自体が戦闘向きではないことは事前に周知済み。
もし団長の実力で敵わない相手だったら?ならば団長を危険な目に合わせない事も団員のチームワークとはいえないだろうか?
九嵐は考えた。そして悩んだ。その末の答えが先ほどの提案だった。
『大丈夫。私たちならやれますよ。三人そろって合格と行きましょう!』
そう伝えると勢いよく立ち上がり九嵐は駆けだす。細心の注意を払っても微かな痕跡までは消しきれない。魔獣はこちらに当たりをつけている。直にこちらの位置はバレる。逃げても逃げても体力では到底かなわない。なら、ここからは時間との勝負なのだ。
移動しながら右足と左足で地面を交互に叩き、無音空間を和也たちがいる後方まで展開する。
静寂回廊『Calm Belt』は右足の地面を叩く強さで距離を決定し、左足は叩けば一度だけ踵の先に向かって空間生成の指向性を変更することが出来る。
指向性はともかく、右足は叩く力で空間の規模が変化する。強すぎれば負担が大きく、弱ければ彼らを守ることが出来ない。これは想像以上にデリケートな能力なのだ。
少しは休めたがまだまだ万全には程遠い。というよりもフラフラだ。普段ここまで力を酷使することはなかったから、今の状態が異能の許容限界値を通り越しているのかも分からない。けど、もし今回の機会で倒すことが出来なければゲームオーバー。文字通りおしまいだ。
(なら、考えるまでもない。ふ、ふふふふっ!あははっ!)
こんな絶望的な状況なのに九嵐の身体は高揚していた。疲れも痛みも凌駕するほどの充足感が彼を支配していたからだ。まさかこんなつまらない異能がここまで役に立ってくれるとは、この前までは露ほども思っていなかった。
(この力で彼らを守れるなら、この場にいる意味もきっとあった)
此処にいる意味があった。
「なんそれ?なんかもっとすげーモンだと思ってたし。ほら!漫画とかだとすげーじゃん!九嵐のなんかしょぼくね?」
生きてきた意味があった。
「その異能は明かさないようにね。音を消すだけって、逆に、ほら。ねえ?あ、何その顔!お母さん、あなたのこと思って言ってるんだからね?」
それが嬉しいんだ。
「無音空間ですか。けど、お互いの声が聴こえなくなるんでしょ?それ、何か意味あるんですか?」
____だから。
「お前は私が相手をしてやるよ」
【「ぁぁぁぁ――」】
唸り声。その悍ましくも酷く落ち着いた低い声に、全身の毛穴がぶち抜かれるように逆立った。これが恐怖?それとも武者震い?いやいや、そんな生易しいものじゃない。
これが私の晴れ舞台。日陰で生きてきた私が価値を証明するために与えられたステージ。とっておきの見せ場なのだから。なら、この震えすらもオーディエンス、賛辞の一環に過ぎないさ。
目標との会敵。思ったより早かった。いや早くて助かった。彼らとの距離が開けば開くほど異能への負担が大きくなる。時間も同じ。だからさっさと目の前に来てくれたことは喜ぶべきこと。想定外の幸運。
「水無月さんからの連絡っ」
二人は示し合わせるでもなく頷くと音を立てないよう立ち上がる。
「なんですか?何か言いたそうな顔してますね?けど、喋れるほどの知恵はないですよねえ?だって魔獣なんですから」
出来るだけ時間を稼ぐと同時に挑発をして気を惹き続ける。魔獣が悠長に会話に付き合ってくれるとは思えないが、彼らの奇襲を成功させるには少しでも長く、一秒でも長くこの場に相手を留める必要がある。
【「あのクズどもはどうした?」】
「なっ____しゃべ」
その瞬間。空間が切り替わる。
「あ」
否。
「あ、ああああ。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」
全身がとてつもなく痛い。全身を雷の様に駆け巡るのは、上がり続けるボルテージでも二の足を踏む恐怖でもない。ただ生物としての痛覚。激痛だ。動かない身体、霞む視界。込み上げる吐き気。そうして漸く木の幹にめり込むように吹き飛ばされたと気付く。
「ごほぉッ!ごぷっ!」
堪らずに吐血する。吐き気が抑えられない。骨が折れ臓器に突き刺さっている。内臓のいくつかをダメにした。触らなくとも解る。突き刺さるような鋭利な痛みが否応なしに突きつける。
私が相手をしてやる?何様だ。どの口が言った?会敵してその実力すら測れないなら弱者強者の話ではない。時間稼ぎすら出来ていないじゃないか。
【「あのクズどもはどうした?」】
二重唱の様な昏い声。獣の唸り声と、人の怨嗟が混ざり合った様な不協和音の二重唱。
首筋に長く伸びた爪を当てられ、もう一度問いかけられる。それぞれが別の方向を向いていた三つ目が、ぎょろりと一斉にこちらに向けられる。歪むような視界に映るのは、大きすぎる眼に落雷のように走る血線。
それは、次関係のないことを口走ればその瞬間終わりにしてやろうと、暗に語っているような気がした。




