何でもない日の何でもないような非日常2
「ね、ねえ、団長、遠くだけど今の音」
今の音、明らかに異常だ。感覚で分かる。彼らによるものではない。そして音の発信源はここからそれなりに距離が離れているはずだ。
この森で確認されているものはC級以下。それもD級が大半を占めているはず。そんな低級の魔獣が森全体を揺るがすような音を放てるわけがない。
未確認。絶体絶命。全滅。
不吉な言葉が次々と嘘真朧の脳裏に過る。
「急ごう。彼らが危ない」
撤退を決めた三人だったが、九嵐の消耗に合わせて異能の綻びが見え始めていた。移動しながらの無音空間の連続展開。その合間にはどうしても展開と展開を繋ぐために隙が生じるのだ。
万全の状態であれば展開の規模をA地点→B地点と張った後に、B地点→C地点と重ねる様に展開することで、空間内に身を潜めながら移動することが可能だったが、今の九嵐にはとても正確な空間の展開を繰り返す余力は残っていなかった。
その隙を見逃す魔獣ではない。圧倒的な力を持つ魔獣にとって脆弱過ぎる人間は格下。弱肉強食、獲物でしかない。普段であればそんな格下の一匹や二匹、逃げ遂せたところで追いかける気もなかったのだが、今回は違う。
刈れると思っていた人間に出し抜かれた。当たり前だと思っていたことが裏切られたのだ。
それはとても耐え難い事。強者としての矜持が到底許さない。九嵐が視界から消え失せた時、三つ目の魔獣は何が何でも追いつき、屠り、蹂躙し、喰らい尽くすことに決めたのだ。
それは決定事項。誰が何と言おうと覆らない。たとえその先に地獄が待っていようとも、本能の赴くまま魔獣は九嵐たちを追いかける。
三つ目の魔獣は湧き上がる怒りの感情に身を任せ大地を抉り、木々を抉り倒す。背後から聴こえるその轟音を耳にしながら九嵐はニヤリと苦笑する。
苛立ち。それは九嵐の異能に適応するのに、まだ時間を要していることに他ならないからだ。見渡す限りの木々、この森は隠れ蓑の宝庫だ。わずかに残る足跡を辿りながら、ぎこちなく追ってくる魔獣を巻くことなどそこまで難しくはない。
一つ不幸な事があるとするならば、魔獣が位置取るのは出口へと続く道の直線状だということ。必然、魔獣から距離を放すために、より深奥へと逃げるしかなかった。
(臭いを辿られていない、その保証もないですからね)
「水無月さんっ、どうするの?このまま逃げ続けるって方向まるきり逆じゃない!?」
アリナが九嵐に並びそう問いかける。もちろん、声は届かない。しかし、九嵐には読唇術の心得がある。正確に読み取ることは出来なくとも、ある程度何が言いたいかは理解できる。
九嵐は安心させるように頷くと、右手であらかじめ決めていたサインを作ってみせた。
『合図をするからもう少し進む。今留まるのは危険』
傍から見ていた和也も頷き、その意見に同意する。そもそもが満身創痍の状態だった。体力勝負では魔獣に勝つことは出来ない。なら、知恵を絞ってやり過ごし、死角から強襲する。この方法しかあり得ないと考えたのだ。
九嵐は懐からスマホを取り出すと何やら文字を打ち始める。
「っ!?」
九嵐から送られてきたメッセージを見て二人は驚愕する。
『三つ目の魔獣は恐らくA級以上。正面切っての戦闘は自殺行為。私の考えを書きます』
『逃げていて分かったことですが、追跡能力自体はそこまで高くない』
『音、臭い、足跡。この中なら恐らく聴覚が一番発達している』
『だから、立ち止まれば異能を解除しても魔獣の追撃は直ぐに来ません』
『合図とともに九時方向に五十メートルほどの無音空間を形成します』
『二人はそこで待機を』
『私はあえて音を立て出来るだけ開けた場所に魔獣を引き付けます』
『あとは魔獣への攻撃は炎堂さんの攻撃で足場の体勢を崩してからの、全豹さんの魔装の二段構え』
何回にも区切られて送られてくるメッセージ。二人は生唾を飲みこみながら黙読する。
九嵐は本能で感じ取っていた。圧倒的な強者を前にした時、弱者はその身を投げ打ってでも立ち向かわなければいけないことに。それが、たとえ嘘真朧の思惑と違えようとも。
もちろん九嵐だけではない。二人ともまだまだ未熟なところは多いが決して無知ではない。対峙したあの一瞬で理解した。自分たちの力があの魔獣に及ぶことは無いということも、誰かが矢面に立たなくては逃げる事すらままならないことも解っていた。
だから、九嵐の言いたいことも理解できた。しかし、それはあまりにも無謀な賭け。成功する保障などどこにもない継ぎ接ぎだらけのチームワークだった。




