嫌な過去を観た
感情の波に侵されてゆっくりと意識が遠くなる。それは自分という存在が、何か強い力で塗り替えられていくような――そんな感覚。
抗わないといけないと思いつつも、身体はまるでいうことを聞かなかった。鎖で縛り付けられているわけでもないのに、指先一本すら動かすことは出来なかったのだ。
(いや、このまま身を委ねれば)
良い事なんてここ最近何も無いもんな。
(この昏い感情からも解き放たれるのだろうか?)
__ならいっそ、このまま。
そう思い、力を抜いて全てを手放そうとしたその時だった。
「ねー?」
真っ黒な空間に、どこか間の抜けた明るい声が降ってきた。頭上から、まるで鈴を鳴らすように。ここには自分しかいないはずなのに、その声はたしかに──誰かを、呼んでいた。
それはきっとぼくに呼びかける声。だって、ここにはぼく以外誰もいないのだから。
(だれの、声?)
その声に聴き覚えはないが、何故か安心できるような気がした。
「だんちょー?んー、だんちょうってば、どうしたんですー?」
「ん、ミル……ちゃん?」
目蓋を押し上げる。薄っすらと広がる眩い視界には、見知った彼女が立っていた。
「だんちょう?ねーねーだんちょう?起きてますかー?」
「え?ああ、ミルちゃん。ごめん、ちょっと落ちてた。はぁ、駄目だな寝不足かも」
頭を押さえながらゆっくりと上体を起こす。頭はまだ少しふらつくが体調は問題なさそうだ。
ミルちゃんの話によると、ぼくは立ち眩みをしたような表情を浮かべた後、そのまま木々を背に座り込み意識を失っていたらしい。
「いやもう、ちゃんとしてくださいよ!アタシちゃん救急車呼ぼうかなって!まあ、こんなトコ来てくれるか分かんないんですけどね!あはは!」
ミルちゃんはほっぺをぷくっと膨らませながら、でもすぐに笑顔になりどこか楽しそうに言う。
「ごめん、少し、ネガティブ入ってた。最近仕事が忙しかったからね」
「そういえば団長朝から体調悪かったですもんね。まだ休んでますか?」
「それは魅力的な提案だけど、そういうわけにはいかないでしょ。ぼくが視なきゃぼくが納得できない」
ミルちゃんを信じていないわけじゃない。ただ、彼らは危ういのだ。個々の能力が決して低いわけではない。譲り合うことが出来ない傲慢さ、それも少しずつだが克服している。チームワークには程遠いが円を描こうとする努力は感じられる。
けれど、その全てが不安定。魔獣との戦いは想定外を想定するところから始まる。彼らにはそれが決定的に欠けている。強いていえばその片鱗を感じ取れる可能性があるとすれば、ギルドからの叩き上げの炎堂アリナのみ。しかし、彼女のあの様子ではまだまだ未熟と言わざるを得なかった。
その裁定をミルちゃん一人に任せるのはあまりにも酷だと思った。
「じゃあ、団長の心がぽきっと折れちゃったらアタシの出番ですかね?」
嫌な過去を見た。
人間だから頑張ってもどうにもならない時もある。言葉だけじゃ伝わらない気遣いもある。心に任せて感情を振り回せば、すぐに誰からも愛想を尽かされるのだろう。
向けられた手を掴みぼくは立ち上がる。その手は冷たくも暖かい。揺りかごの様な温度は身体を駆け巡り、やがて中心へと至る。
気持ちを感じ取れば本質はいつだって胸の中心、心にある。
「でも、大丈夫ですよ?ぽきってなっても、ちゃんとまた育ちますから!お水と、お日さまと、あとちょっとだけ、甘いおやつがあれば!」
「ふふ、ぼくは植物かなんかなの?おやつは……キミが食べたいだけでしょ」
「えへへ」
ぼくが植物なら、きっと彼女はお日様なのだろう。植物は日光を浴びなければ生きていくことは出来ない。彼女はぼくにとって必要な存在なのだ。
正直、いつも偉そうなことを言っている身としては、そんなことを口にするのは少し恥ずかしいけどね。




