渦中滲紅5
「ふぅ……もぉ、限界だ」
湧き上がる感情に身を任せ、当てもなく駆けた。けれど、体力の限界は直ぐにやってくる。
B級の魔獣の報告、近隣の森で確認されたという事しか情報がない以上、どう頑張ったって探しようがない。数少ない通行人に訊ねてはみたけれど、情報らしい情報は得られない。当然だ、理解していたらこんなところを呑気に歩いてなんかいないだろう。
先ほどはそんな当たり前の事すら、考えることが出来ない程に冷静さを欠いていた。
「なんだよ、ぼくは。自分の感情すらまともにコントロールも出来ないのかよ」
途端に鈍い痛みが頭を襲った。魔獣を屠る全能感。高揚していた気持ちはこの頭痛を抑えるためのものだったのだろうか。
フラフラした足取りで近くの手すりを掴む。ひんやりとした冷たい感触と共に、頭痛は染み込むように次第にその痛みを増していく。視界がぼやける、とまではいかないがまっすぐ歩ける自信がない。よくこんな状態で今日一日を過ごせたとつくづく思った。
「帰ろう。今日は、もう眠りたい」
その時だった。住宅街を挟んだ向こう。何かを感じ取るように、脳内に今ぼくの身体を苛んでいる頭痛とは違う痛みが走った。
可笑しなことに、鈍くキリキリと頭を襲っていた痛みが引いていく。汗を拭った額の熱は驚くほどに正常であり、また別の熱に浮かされているような不思議な感覚に陥る。
(ははは、ゲートコントロール理論ってヤツ?いや、ソレとは違うか。ほんと、痛みと痛みで中和なんて起こり得るものなのかな?)
何はともあれ、痛みが引いてくれたことに越したことはない。ほっと胸を撫で下ろし家に帰ろうとすると、途端稲妻が走るように鋭い痛みが今度は身体中を駆け抜けた。
ぼくは立っていることが出来ず、片膝をつきながら身体を抱きしめるように蹲った。
「ぐっ!?」
自分の身体ながらにワケが分からなかった。荒波の様に寄せては返す激痛の波。まるで自分の中にもう一人の自分がいて、ここから出せと暴れまわっているみたいだ。
一体どうなってしまったというのだろう。普段行使していなかった異能の副作用か、先ほどの魔獣に一服盛られたのか、それくらいしか考えられるようなことはない。
背中を預け、ゆっくりと帰路につく。そうだ、途中にある“いつもの公園”で少し休んで行こう。こんな身体じゃあ周りの人にも迷惑が掛かってしまう。救急車を呼んでも憚られないほどの激痛だったのだが、なぜかその選択肢はぼくの中に存在しなかった。
公園のベンチで息を整える。汗で濡れた身体を拭い、二酸化炭素を多量に含んだ不要な空気を吐きだして、新鮮な酸素を取り込む。
(あれ?今は全く痛くない)
気が付いたのは公園について暫く時間が経った後。異様な心地のよさに立つことも忘れていた。それどころか目的地とさえ勘違いしてしまうほどに。
その正体がこれだ。この公園にいる間は、あの脳髄に直接五寸釘を叩きつける様な激痛が、全く感じられないのだ。
ゆっくりと立ち上がる。
痛みはない。
体をほぐすためにその場でストレッチを数回行い、呼吸を整えて公園の出口へと向かう。
痛みはない。
公園から出る。
公園の外へと足を踏み入れた瞬間、とんでもない激痛が襲ってくるのではないかと躊躇したが、まだ痛みはなかった。
(よく分からないけれど、あの痛みはもう収まったってことでいいのかな?)
やっと帰ることが出来る。困惑したまま再び帰路につこうとした時、恐れていた痛みが襲い掛かる。先ほどと同じ、いや、それ以上の激痛だ。痛みに慣れることなんて到底不可能。
これまでに体験したことのない格外から襲撃。経験したことがないから例えようがない。例えようとしたその思考すらも磔にされているような最悪の気分だった。
「魔獣だ」
痛みから逃れるため公園に戻ったぼくは、小さくそう呟いた。
覚えのない激痛。不可思議な超常現象。バラバラになってしまったこの世界には超常現象なんて日常茶飯事だ。この前授業でやった魔装だって理論や理屈は理解出来るけど、実際に起こっているのは手品師も真っ青な魔法に他ならない。
ならこの痛みだって同じ。理屈付けることが出来ないなら、同じ超常現象なのだ。異能の可能性も捨てきれないが、魔獣の仕業と取る方が幾分か自然に思えた。
どうせこの公園から動けないんだ。時間はたっぷりある。いろいろと試してみようか。




