仄火と喜碧
ジワリ染み込む。
ゆっくりと。音も立てずに。誰にも気付かれぬように。
それは黒く、色を飲み込むような淡泊な感情。
居場所を侵食するかの如く。ジワリ拡がる。
九年にも及ぶ長いだけの義務教育を終え、ぼくは周りから薦められるように都内のとある名門校に進学した。
そこは都内でも有名とされている女子高だったが、名門とは云ってもなんてことない、少しばかり勉強が出来て、少しばかりお金に余裕があれば誰でも入れるところだ。
進学の理由は無い。あるとすれば周りが進学をして、人並みに勉強が出来、苦も無く通える場所に学校が建っていたからだ。憧れも羨望も無い。だから、予定されていた座席に座るように、何の迷いもなくそこに決めた。
こんなぼくだけど友だちはいる。友だちといっても声を掛けて、掛けられて、同じ学び舎で過ごしただけで、そこにも特別な感情はなかった。進む進路が違えればそこまでの関係。スマホで連絡を取り合うこともあったが、次第にその回数は数える様に少なくなっていった。
ある日の放課後の話。ぼくは学校内に設置されているカフェで、友人の一人でもある羽山喜碧と向かい合っていた。
「仄火。午後の選択何にした?」
この高校では二年に上がる際に、通常の授業とは別に選択科目を決めることになっていた。
選択科目といっても、国語や数学といった一般的なものではなく、魔獣に対する見識を深めるための授業だったり、能力者ならば異能を磨くものだったり、魔装に関することだったりと、この時代に即したものだった。
当然ではあるが、進むべき進路に合わせて自分に必要なものを取捨するのが一般的だが、生憎向上心というものを凡そ持ち合わせていないぼくは、興味を持ち、新たに何かを始めたくなることはなかった。だから、悩むことなく持ち前の異能を磨く『異能強化』に決めた。
理由は至極単純。考えることが少なそうだったからに他ならない。
「ぼくは“異能持ち”だから」
言ってからしまったと思った。
その言葉に反応するように、彼女の眉間の皺がピクリと動いたような気がしたのだ。ああ、きっと彼女の琴線、いや逆鱗に触れたんだなと理解した。
恐らくだが、友だちであるにも拘らず、一言も相談をしなかったことに腹を立てているのだ。能無しの彼女に相談したところで、特に意味があるとは思わなかったが、そういう問題でもないのだろう。
子供の頃からそういった細かな所作に気づくのには長けていた。相手が何を考えて、何を思っているのか、言葉にしなくとも察することが出来た。だから、気が回らない、回す気が起きない自分が嫌いだったのかもしれない。
ぼくは取り繕うように次の言葉を紡ごうとしたのだが。
「ふーん。それ、あたし聞いてなかったけど。能力者なの?アンタ」
「え、まあ、うん」
別に隠すつもりはなかった。隠すつもりもなかったし、自慢するつもりもなかった。だから、何も言わなかった。それだけだった。
けど、どうやらそれは間違いだったらしい。何で間違いか?だってそんなの誰が見たって分かるじゃないか。瞳の奥の煮えたぎるような、それでいて氷のような冷たさを孕んだ“嫉妬”の双眸を見れば。たぶん、誰だって、理解る。
「なんで言わなかったの?」
「なんでって、それは、その、訊かれなかったから」
淡泊にそう返した。間違いを間違いと訂正することも出来ず、その嫉妬を容認した。きっと、何を言っても理解できないのだから。話して拗れて、収拾がつかなくなることは目に見えていたから。
彼女が納得するにはきっと時間が必要だと。無責任にそう決着をつけて、この場をやり過ごそうとした。
時間が解決をしてくれることもあれば、時間が亀裂を深くすることもある。
「性格、治したほうが良いんじゃない?自分の感覚だけで生きてると足元掬われるよ」
ソレとは自分の考えがまとまらないと、視野が著しく狭まってしまう事。
急激に視界が閉じ、自分以外視えなくなってしまう事。
「性格なんて、治そうと思って治せるものじゃないよ」
その日から、何十回と太陽と月の入れ替わりを眺めた。
仄火と喜碧という名の歯車は次第に噛み合わなくなり、心の隙間を縫うようにキリキリと不快な音を立て始めたのだ。その不快な音は顔を合わせるたびに大きくなっていった。
だから、自然とお互いを避けるようになるのも必然だった。




