滲想
(すごいな彼女は。自らの子であったとしても他者との命の天秤にかけて、使命を全うする、か)
そんな鋼の精神がこの世界で生きていくためには必要なのだろうか。まあ彼女は娘が同じ異能を発現していたからって言っていたけど、たとえそうであったとしても、自分の大切な存在に向けて刃を向けるなんて普通は出来ない。
少なくともぼくには出来ない。いや、出来なかった。
(喉、乾いたな)
一応最低限の面接会場の体は為してはいるが、残念ながらここは会社のオフィス内ではない。だから新鮮な水分を供給してくれる、ウォーターサーバーの様な気の利いたものは設置されていない。
おまけにこの倉庫の立地自体意味不明であり、大通りから道に逸れ、さらにいくつかの道を曲がりやっとたどり着く。似たような風景の連続に、方向音痴なら手元に地図を置いておかなければ迷うこと必至だろう。
もし自分が就活中でこんな会場を指定されたら、こちらから願い下げと、仮に辿り着いても入り口を前に回れ右をしてしまうかもしれない。
(やれやれ、これも試験の一環ってことかな。どう考えたって間違っていると思うけれど)
通りに出ると頬を優しく撫でた。心地よく吹く風が気持ちいい。閉塞感っていうものはきっと束縛の一種なのだろう。そこは人が行きかう街中だというのに、外の世界と形容しても差し支えない程に空気が美味しかった。
喉も乾いたが、どこか身体もだるい。振り返れば数時間、何でもないと思えるようなものではあったが、予想以上に心は疲弊してしまっているようだった。
街のインテリアとして飾る街灯はまだ点らない。当然だ、まだ日中なのだから。路地の傍ら、日の当たらないじめじめと水気を帯びた、室外機の唸る音がやけに大きく聴こえた。
通りと路地、まるで喧騒から切り離されて、世界ごと分断されてしまっているかのように思えてくる。
(自販機。たしか、こっちにあったっけ?)
ようやくたどり着いた自販機を前に、迷いもなくジャスミンティーのボタンを押す。ピッっと小さな音が鳴った後、間髪を入れずにガコン、と大袈裟な音を立ててペットボトルが吐き出される。
時代の移ろいなのか、硬貨は使えないタイプのものだった。そういえば自販機の数も減ったものだ。
(……)
嘘真朧はペットボトルを二つ取り出しふと思案に耽る。
たしかに、硬貨が使えないとなれば自販機の前でお金を落として、右往左往する必要性はなくなるだろう。財布からお金を出す時にかさばって、誤って落としてしまうというミスは、誰しもが経験のあることだ。場末の自販機ならいいが、利用者の多い都会では迷惑行為にもなる。
けれど、それでいいのか。便利になって、洗練されていくだけでいいのだろうか。洗練されるというのは淘汰されるということだ。小さな意見は世間という荒波に飲み込まれるという言い方も出来るだろう。
そこにはさまざま思惑が存在していたはずだ。何も自販機に限ったことじゃない。
必要以上に冷やされていたペットボトルに滴る雫が、一粒地面に落ちる。それは、目では追えても届きやしない変えようのない世界の理。
アスファルトという荒波に染み込んで溶けだしていく水滴は、まるで成す術もなく淘汰され、侵され、ゆっくりと消えていく文明のように思えた。
(……帰ろうか。ミルちゃんが待ってる)
その光景に少しだけもの悲しさを覚えた嘘真朧は、早歩き気味に元来た道を戻ることにした。
「ねえ、団長。なにかあったんすか?」
ミルは机にジャスミンティーを半分ほど飲み干したペットボトルを置くと、嘘真朧に顔を向けないままそう言った。
その横顔は何か確信めいた心当たりがあってのものだということを、短くない付き合いの嘘真朧は理解していた。だから隠しても無駄。そう思ったのだが。
「いや、別に。思ったよりも疲れたって、それだけだよ」
「ふーん。そうですか」
「ミルちゃんは堪えてないみたいだね」
「いやまあ、アタシ横に居ただけですし、疲れようがないっていうか。あ、実地試験ってすぐじゃないんですよね?上も今回の面接の事、審査?監査?しなくちゃいけないとだし」
正直その辺りのことはぼくにもよく分からない。何も聞かされていないからだ。今日の事だってそうだ。急遽決まったことだった。実地試験、おそらく彼らの現場での力を見ることになる。
普通に考えれば個々の能力を踏まえて、安全面や円滑に進めるため細かな調整は必要だろう。ともすれば三日、いや、一週間ぐらいは必要か。ぼくの見立てでは最大一週間。それ以上はきっと意味がなくなる。
とはいっても、現状こちらがあれやこれや考えても何も出来ることはない。日程も場所も、レギオン側が指定してくることだろう。
こちらはいつその実地試験とやらが始まっても問題ないように、心がけておくことぐらいか。
「ミルちゃん、まだ早いし久しぶりに手合わせでもしようか?ぼく、ここ最近は家で寝っ転がってるだけだったからね。ちょうどいい肩慣らしだ」
帰りの道中。嘘真朧は隣を歩いているミルにそう問いかけた。こんな時、身体を動かしたら少しはスッキリするのだろうか。昔だったらこんな考えになることは絶対に無かった。一緒にいるうちにミルに影響されてきているのかもしれないな、と感じていた。
「いやー、それはまた今度でいいんじゃないかなー、と。ほら、団長お疲れみたいだし!ほらっ、今日のお仕事はここまでですよね!?これ以上働いたら残業代でちゃうんじゃないかなー?」
「疲れてるのはお互い様でしょ?それに残業代なんて幾らでもぼくが持ってあげるよ」
ジリジリと嘘真朧がミルににじり寄る。こうなっては断り切れない。嘘真朧は本能には自己中心、気が向くまま、思いのままなのだ。だから、彼女がこの状況を切り抜けて逃げ出す方法があるとするならば。
「あっ!いまそこの雑貨店!灸くんが入ってくの見えましたよ!?」
「えっ、ほんと?」
「ほんとほんと、ほんとですって!ほら、そこの雑貨店!今行けば会えるかもしれないですよ!ほらほら!」
ミルは困惑する嘘真朧の腰に手を当てて、雑貨店の方向にぐいぐいと押し込む。嘘真朧は店の入り口をしばらく眺めた後、隣の彼女に向き直る。
「いや、そんなワケないでしょ――って、あれ?」
嘘真朧は直ぐにバレるような嘘を吐くミルを叱ろうとしたが、すでに彼女の姿はそこになかった。
「すみません、見間違いでしたー!じゃあ!お先ですー!あ、あと今度飲み物買ってくるときは炭酸にしてくださいねー!オレンジでいいのでー!」
ミルは顔だけをこちらに向け、手を振りながら、疲れなどまるで感じさせないような猛スピードで去っていくのだった。




