『嫉妬』の入団面接 ~炎堂アリナ~2
視界が途絶え、意識が闇に飲み込まれる刹那、ぱちんと指を鳴らす音がした。
「っげほっ!ごほぉ!」
二人して無様に咳込む。新鮮な空気が肺に流れ込んでいくのが分かる。初めて酸素という物質に感謝したかもしれない。生きた心地がしなかった。呼吸を断たれるというのは、あそこまで気持ちが悪いものなのか。
「すみませんっ。解除が少し遅くなりました!」
やっとの思いで膝を立て、立ち上がり見上げると、アリナが申し訳なさそうに何度も頭を下げるのが見えた。
なんでも目の前で実演してみせたのは、指先に点る炎だけではなく、部屋全体を肉眼で目視出来ないほどの炎のドームで覆い、内部にある酸素を奪ったという事らしい。
目の前の現象に気を取られているうちに水面下で相手の自由を奪う。なるほど、これは『嫉妬』らしいかもしれない。
欠点は場所に左右されるという事。目に視えないレベルの炎の幕を生成することは容易ではなく、どれだけ精巧にイメージできるかが重要らしい。
この会場は密室の狭い空間であったため、たまたま可能だったわけだ。
「思い描いた正確なイメージをその通りに実現することが難しい。それが私の異能の欠点です。もちろん、克服をしようと精進はしていますが、異能自体がそういう性質に近いといいますか、環境に左右される部分がどうしてもあるのです」
「それは大きな弱点ですね。しかし、それを私たちに話してしまってもいいんですか?みだりに話してしまっても?」
嘘真朧は試すようにそう問いかけた。情報は知られていないこと自体が武器となる。それが何が起こるか分からない超常現象なら尚更だ。
手元のカードが何枚あるか分からない以上、たとえ覆せないような窮地だったとしても、幾らでもひっくり返る可能性が残されているのだから。
嘘真朧の言葉には棘があった。丁寧な言葉ではあったが、この言葉尻には少し悪意が含まれている。故意ではないとはいえ、先ほど意識を失いかけるほどの事態に陥らされたことを、少しばかり根に持っていたのだろう。
言葉に詰まった彼女が右往左往すればその留飲も少しは下がる。見当違いの内容を発言すれば、それはそれで面白い。しかし、その思惑は外れ。
「もちろんです。私は同じ職場で働く仲間に隠し事をする気はありません。弱点の共有は作戦を立てる上で、最も重要な事ですから。それに私たちの敵は魔獣であって貴女ではありません」
淀みない回答。その眼差しは真っ直ぐだ。欠点も弱点もある、けれど何も問題はない。弱点すら自らの実力でねじ伏せて見せるという気概を感じられた。
嘘真朧は仲間に包み隠さずに話す必要性があるとは思っていない。話したくない事、秘めておきたい事など誰にだって一つや二つあるものだ。そして、異能の欠点についてはその内の一つだと思っていた。
(だんちょー。圧されてませんか?やっぱ年の功ってヤツですかね?)
ミルは苦笑しながら、肘で嘘真朧を軽く小突いた。軽口を叩く彼女に、嘘真朧は僅かに肩を竦める。
(うるさい、ミルちゃん)
「この場では異能を解放することは出来ませんが、ある程度手元の炎は自在に操れます。懸念される要素として熱という異能である以上、どうしても相性には左右されますが、炎を利用すれば今のように酸素を断つことも出来ますし、多くの魔獣にとって私の能力は天敵であるといえるでしょう」
どこかで聞いた。火事による死亡者の八割が、酸素を断たれての窒息が原因で亡くなっているらしい。炎を自在に扱うことが出来れば、周りの酸素を奪うことも容易という事か。
たしかに魔獣といえどこの惑星で活動している以上、生命活動をするうえでの呼吸は必要だろう。魔獣も動物と同じ、犬型なら犬と同じ生態。人型なら人と同じ。それが基本。だから、同じ火に強い個体はいても、無呼吸下で活動できる個体は多くはないだろう。
「欠点は相性ー、ですか。なんか少し顔色悪いみたいですけど、やっぱり身体に負荷が掛かったり?」
首を軽く傾げながらミルがそう訊ねる。
「そうですね。私の異能は後天的に発現した覚醒タイプです。生まれ持っての才能として授かった身体ではない故、異能の出力によってはフィードバックが跳ね返ってきます」
それを克服するために彼女がとった対策。それが常にエネルギーを取り込み、それと同じ分のエネルギーを放出し続け身体を異能に対応させる事だった。しかし、それでも欠点があるようで。
「あー、なるほど。たしかに常に放熱してたら、暑そうですねぇ」
「実際、夏場は地獄です。熱を抑えようとすると汗だくになりますし、下手に放出すると周囲の温度が上がってしまいますから」
ミルがぷっと吹き出した。
「え、それってつまり。いるだけで周囲の気温上がるんです?」
「はい。なので、夏場の電車内では嫌がられます。駅員さんを呼ばれたこともあったので」
「あはは、たしかにっ。そうですねぇ、大変で。ぅ、ぷぷっ!うぷぷ、その場面想像したら、あひゃはははははっ!!」
今まで溜まった緊張感が堰を切ってしまったのか、ツボに入ったミルちゃんが大笑いしながらテーブルをバンバンと叩く。いや、この子に限って緊張感とかはあり得ないか。完全に気を抜いてしまっているだけだろう。
ああ、台無しだ。正直、結構深刻な問題だと思うのだけれど、人の悩みの種でミルちゃんはよく笑えるなと思う。本当にあの感情を刈り取る鎌で、大事なものまで刈り取ってしまったんじゃないだろうか。
「んっ、コホン!」
「あはははは、あ?あ、んと。は、はい、すみません。続けてください」
ぼくは隣にいる彼女に聴こえるように大げさに咳払いをする。そのことに気がつくと、ミルちゃんは我に返ったかのように顔色を変え先を促した。絵に描いたような慌てよう。ああ、ほんとに恥ずかしい。
その後は特に盛り上がるような話も無く、前の二人と同じように形式的なやり取りを交わし、淡々と進んでいった。
アリナに関しても“ミルの失態は見なかったことにする”といった同情の視線を送ってもらったので、その好意を有難く受け入れることにした。これは帰ったら一度説教をしてやらないといけないかもしれない。
「……では、最後に。レギオンの一員として働く上で、あなたが一番大切にしたいことを聴かせていただけないでしょうか?」
アリナは少し考え、それから静かに答えた。
「――“冷酷さ”、でしょうか」
思ってもみない答えが返ってきた。それは模範的な彼女からは逸脱した言葉。訊きたかったのは意気込みのようなものであって、特に問答を繰り返す気も無かったが、気になったぼくはもう少し探ってみることにした。
「冷酷さとは?」
嘘真朧の返答にあらぬ誤解を生んでしまったことを察した彼女は、眼鏡のテンプルに手を掛け直した後こういった。
「昨今魔獣は力をつけてきています。そしてそれは単純な力だけではありません。知恵、そしてそこから培われる狡猾さ。以前私が対峙した魔獣は娘を盾に選択を迫ってきました」
驚いたな。まだ若いのに子供がいたのか。っていや、おかしくない。この人は雰囲気が幼いだけで年齢は三十五歳なんだっけか。
「それでどうされたんですか?」
「もちろん、容赦しませんでしたよ。あの魔獣は娘を人質に近くの町へと進行しようとしていました。我が子といえど、私情を天秤にかけられる様な状況ではありませんでした。私の甘さがその他大勢の命を奪うとするのであれば、きっと娘も許しはしないでしょうから」
嘘、じゃないだろう。その言葉には重みがあった。戦う力がある人間として、命の価値を、その重みを、重責を、責任を持つ覚悟があった。
もしぼくが同じような状況に陥った時、彼女と同じ選択を取れるだろうか?
「じゃ、じゃあ、娘さんは亡くなって――」
横からミルがおずおずとした口調でそう訊ねる。
「あ、いえ、生きていますよ。今日も元気に学校に行っています」
「へ?」
嘘真朧とミルの間の抜けた声が重なった。
「娘も私と同じ異能を顕現しています。潜在的な力は私と同等、いやそれ以上です。私の炎が直撃しても全く意に介しませんでしたからね」
「そ、そうですかー」
若干ミルちゃんが引いている。
その後アリナさんは「当時、娘の異能は顕現したばかりで、一か八かの賭けだったんですけどね」と茶化して見せた。笑い事ではない。
「分かりました。面接はこれで終了です。ありがとうございました。後日連絡させていただきますので、その際はよろしくお願いします」
礼儀正しく一礼すると、アリナは静かに部屋を後にした。その背中は、静かに燃える陽炎のように揺らぐも、チリチリと燃え続け、確固たる意志と揺るぎない信念を暗に物語っていた。
それは錯覚。彼女の異能を目の当たりにして、気後れ憔悴したぼくのこころが燃える音。初めての面接官としての仕事。面接官なんて大層なものではないかもしれないけれど、それでも疲れた。
「少し外の空気を吸ってくるね」
隣でぐったり机に突っ伏しているミルにそう声をかけると、嘘真朧は返事も待たずに立ち上がる。そのまま、少しふらついた様子でドアノブに手を掛け、薄っすらと浮かぶ違和感を胸に、手入れが行き届いていない廊下へと足を踏み入れる。
違和感の正体はすぐに分かった。扉を開ける前から視覚だけでなく嗅覚に訴えかけていたからだ。そこには、なにかが燃え焦げたような臭いと、その臭いの元と思われる焼け爛れた砂時計が無造作に一つ転がっていた。
「……」
嘘真朧はその砂時計を拾うこともせずに眺め続ける。当然、こんなものは行きには無かった。だから、これは今日来た三人の誰かの仕業。
燃え焦げているところから考えれば、炎堂アリナの可能性が高いだろう。ブラフ、は無いだろう。他の二人からすれば、炎の異能を持った者が訪れることなど予見できるわけもない。
入口の方へとゆっくり目を向ける。長い通路の先、外へとつながる扉が確認できた。それは何の変哲もない出入口。鍵がかけられていない、外からでも内からでも行き来できるただの出入り口。
驚きはしなかった。きっと期待していた。だから、焼け爛れたその残骸を拾う必要すら彼女には無かった。




