魔女裁判
先生がゆっくりと近づいてくる。
どうにかこの状況を切り抜けなくてはいけない。そう思った時。
「やめろぉおおぉおぉッ!」
目を瞑ろうとしたその瞬間、視界の隅から猛烈な勢いで何かが飛び込んできた。いや、それは“誰か”だった。
「執音くん!?」
傷だらけで満身創痍のはずの執音くんが、ふらつく足で歯を食いしばりながら先生に体当たりをしたのだ。先生もさすがにその状況を予想できなかったらしく、その勢いに押されてバランスを崩し、少しだけ後退する。
「痛ってっぇえぇ!?コイッ、噛みつきやがってッ!邪魔だっ!」
噛みついた右足に思い切り蹴とばされ、ゴロゴロと転がる執音くん。苦しそうに血混じりに咳き込むその姿を見て、もう限界なのだということを悟る。
「あぁ、面倒くさいなッ!次から次へとッ!どうしてこう上手くいかないんだよッ!小生意気なんだよクソがッ!お前ら子供ってのは学校じゃああんなに可愛いのに、こうしてちょっと檻から出たらこれだもんなあ!?」
先生は苦悶の表情で頭を掻きむしる。その姿に、学校で優しく喋りかけてくれた面影はどこにもなかった。
分かってた。全部全部分かってた。何もかも分かってた。こうして、先生の視たくない部分は理解できていたはずなのに。
なのに、こうして実際に視てしまうと――
やっぱり悲しかった。
「ああ、おおッ!?そんなに死にたいか執音ェ!?いいよ、それがお望みなら今ここで殺してやる。お前の大好きな姉と、友だちの宝城の前で殺してやるからさあッ!おい、あの小娘を起こしてこいッ!」
偽物の執音たちは大木に縛られて気を失っている茉莉を起こしに行く。
「やめ、ろ……茉莉姉には……手ェ、出す……な」
「うるせえッ!」
アタシは思わず目を伏せる。見てられない。友だちが痛めつけられる姿がこんなに苦しいのなら、やっぱり友だちなんて作らないほうが良いんだ。
アタシは独りでいるべきだったんだ。独りでいれば誰も悲しまずに済んだ。
そうだ、先生の狙いがアタシ自身だったのなら、執音くんたちが痛めつけられている原因もアタシのせいってことになる。あの日、秘密基地で出会った時、どこかから先生が視ていたんだ。
だから、こうして、こんな目に遭って、こんなにも傷ついて。
それなら。
もう忘れよう。
優しかったあの面影も、狂気に満ちたこの本性も、諸共まとめて消えてしまえばいい。
うじうじして、悩んでばっかで、人の目を気にしてばかりのアタシに――サヨナラしよう。
「ん?何だ?……は?」
眼前を黒く発光する雷光が、大気を斬り裂き通り過ぎた。何が起きたと振り向いた西條が驚愕する。開いた口が塞がらず、目の前で起こっている事実を飲み込むのに数瞬を要した。
もしかしたら、その暇を攻勢に転じることが出来れば、変化に戸惑う彼女を組み伏せることが出来たかもしれない。いや、それは無理な話。人間の生存本能がそんな横着を許さない。
驚愕。それは、縛り付けられているミルが拘束を解き、立ち上がったからではない。あれだけ心を打ちのめしてやったミルの表情が、立ち直っているからではない。
「なにこれ、すごい。力が底から湧き出てくる感じ。痛みもないし、怖くも無い。さっきまでが嘘みたいだ」
目の前の少女が、赤と紫と黒の意匠が施された禍々しい形状の大鎌を手に握っていたからだった。その鎌は魔女や悪魔をモチーフとしたような不気味なデザインで、歪に食い違い並ぶ波紋は実用性とは到底かけ離れたモノだと思えた。
気がつけば、先ほどやっとの思いで作り出した偽物のミルは、跡形もなく霧散していた。
「な、なんだ、これは。何が、起きているんだ?」
信じられない光景を目の当たりにした西條は、執音たちのことなどもはやどうでもいいといった様子でミルに近づく。
「異能 魔女裁定『Walpurgisnacht』」
すごい、頭の中に情報が流れ込んでくる。いや、流れ込んでくるんじゃない。始めから知っていたかのように、まるで、この力がアタシの為に存在しているかのような、この力で襲い掛かる艱難辛苦遍くを刈り取れるような全能感。
「ねえ、アタシちゃん。今、すっごいふわふわしてるんだよね。なんかよく分かんないけど、すっごく満ち足りてるってカンジ。たぶん、すっごく強いよ?ねえ、それでもやる?せんせー?」
異能 魔女裁定『Walpurgisnacht』
禍々しい装飾に飾られた魔女の鎌は、ただ相手を刈り取ることが目的ではない。
この鎌は“心”を刈り取る鎌。
弱い心、強い心、その善悪を魔女が独断で裁定し刈り、殺す。その裁定の基準は魔女のみぞ知るところだが、能力者でもあるミルの心にも左右される。ミル自身が悪と断じればそれは悪であり、善と判断をすれば髪の毛一本すら刈ることはない。
そして、心を刈り取る鎌は人の命を奪うことはない。人も獣も生まれ持っての悪はいない。だから、刈り取るべき対象は弱く浅ましい心のみ。ミル自身、その環境から弱い心を忌み嫌っていた。だから、“自身の弱い心”すらも悪と断じたのだ。
もしかしたら、虐げられ、生物に対して憎悪の念を持っていたのであれば、心ごと心臓にすらその切っ先は伸びていたのかもしれない。
「痛つつ。ね、ねえ、るーくん。あれってミルちゃん、だよね?」
「う、うん。いや、そうなのか。なんか別人に視えるけど」
先ほどの黒い斬撃によって蔦が断ち切られたのだろうか。解放された姉に顔を向けることも忘れて、執音は返事を返す。
左後ろからではミルの表情の全貌を知ることは出来ない。しかし、その微かに視える横顔すらも自信と自由に満ちていた。だから、同じ姿をした違う誰かに視えたのだ。
「ねえ、先生?ぶっちゃけ、先生の趣味がキモいのは分かったからもうどうでもいいけどさ。もう今日のとこは帰ってもいいよ?見逃してあげる」
「あぁ!?」
ミルの挑発とも取れる言葉に、西條は分かり易く眉を吊り上げる。
「あ、でも、一つだけ約束ね。これっきりこの森には立ち入らないこと。これ、最後の忠告ね。けど、次に来ちゃったらもう容赦しないよ。アタシが怖いならどこかに引っ越せ。アタシは先生のこと、頑張って忘れてあげるからさ」
ミルはにやりと愉快そうに笑いながら、先ほどと同じ形を再現して意趣返しをする。
「ふふふ、先生が弱音を糧にアタシたちを追い詰めるってんならさ、アタシちゃんはその弱音ごと刈り取っちゃうからね?覚悟、してよネ♪」




