西條先生
「宝城。おれは悲しいよ。お前は分からないかもしれないけどな、おれは親身になってあげたつもりだったんだ。けど、お前は裏切るんだな」
「う、裏切るって。アタシは、別に、そんなつもりじゃ」
「声に出さなければ伝わらないというなら、おれは今伝えたよ。ならどうだ?これでおれを受け入れてくれる気になったか?」
表情は陰に隠れてよく分からなかったが、憤りを感じているのはその言葉の節々から伝わってくる。けれど。
「アタシは、いいです。別に、悩みとかない。もし悩んだとしても、アタシにはお母さんがいるから」
「なら、そのお母さんのところに帰るといい。ここで見たことは、解ってるよな?他言無用だ」
そう言いながら西條先生はメガネにゆっくりと手を掛ける。これが最後通告だとでも言わんばかりに。けど、アタシは動けなかった。怖かったからじゃない。いや、怖いってのはもちろんある。けれど、それ以上に茉莉ちゃんを見捨てることは出来なかったのだ。
だって、ここでもし見捨てる選択を選んでしまったら、本当に永遠のお別れになってしまうと思ったから。たとえそれがアタシのワガママだったとしても、それだけは、いやだった。
「ああ、そうか。そうか、そうだよな、わかったよ。先生でもあるおれではなく、どこの馬の骨とも分からない小汚いガキを選ぶってことなんだよなッ!」
沈黙したアタシに痺れを切らした先生は、まくし立てるように喋り、語尾をそう強く言い終えると同時に、先生は足元にあった何かを蹴り飛ばす。ソレはモノじゃない。もっと違う、重みのある何か。
ソレはアタシの足元までゴロゴロと転がる、その姿を確認して思わず口に手を当てる。
「と、とるっ!?」
「逃……げろ……ミル」
顔中が腫れて痛々しいというのも生易しい程にボロボロだったのだ。さっき見た時も既にボロボロではあったが、それに輪をかける様な形で暴力を加えられていた。思わず、目を伏せてしまいたくなるほどに。
「なあ、宝城。お前、悩みがあるんだろ?先生、聴くぞ?何だって聴いてやる。おれはお前の担任だ。お母さんは知らないお前を知っているんだ。おれだから力になれることもある。ほら、遠慮しないで言ってみろ」
ゆっくりと先生はアタシの元へ近づいてくる。木々の陰に隠れて先ほどはしっかりと確認できなかったが、その表情はいつもの西條先生だ。柔和な顔つき。 大きめの眼鏡と下がり目が優しい印象を与える模範のような先生。
けれど、それが作りものであることはさっきの態度で理解している。
「え、えと、なんで、執音くんを、蹴ったんですか?」
おそるおそる訊いてみた。何か理由があるなら訊かなくてはいけない。もしかして、お金に困った執音くんたちが、何らかの盗みのような悪事を働いたということもありえなくはないのだから。その仕打ちがこれではあまりにも酷過ぎるが、理解できなくもないのだ。
「あぁ?トルネ?録画機器か何かかな?なんだよそれは。先生が訊いているのはお前自身の悩みだ。それ以外のことは何も訊いていないッ!余計なことを言ってッ!煙にッ!巻くなッ!」
「がぁあぁっ」
「や、やめてよっ!先生っ!」
アタシは乱暴に踏みつけられる執音くんを庇うように、手を広げ間に入り込んだ。
「フン、言う気になったか、宝城?お前の悩みを聴かせてくれ」
ジワリと浸水するようににじり寄る先生。その笑顔が怖くて。逃げ出したくて。でも逃げられなくて。だから、弱音を吐き出しそうになった。
「アタ、シ……」
「い、言うなっ!ミル!弱音を吐くとっ、取られるッ!魂ッがああぁあぁ__っ!!」
「お前ェッ!何を言っているッ!」
先生は手を広げ動けないアタシを押しのけるように突き飛ばすと、倒れている執音くんを何度も何度も踏みつける。
「や、やめてよっ!どうしちゃったの先生!先生はこんなことしない筈なのにっ!」
そう叫んだアタシの声は震えていた。無理もない。目の前で起こっている非現実的光景が受け入れられないでいるのだから。
いつも生徒を気にかけてくれていた、優しかった先生から吐き出される言葉が信じられなかった。
「先生、こんなの先生じゃない゛よ!お願いだから、やめ゛てよぉ゛!」
気がつくとアタシは涙が両目から零れていた。声は震え続けて、まともな言葉にならない。そんなアタシに先生は冷たく言い放つ。
「いいさ、お前は混乱しているだけだ宝城。目の前の出来事を受け入れられず、理解しようとする自らをも信用できず、途方に暮れているだけ。大丈夫、今日のところは家でゆっくり休め。そうすれば自らの愚かな行いにも気がつける筈さ」
先生が何を言っているのか分からない。そんな先生の声は酷く冷たく聴こえた。その表情には怒りも喜びも憂いも無い。感情なく、長年続けてきた作られた笑顔という仮面を被っているだけだ。
そして、再び執音くんに足を振り上げる。
「やめてよぉ!」
アタシはもう何も考えられなかった。けど、言葉でこれ以上何かを言っても無駄だと思った。だから、何かをしなきゃいけないという一心で、震え続ける足を無理やり動かして、先生に体当たりを仕掛けた。
「ぐっ!?邪魔をするな、宝城!」
先生の怒号とともに、アタシは肩を掴まれて強引に地面に伏せられる。地面に叩きつけられた衝撃に息が詰まる。身体を動かそうにも動かせない。大の大人に組み伏せられたら、子供のアタシなんかじゃ抵抗できないのは当然だ。
「先生!先生はどうしちゃったの!?こんなの先生じゃない!助けてっ!お願いだからっ!みんなをっ!」
必死に叫ぶアタシの言葉に、先生は目を見開き動きを止めた。
「宝城――助けて、欲しいのか?」
「う、は、はい……」
頷くように何度も首を縦に振った。絶望的な状況。もうそれしか考えられなかった。
「ミルッ!やめ、ろっ!」
隣で執音くんが何か叫んでいたが、どこか遠いところで響いているような気がして無視を決め込んだ。屈したくない気持ちは解るけれど、世の中には従順にしていたほうが良いことだって、ある。




