森の奥には2
森の奥へと進むほどに、周囲の空気が次第にひんやりとしていくのを感じる。たぶん、気温自体は変わっていない。アタシの精神が森の静けさに侵されて冷え込んでしまっているのだろう。
だから、それでも構わずに進む。光が時折差し込む木々の中を、慎重に目を凝らして周囲を見回しながら。
音は聴こえない。けど、何かが起きていることは事実。
「誰か、いるの……?」
恐る恐る声を出してみるが、当然の如く返事はない。その代わりに森全体がアタシの問いかけに呼応するようにざわついた。まるで、お前のしていることは無意味なのだと言わんばかりに。
足元の小さな足跡が急に消える場所にたどり着いた時、アタシの胸は激しく鼓動していた。
「あれ、ここで終わってる?」
足跡は突然途切れ、目の前にはただただ木々が広がるばかり。だが、その時アタシは確かに感じた。
これは良くないものだと。このまま進み続けたら、もう後戻りは出来なくなると。
(足跡はこの先には無い。だから、何も無い。引き返すなら今しかないかもしれない)
足跡が続いていない以上、これ以上先に執音くんたちがいる可能性は少ないだろう。足跡を意図的に消して進む、ということは可能かもしれないが、彼らがそうする理由が見当たらない。まあ、そもそもこの足跡が、執音くんたちのものと決まったわけでもないのだが。
これ以上進むのか、引き返すのか逡巡していた時だった。
ガサリ、ガサリ____
「ッ!」
昨日聴いたあの音が、足跡が途絶えた森の奥から聴こえたのだ。
アタシは弾かれるように足を前に出す。この先に待っているものが何なのか。アタシの心をかき乱すその正体を、一目見てやらなければ気がすまなくなっていた。
一心不乱。次第に広がる歩幅。不思議と恐怖は無かった。きっと、音の正体でもある相手はアタシを避けている。そんな気がしたからだ。
どれぐらい進んだのか。所詮子供の歩幅だ。たぶん、そこまでの距離は移動していない。弾かれるように歩き出した足は、同じく弾かれるように歩を止めた。止めたのは歩だけではない、全身が凍り付くように硬直していた。
「は、へ?あぇ?へ?」
疑問が口からこぼれては消える。状況を頭の中でうまく咀嚼できず呆然とした。
だって、その正体を見たら誰だってそうなる。
「と、執音くん?」
「……」
全身が硬直するほどに驚愕した理由は、なにも執音くんが立っていたからではない。執音くんに似た“何か”がこちらを見て、薄笑いを浮かべ続けていたからである。笑っているはずなのに、その表情からは何も読み取れない。目が白目の部分さえも、くり貫かれたように真っ黒だったから。
身体が警鐘を打つのと同時に思わず一歩後ずさる。これは視てはいけないモノ。関わってはいけないモノ。記憶から消さないといけないモノ。そう思ったからだ。
「っ!ミ、ルちゃっ____!逃げてーッ!!」
その直後、頭上から絹を裂くような声が耳を叩いた。見上げると大木にロープのようなもので縛り付けられている茉莉ちゃんの姿があった。
「ま、茉莉ちゃんっ!なんで、こんなところにっ!?」
アタシは目を見開いたまま、脳内が真っ白になっていた。どうして茉莉ちゃんがこんな場所で、それも大木に縛りつけられているなんて。ワケが分からない。
逃げようとした足が、新たに流れ込んだ情報によって思わず縺れる。逃げればいいのか、逃げてはいけないのか。いや、何を悩んでるんだ宝城ミル。そんなの決まってるじゃないか。
「茉莉ちゃんっ!今助けるよっ」
アタシは考えも恐怖心も投げ捨てて、茉莉ちゃんが縛りつけられている大木に向かって駆けだした。今だけは何も考えるな。明らかに異質な状況。冷静に考え込んでしまったら、きっとその場から動けなくなってしまうだろうから。
こんなこと生まれて初めてだ。怖い。怖いって思わないようにしているのに怖い。怖いって感情を初めて理解できた気がする。これが魔獣の仕業だっていうの?だから、大人はみんな森の中に入るなっていうの?
「ミルちゃん!逃げてっ!ダメだよっ!無理だよっ!早くしないとっ」
上から騒ぎ立てる茉莉ちゃんの声を無視して、アタシは大木に跨るように飛びつく。木の表面にわずかに出来た突起に手を掛けながら、一心不乱に上へと登る。手の先が痛むのも、出血するのも構わずに無我夢中で登った。
「ミルちゃっ、うぅうぅっ」
何とか括り付けてあるロープへと手を掛ける。同じ高さに登り、ふと、目が合った気がした。茉莉ちゃんの眼にはアタシはどう映っていたんだろう。必死過ぎて怖がらせちゃったかもしれないな。
「ぅ、くそ、硬いっ」
当然の如く、我武者羅にロープを引き千切ろうとしてもまるで意味がない。そんなことも分からないぐらいに必死だった。刃物なんて持ってない。
けど、取りに行くなんて見捨てるのと同じだ。だから、なんとかならないかと、必死でロープを引き千切ろうとするしかなかったのだ。




