森の奥には
翌日、学校が終わると一直線に秘密基地までやって来た。
今日は学校も四時限目で終わりの日だったし、迷うことなく足が動いてくれたので、いつもの到着よりも二時間以上早く着いた。
「……」
ひとまずカバンをシートの上に置き、あたりを見回してみる。黙り込み、耳を澄ませてみたのだが、昨日聴こえたような音は聴こえてこなかった。
静まり返る森の中、造りかけのお城の城壁。世界にアタシ一人だけになるこの瞬間。前まではこの瞬間こそが心地の良いひと時だった。けど、もう知ってしまった。人の温かさを。一瞬だけでも十分すぎるほどの代え難いほどの温もり。
「あー、あー」
声を出せば澄んだ緑に声が吸い込まれる。言葉を話して、返してもらって、何でもいいから会話をしたかった。
アタシは秘密基地の周辺を一通り歩き回ってみた。当たり前の如く執音くんや茉莉ちゃんの姿はどこにもない。
机の上に置かれたままの食べかけのスナック菓子や、造りかけだろうお城の壁もそのままになっている。素人目にも明らかに触れられた痕跡がない。
「やっぱり、まだ帰ってきてないってことなのかな。ねえ」
アタシは一人で呟いてみたものの、誰も答えてくれるわけではない。
スマホの時計を見てみると、まだ午後二時半を少し過ぎたところだった。こんな時間に来るのは初めてだ。もしかしたら、二人がここに来るには少し早い時間、なのかもしれない。初めてここで会ったのも夕方近くだった。
二人に会えるとしたら、今日も同じくらいの時間になるのかもしれないな。そう適当な理由付けをして無理やりに納得させると、一人でこの場所で待つことに決める。
アタシは散らばったスナック菓子を一つ摘みあげながら、昨日のことを思い出していた。
「結局、昨日のあの音は何だったんだろう?」
その時は怖さと不安で深く考えられなかったけれど、今はこうして落ち着いて思い返すことができる。確かにあの影を視た時、何かに視られているような感覚があった。言い換えれば、あちらもこちらを認識していたということになる。ほら、ニーチェの深淵をのぞく時、深淵もまたなんとやら、というヤツだ。
もし仮にそうだとしたら、あの時あのまま追いかける選択を取るというのは、非常に危険な行為だったのかもしれない。悪意のある何かであれば、藪蛇になってしまうのではないだろうか。
「はぁ、ダメだ。何言ってんだろ、アタシ」
思い出したとしても、輪郭をなぞるような希薄さしかない。それが現実だったのか、それとも単なる思い込みだったのか結局のところ――今となっては“分からない”。
もし、執音くんたちだったのなら、声ぐらいかけてくれるはずだ。「どうして遅れたんだ?」って、声をかけてくれるはずなのだ。
なら、そもそもそんな些細な事、どうだっていいのだ。
「あの音の正体が執音くんたちじゃないのなら、どうだっていい」
そう小さく呟いて、アタシは座り込んで大きく伸びをした。
けど、早くに来たところで何もすることは無い。しばらくすると、退屈な時間がやってきた。昨日ほどの緊張感もなく、一人で何をするでもなくじっとしているのは正直しんどい。
鞄の中からタブレットを取り出し、少し宿題でも終わらせておこうかと考えたが、森の中の気持ちのいい空気に包まれると、どうしても集中できなかった。
「二人が来るまで、少し周りを散歩してみようかな」
そう思い立ち、アタシは秘密基地の周りを少し歩いてみることにした。昨日のガサガサと鳴った音、森の奥へ行こうかとも考えたけれど、正直かなり怖かったので止めておくことにした。
周辺を何周か回った後、秘密基地に戻ると、どこか違和感を覚えた。
「あれ?」
基地の入り口付近の地面に、小さな足跡が残っている。靴跡の大きさからしても小さな子供が歩いたような跡だ。
それも、一つや二つではなく、かなりの数がバラバラの方向に向かってついている。この場から離れている間に付いたというわけではないだろう。たぶん、気に留めず見落としていただけだ。
「執音くん?茉莉ちゃん?」
周囲を見渡しながら声をかけるが、返事はない。少しだけ胸がざわつく。おそらくは彼らのもの。昏かったから気がつかなかっただけで、もしかしたら、昨日の時点ですでにあったのかもしれない。
けど、なんだろうか。具体的な理由は出てこないが、何かおかしい気がした。
バラバラの足跡の先を辿ってみると、それは秘密基地の外へと続いている。そして森の奥――昨日あの影が消え去った方角へと伸びていた。
ごくり。
思わず、生唾を飲み込む。あの影。もしかしたら、本当に――
「それか、その、逆……」
結局、昨日は夢を見られなかった。楽しい夢が見たいとあれだけ寝る前に妄想をしたのに、アタシの馬鹿の脳味噌は、それらを無視して朝まで急行列車を走らせるだけだった。
ううん。それだけじゃない。
起きた時、背中が汗でびっしょりだった。
いくら頑張っても思い出せないけれど、何か悪い夢でも見たのだと思う。
昨日の出来事が頭をよぎる。アタシの悪い妄想。あの影が“魔獣のものだったとしたら”。そんな考えが浮かぶと同時に、生ぬるい汗が背中を伝う。
だとしたら。もしこの足跡が執音くんと茉莉ちゃんのものだとしたら、放っておくわけにはいかない。アタシは深く息を吸い込み、震える手をぎゅっと握りしめる。
「大丈夫。何もないって。昨日も結局何も起きなかったんだから。怖い事なんて何も無い」
もう一度理想の未来を妄想する。
森の中には何も無い。執音くんたちは無事なのだと。そう自分に言い聞かせ、足跡の先を追うことにした。




