アタシとお母さん2
それから一週間ほどの月日が経過する。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
「ちゃんとまじめに勉強、頑張るんだよ?そしたら、今日もミルの大好きなもの作っちゃうからねっ」
お母さんは振り向きながらそう笑顔で手を振った。なんだろう、最近お母さんが笑う顔をよく見る気がする。小突かれることも無くなった。きっと、アタシが真面目に勉強をしているから。というだけの理由ではない気がする。
たぶん、だけど。お母さんも、アタシとの距離感をうまく掴めていなかったんだと思う。だから、こうして傍で見守る形を続けているうちに、アタシの考えていることが、少しずつ分かるようになってきた、のだろうか?
上手く表現できないんだけれど、早い話が仲良くなったってことだと思う。子と親の関係性としてはちょっと歪だったかもしれない歯車が、ようやく正常に噛み合うようになったのだ。だから、お母さんだけじゃなくて、お父さんもよく笑うようになった。
ふと、何気なく自分の部屋の中を見渡してみる。
(アタシの部屋って、こんなに広かったっけ?)
見方が変われば、感じ方も変わる。見慣れた景色も違って視える。だとするならば、アタシもこの一週間で変わったのだろうか?
お母さんが家を出た後、アタシはそっと机に座り、タブレットの一面に教科書を広げてみる。けれど、今日は文字が頭に入ってこない。ただ、次の文字を追いかけるように目で追っているだけ。手に持ったペンも無意識にくるくると回してばかりで、一時間が経過してもタブレットの上には、意味の無い線が羅列するばかりだった。
お母さんがいないからだろうか。視線は自然と窓の外に向かってしまう。空は青く晴れていて、風が気持ちよさそうに吹いている。立ち上がり、窓の枠に手を掛ける。風景の向こうに青々と茂る木々が視えた。
この一週間、出来るだけ考えないようにしていた“あの秘密基地”のことが頭をよぎり、誰に言うでもなくぼそりと呟いた。
「執音くんと茉莉ちゃん、どうしてるかな」
あれから秘密基地には行っていない。行けないのではなく、行っていない。機会があったとしても、いざとなると踏み出すことが出来なかったのだ。
“また、明日”と約束をした次の日。お母さんが迎えに来るということで、抜け出すことが出来なかった。そのまた次の日。「外に遊びに行ってもいい?」と尋ねて、抜け出す機会を窺ってみた。四六時中監視されると思っていたアタシの読みはあっさり外れて、その機会は驚くほど容易く訪れる。
しかし、いざその時が来ても“約束を破った”という事実が尾を引いて、踏み出す一歩を躊躇してしまった。
昨日行くといった約束を破ったその時点で、アタシはもうあの二人にとっては“嘘吐き”なのだ。過酷な半生を送ってきたであろうあの少年少女が、そんな“嘘吐きなアタシ”を果たして受け入れてくれるだろうか?そう少しでも考えたら、もう怖くて、足が竦んで、動くことは無かった。
アタシは、もう行けない。行く資格がない。あの二人の仲間じゃない。
けれど、無事を祈るぐらいは許されても良いよね?
アタシは窓辺でそっと目を閉じた。
心の中で、執音くんと茉莉ちゃんの姿を思い浮かべる。あの秘密基地で見た、肩を震わせながらも必死に茉莉ちゃんを守ろうとしていた執音くん。精一杯に気丈に振る舞いながらも、どこか不安げな表情を浮かべていた茉莉ちゃん。その二人が今どうしているのか、想像するだけで胸がきつく締め付けられるような気がした。
それを理解している。アタシはアタシ自身があの二人のことを心配していると理解している。
だから、今なら会いに行けるはず。
けれど、やっぱり怖かった。あの日、確かにアタシは“また明日”と約束した。でも、それを果たせなかった。今さら会いに行ったとして、二人はどう思うだろう?執音くんは冷たい目をして「裏切り者だ」と責めるかもしれない。茉莉ちゃんは、泣きそうな顔でアタシを見つめるかもしれない。
気がつけば手が震えていた。手だけじゃない、足もだ。動かそうとすると鉛のように重いのだ。考えれば考えるほど怖くて、足が動かなかった。
(もう、忘れよう。アタシが心配したって何も変わらないのだから。ただ、無事でいてくれればいい)
祈る様に一度だけ合掌をして、重い足取りで机に戻る。
今は退屈な勉強をしてでも気を紛らわせたい気分だ。集中してそれで忘れられるなら、これほど気が楽なことは無いのだから。




