大丈夫
千寿流が落ち着くのを待ってから、命の家に戻ることにした二人。
「千寿流ちゃん、その大丈夫でしたか? もしかしてどこか具合の悪いところなどはないですか?」
戸口で迎えた命は、心底心配している声だった。
「あ、えひひ、ごめんなさい。急に扉叩いちゃって。もう大丈夫! あ、具合ってうん! 病気もうつってないよ、ほらみてみて!」
「え?あ、あはは。その、もし具合が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
千寿流は袖をまくり、無い力こぶを作る真似をしてみせる。
が、ピント外れの仕草に命からはぎこちない笑顔でそう返される。
「で、申し訳ないんだけど、もう一度葵君に確認取らせてもらってもいいでしょうか?」
「はい、もちろんです! その、葵、息子はその、鬼竜院さんたちに粗相などをしていないでしょうか?」
「ふふふ、とても素直で良い子ですよ。大丈夫、病気についても何の心配もいらないよ。僕に任せて」
不安げな命にそう笑顔で返す夜深。
感染の恐れはないとは言ったものの、万が一を心配する命の心情を気遣う。
「葵ちゃん。えひひ、千寿流だよ! 初めましてだよね! よろしくね!」
「あ、はい、鬼竜院さんに聞いてます。千寿流お姉さん。よろしくお願いします」
「あ、えと、うん」
年上の自分よりも礼儀正しくしっかりした様子に、少し面食らってしまう千寿流。
「あの、その、さっきは大丈夫でしたか? すごく辛そうでした」
あの時は周りが全く視えていなかった。自分のことも、葵のことも、何もかも。だって、ただ夜深に縋りたいという気持ちだけでここまで走ってきたから。
「うん、あたしは大丈夫。けどね、もう一人シャルちゃんって子がいたんだよ」
「シャル、お姉さん?」
「葵ちゃんはその、何か分からないかな?」
「……その、僕も分からないです。分からないですけど、もしかしたらシャルお姉さんは、黒い影がつれて行ったのかもしれません」
「黒い、影?」
初めて聞く単語に、訳が分からないと首をかしげる千寿流。その影がシャルを連れ去ってしまったのか。その影があたしから友だちを奪ってしまったのか。
「……その影は、何?」
だったら逃げるわけにはいかない。
千寿流は葵と夜深が知り得る情報の経緯を訊くことにしたのだった。
「じゃあ、シャルちゃんがどこに行っちゃったのかまでは分からないんだよね?」
「その、ごめんなさい。千寿流お姉さん」
「え、あ、うん。葵ちゃんは悪くないもんね。ごめん、あたしがちゃんと見てなかったから」
この場の誰が悪いわけでもない。
千寿流は作ったこぶしをぐっと握りしめ、悔しさを噛み潰すように俯く。だからやり場のない悔しさとか、悲しみとか、どこにぶつければいいのか分からなかった。
でも、この場所に立ち止まってても何も変わらない。手掛かりは掴めたんだから、とりあえずは動き出さなきゃどうにもならない。
そう思い、千寿流は踵を返し出口に向かおうとすると。
「千寿流ちゃん。当てはあるのかい?」
「無いよ」
振り返りそう言った。自分で声に出してあまりに低い声だったから少し驚いた。
自分じゃないだれかの声のように聴こえて少し不気味に感じた。
「無いなら止めておきなよ。行動力があるのは結構だ。でも、動けば勝手に問題が解決するほど世の中簡単じゃない」
「でもだからって!」
夜深に詰め寄る。こんなことしたくない。だって優しい言葉をかけてくれた人だから。あたしの一方通行の感情かもしれないけど信頼してるんだ。
ここに来た時よりは気持ちは落ちつけたつもりでいた。でも、それだけだ。呼吸を落ち着けて、整えて、冷静になったフリをしてるだけ。
だから、自分よりも冷静な夜深に少し苛立った。いや、苛立ったのは何もできない自分に対してかもしれない。
「相手は人語を発する魔獣だ。それなりの力を持っているとみて間違いない。そして陰湿。暗くてジメジメした協調性なんて欠片もないような臆病者」
「……?」
「とりあえず、最近ここ川崎周辺で魔獣の被害が出た場所を洗ってみよう。おそらく被害報告が無い場所、その方角が当たりさ」
目を丸くする千寿流。それも数秒、すぐに笑顔になる。
夜深は影の魔獣には、少なくとも犯行を隠蔽するだけの知恵があるとみていた。だから、少なくとも現場を抑えられるような失態は見せないだろうし、あからさまな証拠などは隠滅するだろう。
まだ未知の部分がある魔獣に個人の考察を安易に当てはめるのは危険だが、もし、その影が他の魔獣を統率することができるなら、“被害報告がないこと自体が被害が起こっている証拠”になると考えたのだ。
「……うん、うん!」
その後、夜深から確証はないと補足されるが、やみくもに探そうとしていた自分とはまるで違う。
「じゃあ、葵君。僕たち少し出てくるね。まだ、病気は完治できていないから無理しちゃだめだよ?」
「はい、鬼竜院さん!」
ああ、頼りになる。きっと、シャルも戻ってくる。
そう思わせてくれるような不敵な笑みに、千寿流は最後まで付いて行くことを決めたのだった。




