オレのヒーロー
ここまでか――そう諦めた刹那、目の前の赤ん坊の顔が醜く歪む。
「ギャっ!?ギギギギ!?」
醜く伸びた右足がブチりと音を立てて吹き飛ぶ。
「ヒーローは遅れてやってくる、で合ってたっけ?」
「姉……貴」
風前の灯火と化した風太の前に現れたのは、実の姉である工藤風花だった。
「がんばったね風太。お姉ちゃんが来たからにはもう安心だよ。お姉ちゃん、強いからね」
そう言い終わると、風花はギロリと魔獣の方向を睨みつける。その鋭い眼光に、声に出さずともその重圧を推し量ることが出来た。
危機を察した魔獣の判断は早かった。身体から歪に伸びる蔦のような舌がいくつも放射状に伸び、絡め取る様に回転し始める。あの耳障りな嗤い声ももう聴こえない。相手を嘲笑し、見下している状況に無いと理解したのだ。
「躾の檻」
そう風花が呟いた直後、辺りに重く空気が圧し掛かる様に悲鳴を上げる。魔獣が伸ばした舌も、その引力に導かれるように地面に縫い付けられる。さながら不細工につぼみ開く押し花のように。
醜い顔が一層醜く軋むほどの重力。これでは勝つことは疎か、逃げることすら叶わない。
「あたしの異能 無失風譚『Zero collapse』は対象を点とし圧縮する能力。文字通り君を点とするならば、その存在ごと圧縮して潰してしまう。けど、それはやめてあげる。だから、逃げれるなら逃げてもいいよ」
『躾の檻』
対象を地中に設定する事で、地表(下方向)に向かって圧縮する技。出力を調整することで地面を崩壊させること無く、相手を地面に縫い付けることが出来る。
また、対象を点ではなく面である地面と仮定し捉えることで、攻撃範囲の拡張も同時に実現している。その分性能は下がるが、一撃必殺でもある異能を一対多向け、またレギオンへの報告のために捕縛用に改良したアレンジ技である。
「らしくないね。諦めるな。なんて古臭いことは言わないけどさ。風太にはもっと自分を大事にしてほしいよ。お姉ちゃんとしてはね」
魔獣の顔がさらに醜く歪み崩壊していく。躾の檻自体は捕縛用の技ではあるのだが、愛する弟を傷だらけにされたことに対しての、怒りという感情が手元を狂わせているのかもしれない。出力という名の針が振り切れようとしていた。
「だって、逃げれたでしょ。それに風太は馬鹿じゃない。相手と自分の力量を推し量ることなんて出来たはずだよ」
「……っ」
言えるわけがなかった。赤ん坊の魔獣に止めを刺そうと振りかぶった時の声。赤ん坊の口から聴こえた「殴るノ?アタシを?」の声。それはまだ幼かったころの姉貴の姿そのままだったからだ。
おかしなことはいくつもあった。
なんであの赤ん坊が姉貴の声をそっくりそのまま真似できるのか。そして、割れたはずのビルの窓ガラスがただのコンクリートの壁に変わっていたこと。どっちもあの甲高い超音波を聴いた後だ。
つまり、それがきっかけ。さしずめ、“聴いた者の脳内に幻覚作用をもたらす攻撃”といったところだろうか。
「でも、あたしはそんなボロボロの姿でも嬉しいかな。だって、戦うこと、立ち向かうことに意義を見出してくれたみたいだからさ。だから――」
彼女の声は静かな優しさと冷たさが同居していた。まるで真っ赤に燃える炎のような怒り、そして、それを包み込むように掬い上げる慈愛ような風。見据えるその先には、弟を思う姉としての温かな願いが確かにあった。
「ぎぎゅ、げ、ぎゅ……っ」
上がり続ける出力に地面が次第に歪み始める。崩壊寸前の魔獣は、もはや怯えるように半ば液状化した身体を蠢き続ける。
しかし、風花はその後も容赦することなく、技の拘束をさらに強めていく。彼女の怒りが冷めるまで、魔獣に解放の機会など与えられることはないだろう。
「弟を傷つけたお前だけは絶対に許さない」
拳を強く握りしめると、それに呼応するかのように辺りの景色が一瞬歪んだような気がした。まるで空間そのものが、彼女の感情に引きずられているかのような感覚に陥るほどの圧迫感。例えるならば蹂躙、拷問、執行。もうまるで戦いと呼べるような構図ではなかった。
「バカ強ぇ」
そう自傷気味に呟いた風太の声を背に、風花は最後の一押しを解き放つべく、拳を前に掲げ全力の怒りと力を込めて捻り潰す。
「ぶ……ぎゅ……っ」
地面が砕け、グチュリと耳障りな音と共に、その存在ごと崩壊する。
檻にとらわれた魔獣が衝撃と共に激しく砕け散った。魔獣の濁った断末魔が響き渡る中、その肉体は黒の粒子となって消え去り跡形もなく消滅した。




