風に導かれて
ん、ここは?
あれ?あの後あたしはどうしたんだっけ。
周りを見渡す。
一面の瑞々しい草原が広がる。そこには木も建物も人もいない。だから、どこまでも先が視える。これ以上ない程の透明度と解像度だ。その先を視ようと思えば、視力はどこまでも鋭敏に応えてくれた。だから、一キロ先の葉に滴る水滴すら鮮明に見てとれた。
視界が流れるごとに、まるで自分の身体がジェットコースターにでも乗っているような錯覚に陥った。果てしなく続く青空。それと境界をなす草原の緑がどこまでも遠くに無限に連なっている。
(これは)
ふと、どこかに迷い込んでしまったのかと考えたけど。
(きっと)
あたしの足りない頭でもすぐに答えを導くことが出来た。
「夢、なのかな」
千寿流が声に出したその瞬間、言霊は風に乗り視界のその先へと運ばれていくように、周囲の空気に微かな波が立つ。草木はそれに反応するようにそっと揺れる。
それはまるで、この世界そのものが彼女の思考や一挙手一投足に応えているかのようで、現実とはかけ離れた法則で成り立っていることが理解できた。
風が吹き続けている。
その風を背に受け、導かれるように一歩。また一歩と歩きだす。
視界が急速に後ろに引っ張られるように流れていく。それ以外は何もない。気持ち良さも、またその反対の不快さも、ここには何も無かった。
理由は無い。直感も何も無い。
けど、風の導きに沿って歩く。いまはそれだけ。
その先に何が待っているのか、ここがもし夢の中なのだとしたらいつかは果てが視えるだろう。
千寿流はただ無心で歩き続けた。後ろに流れていく視界はどこまでも静かで、あらゆる感覚が死に薄れていくようだ。草原の中を歩く音も、風が吹き抜ける音も消えてしまったように感じられた。だから、怖くて後ろを向くことは出来なかった。
「よう、何だよ。辛気臭えツラしてんのな」
一陣の風が駆け抜けた。瞬きをしたその先には一人の青年、千寿流の友人が立っていた。
「ふ、風ちゃん?え?え?え?なんで、こんなとこに?」
千寿流は困惑するばかりだった。目を覚ましたと思ったら知らない景色に放り込まれ、何の目的もなくただ歩かされるだけ。どれぐらい歩き続けたのか分からないが、未だにこの夢が明ける気配はない。幸い、この空間の中では疲れも空腹も何も感じられないので、それだけは助かったのだが。
「ね、ねえ。風ちゃんも夢の中?」
やっと会話が出来る相手が見つかったのも束の間、この空間がどういった理由で存在しているのか、なぜ風太がここにいるのか訊いてみた。
「夢?何のことだ。ここは夢でも何でもねえだろ」
「え?」
夢、じゃない?夢の中じゃないというのならなんだというのか。こんな何も無い景色を千寿流は視たことも聴いたことも無かった。そもそも、感覚が違う。高速で流れる景色も、人並外れた視力も、疲れを知らない身体も、その全てが浮世離れしている。
そして、極めつけは目の前にいる風太の姿。
風太は今修行をするということで、千寿流たちとは別々の行動をしている最中なのだ。だから、目の前にいること自体あり得ない筈なのだ。
「なあ千寿流。オレ、喋れてるか?」
「へ?何言ってんの?風ちゃん」
よく分からないことを言う。喋れてるって、今実際に会話してるから間違いないと思うんだけど。
「いや、悪ぃ、忘れてくれ。オレも頭ン中ジャムってんだ」
なぜだか、いつもの風ちゃんらしくないなと思った。
「あー、もしかしてよ。夢っつーのはよ、“お前の夢”って意味か?」
少しの沈黙の後、風太はこめかみに手を当てて考える仕草を取り、難しい顔をしながらそう言った。
「あたしの、夢?」
いや、それはそうなのかもしれないけど。あれ、もしかしてあたしは夢の中で風ちゃんと会話をしているのか。夢の中で夢と気づく、明晰夢というものを聴いたことがあるけれど、それとは何か違うような、言葉では言い表せないけれど、違うって断言できるような、そんな感覚だ。
「あれ、風ちゃん?」
気がつくと風ちゃんの身体がどこか透けているような気がした。
「なんだよ」
「え、だって、なんか身体透けてる。どういうこと?」
「は、意味分かんねー奴だな。ゲームのやりすぎでリアルとの境が分かんなくなったとか言わねーよな?」
いやいや、透けてるし。あー、さっきよりも薄く!もしかして、気がついていないのかな。
「まあよ、とりあえず行こうぜ。ほらよ、しゃーねーからオレが連れて行ってやるよ」
そう言って風ちゃんはあたしの手首を握り引っ張ろうとする。引っ張られるという感覚はあっても、そこに握られる感覚、温度は無い。まるで透明で無機質の何かが、有無を言わさずに引っ張って行くような、そんな不気味さが感じられた。
(もしかして、風ちゃんは出口が何処にあるのか知っているのだろうか?)
向かい風が顔を撫でる。
その方向は今まであたしが歩いてきた方向だ。
だから向かい風。
その風の音がこちらに来るなと訴えかけているような気がした。




