嬰児2
四足歩行の子供。頭は異様に大きく生まれたての赤子の様な見た目。顔面には三センチほどの小さすぎる口。その代わりと言わんばかりに鼻が二つ。ぎょろりと食み出した、ぎょろりと食み出した、四つの眼球が別々の方向を向いている。腕は赤子そのものだが、足は成人男性のように太く毛が生え揃っていた。異様さは一見。そのアンバランス感から、戦いに適した形とは到底思えなかった。
だというのに。
「……」
額から首筋にかけて汗が滴る。全身から鳥肌が立ち、寒気が止まらない。戦おうという意思というよりも、会敵したことすら呪い恨みたくなるレベルの、恐怖。
オレが怖いのは、これか?
自問と自答を繰り返す。問いかけと回答が忙しなく入れ代わり、目まぐるしくぐるりぐるり。
頭の中での諍い事は、現実では1秒にも満たないほど簡潔で、どうしようもないくらいにくだらない些事だった。だから、答えは決まっていた。決まっていたけど、それが本当に自分自身が求めていた答えなのか、よく解らなかった。
だから、きっと。他でもないオレ自身に問いかけたのだろう。
「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛」
不吉の象徴が産声を上げる。
濁った濁音と化したそれは、まるでこの世に呪いを産み落とす使者のように感じられた。気がつくと足の拘束感が無かった。既に足元に巻き付いていた蔓のような触手は無い。よく見れば花のように開かれた真っ黒なつぼみも、その先端を粒子に変え消え始めていた。役割を終えたということなのだろう。
オレが怖いのは、やっぱり。
異能を解放する。別にこの先一生使えなくなったって構わない。コイツは駆除しなければいけないってんなら魔獣狩りとして他に選択肢は無い。千寿流たちを裏切る形になっちまうのが、オレは怖いんだ。
「来いよ赤ちゃん野郎。けど、覚悟しろよ。オレ流のあやし方はちょっと手荒いぜ?」
歯を見せて笑ってみせる。考えてもやっぱりよく分かんねえから、とりあえず笑っとく。自分の生き様を曲げちまうことが何よりも怖い。へし折れちまったその先を生きていく事が何よりも怖い。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーッ!!」
絶叫。ビルの窓ガラスが次々とドミノ倒しの如く割れる。
オレはガラスの雨を避けつつもビルの壁面を蹴り上げ、相手の頭上へと飛び上がる。相手が人型(今回の場合は赤ん坊だが)である以上、頭上は基本的に死角となる。首は頭上には曲がらねえからな。
それでも無理は通るが、三百六十度をカバーするとなれば無理に首を曲げる必要性が生じ、慣れていなければ平衡感覚も大きく損なう。ましてや相手は赤ん坊。人間のそれに当てはめるのはどうかと思うが、重たい頭と短い腕では、機動性に関してはゴリラ形態と比べても著しく下がるだろう。
見極めろ。異能の開放は極限まで絞り切る。打ち込むその瞬間。必殺の暇。その間隙を見極めろ。
身体は高熱にうなされている時のように重く、熱いのに、なぜか頭の中は酷く冷静だ。とても気持ちが良い。異能を解放していないというのに、ガラスの破片の一つ一つの流れが手に取るように解る。これは一種のゾーンってやつか?
今の時代、暢気にスポーツなんてやってるとこは多くない。情報規制がされているこの世の中では、盛り上がりようもない。例に漏れず、オレにとっても学校でやった遊びの延長線上でしかない。スポーツなんて暇人の遊びだなんて一蹴していたが、なるほど。こんな気持ちになれるのなら、打ち込むヤツの気持ちも幾分かとわかるものだ。
魔獣がいなくなる。なんて未来は今のオレには正直想像できないが、いつか平和になったのなら、スポーツに明け暮れてみるのも悪くねえかもしれないな。
なんて下らないことを考えつつも機を窺う。視覚に潜り込んだオレが相手に動きがない事を確認し、一気に攻め込むと考えたその刹那。
「ッ!?」
赤ん坊は頭を動かすことなく。その眼球の位置だけを移動させ、無数の眼でこちらを凝視する。
オレはとっさの判断でビルの壁面を蹴りつけ、再度相手の死角の外側へと移動する。
ビル壁面の窓に手を掛け、相手の様子を伺う。この赤ん坊がしてきたことといえば、最初に奇声を上げて窓ガラスを割ったことだけ。てっきりあの超音波のような音でこっちを攻撃するのかと思ったが、どうやらただの産声のようなものであり、あれ自体は攻撃手段ではないようだ。
得体が知れない。それだけが確か。攻撃を仕掛けるべきかどうなのか、オレはまだ決めかねていた。




