東川ランジという男
数年前の夜、虎太郎の父親は忽然と姿を消し、そのままとうとう帰ってくることは無かった。別に珍しい話ってわけじゃない。こんな話はギルドでも腐るほど聞いてきた。
行方不明となった人間はそのまま姿を消し、発見されることなく、時間と云う埃に埋もれて消えていく。正確には発見されないのではなく、捜索がいつまで経っても行われないからではあるが、それが今この世界でのルールってわけだ。
だが、魔獣の姿を見たものはいない。虎太郎もさっき会ったスーツの男も魔獣は見たことがないと言っていた。魔獣に知性がまるきり無いわけではないが、人間のそれと比べるまでもなく低能だ。
文献には人間を害する事が目的とあるのに、人間が大勢いる場所に自ら出向くこともしないことから明らかだ。視界に映る範囲でしか状況を認識できないのだろうか。
もちろん、中には狡猾に人間を嵌めることを考えたり、人語を理解し介する種もいるようだが、極めて稀な個体だ。そういった種がこの街を支配しているというなら話は別だが、どうにも理に適わない。
この街は人も少ない。加えて少し歩いたところに小さなギルドもある。ならば、もっと大勢が集まる場所を狙うのが筋というものだろう。だから、今回はそういった類のヤツらは除外して考えても良いだろう。
そうなると考えられるのは。
「佇影の住人……」
風太は誰ともなく呟いた。誰にも聴こえないような声だったはずだが、風太の横、手を伸ばせば届くような距離にうすら笑いを浮かべて青年が立っていたのだ。
「ああ、あなたも佇影の住人について知ってるんですか?」
「アンタは?」
音も気配もなく真横に立たれていたことに少し動揺したが、それを気取られないよう冷静さを努めてそう返した。
「この街、と言いますか、この地区ですね。おかしくないですか?ここら一帯を包み込むような異様な閉塞感。擬音にするとジメ~っとか、どよ~んとか付きそうな感じです。蛹の中とかもこんな感じなんでしょうかね?だってそうでしょ?周りが全部壁に囲まれて自分は押し付けられてるんですもんねえ」
何だコイツは?一見物腰が低いかと思ったが、目線が合わない。いや、こちらの顔をしっかりと見ているのに、まるでその先にある何かを見ているような、そんな不気味な感じだ。
「なんだよ?」
「何って、ほら。握手ですよ。こういうのって一期一会ですから。ほら、握手です、握手!手を出してください!」
「お前の流儀に反して悪りぃが、見ず知らずのヤツと仲良く手を握り合う趣味はねえよ」
「ええ?ただの握手ですよ?握り合うなんて、ハレンチですね!」
おい、本当に何だコイツは?
「握手してくれるまで、僕ここから一歩も動きませんからねっ!」
「っち」
そう言って渋々手を差し出すと、電光石火の勢いで両手で掴み、ぶんぶんと握り返してくる。
「ふふふ、これで僕たちお友だちですね!あ、僕、東川ランジっていいます。以後お見知りおきを」
「工藤風太だ。なあ、一つ訊くんだが、アンタ、ここに住んでるのか?」
「はい、そうですよ。あなたももしかしてこちらに?僕たち年も近そうですし、本当に仲良くなれちゃうかもしれないですね?うふふふ」
コイツの人となりが分からない。やたら浮かれた発言が多い陽気なやろうかと思ったが、表情は全くの逆。おおよそ生気というものを感じられない。
目の下には主張の激しいクマがある。外見の年齢はコイツが言うように十代後半、確かにオレと同じくらいだがこの歳でこんなクマが出来るものなのか?
「オレは違う。さっき佇影の住人って言ってたよな。この街では噂になってるのか?」
「え、噂?噂、噂、噂ねえ。……うーん、分からない」
大げさに頭を捻り、わざとらしい間を置いてから出した答えが、分からないだった。何とも馬鹿らしい。勉強のし過ぎで情緒が安定していないだけの学生か。ここまで身を削って勉強をしないと良い学校に行かないといけないなんて、まるで刑務所と同じだな。
やれやれ、さっきのガキといい今日は変な奴によく会うな。




