始まりの風『Virgin doll』
(風?今日は無風だったはず。この辺りでこんな風が吹くのは珍しい。いや、これがアイツの異能か?)
深い森が吐息を吐くように、月明かりに照らされ長い影を森に投げかける。冷たい風がその影を搔き消すように幾重にもなって流れた。
男は周囲を警戒する。何も自身から向かう必要はない。相手がやる気になったのなら、向かってきたところをクロスカウンターの要領で迎撃してやればいいだけなのだから。
(くくく、どこからでもいい。掛かってきな。肉を切らせて骨を断ってやるよ。まあ、斬らせる肉なんざ俺様には無いんだがな、くくく)
あえて隙を晒すため男は手を垂直に下ろし目を瞑る。それは傍から見れば勝負を捨てて諦めるようにも視えた。
その刹那、大木の間隙、暗闇から風に乗り斬撃が無数に飛んでくる。それはかまいたちの如く何層にも重なり小さな台風と化す。速度は決して遅くは無いが密度は疎ら、男の身体能力をもってすれば避けることなど容易だろう。しかし、男は不動を決め込む。動く必要が無いと判断をした。
「ウインドミルッ!」
さらにとどめの一撃といわんばかりに、風で形成された巨大な風車の様な斬撃が男に襲い掛かる。その威力は伊達ではなく、大木に幾つもの爪痕を残しながら突き進む。
「そこかッ!」
かっと目を見開く。男はこれを待っていた。風の刃だけでは決めきれなかった相手の正確な位置。しかし、声が聴こえたとならば別。そこに確かに存在するのだ。男は初の放ったウインドミルに対して真っ向から立ち向かい、切り刻まれながらもその声のした方へと一直線に突進する。
(いい攻撃だ。最初の斬撃と比べると風の刃の密度が段違いだ。これもひとつの異能の開示ということか。だが、これほどの攻撃だとしても、俺様の無敵の肉体に傷を付けることは叶わないみたいだなぁ)
そして、この規模の攻撃の嵐を放ったのであれば、即座に動けないだろうと確信する。
「避けたほうが良いわよ?」
遥か後方から少女の声。それは紛れもなく先ほど聴いた少女の声だった。
「ッ!?」
男は何が起こったのかと後方を振り返る。
理解できなかった。確かに少女の声は前方から聴こえてきたのだ。はっきりと聴いた、この耳で。それに攻撃だって前方から飛んできたものだ。間違えるものか。ならなぜ、あの少女の声が後ろから聴こえるのか、男には何も理解できなかった。
いや、一つだけ理解できたことがある。それは、青白く月明かりに照らされた一閃の斬撃が前方から向かってくるという事。他のことは何も理解できなかったが、それだけは理解できた。
(飛ぶ斬撃。馬鹿の一つ覚えみたいにうっとおしい。俺様にそんなオモチャが効くと思っているのか?それとも……)
その時、男の脳内に警鐘が鳴った。
胸騒ぎ、第六感、虫の知らせ。
避けなければいけないと。この斬撃だけは避けなければいけないと。避けなければ無動大毅という男の人生はここで終わってしまうと。そう喧しく騒ぎ立てたのだ。
咄嗟に体を捻り斬撃を躱す。矜持には反するが直感だけには逆らえない。斬撃の範囲は横幅五メートル弱、加えて厚みもスピードもない。避けるのは文字通り造作もない。
「正解!良い危機感。けど、それはちょっと悪手かもね」
「なにぃッ!?」
漏れ出したのは驚嘆という名の弱音。振り返った先、後方から少女の声。男には何が何だか分からなかった。先ほどまで前方、二十メートルから三十メートルの位置に陣取っていたであろう彼女の声が、常に後方から聴こえるのだ。耳の錯覚なんかじゃない、現に男の背後、その正面に彼女の姿が迫っていた。
手には模擬刀。その言葉が真実ならばその刀に切れ味などある筈もない。しかし、さっきから鳴り響いている騒がしいサイレンの音が消えないのだ。それは鼓膜の中、奥の奥、決して取り出せないような深奥でいつまでも鳴り続ける。内と外、異なる温度の暴力が常に叩き、まくし立てる。
だからだろうか。その判断が少し遅れた。
「ぐぎゃァああぁああぁッ!?!?がっ!ぎぃいぃぐぅッ!」
騒ぎ立てる大男。月影に舞う黒のシルエット。舞い踊る水しぶき、否、鮮血の雨。
「何が無敵よ、ざぁーこ。笑わせないでよね」
初は吹きつける血しぶきを唾の様に吐き出し、跪く大男を見下しながらそう嘲笑する。
初の異能。始まりの風『Virgin doll』
そして、ウインドミルによる目くらましからなる、風に乗せて放った斬撃に自ら乗り、超高速で相手の裏を取り奇襲する技、SkyRider『Airraid』。
彼女の足元を起点に巻き起こる風の力は戦闘の補助、吹きつける風の刃、小さな台風。そして、追い風による高速移動を可能とする。
彼女の経験値は浅い。応用が多岐に利くこの異能をまだまだ使いこなせているとはいえなかったが、小さな身体というリスクを逆手に取る視覚外からのブラフを織り交ぜた上記の様な奇襲は、彼女の得意とする戦法の一つだった。
しかし、大男の腕を斬り裂いたのは彼女の異能の力によるところではない。彼女の異能が風を操る力だけなのであれば、たとえ全身全霊、全力の斬撃を放ったとしても、男の無敵の肉体に付く傷はかすり傷程度、いや、傷一つ付かない可能性だってあった。
だからこれは、初という少女。その彼女の業が断ち斬ったのだ。




