疑心
「で、その、夜深ちゃん。その手掛かりを持っている子ってどこに住んでるの?」
怪しい、不気味、怖い。とはいっても千寿流たちに手掛かりが無いのも事実。
カフェにて夜深から奇病に苦しんでいる少年がいる、という情報を得た千寿流たちは、町はずれの郊外に訪れていた。
「ほら、ここを少し上った先に住んでいるみたいだよ。なんでもその病気がきっかけで外にも出られないんだとか。症状にも軽重があるみたいだね」
夜深はコンビニで購入したマスクを耳に掛けながら言う。
「どなたですか?」
「ああ、すみません、先日お宅に伺った鬼竜院です。あれから息子さんのお具合はいかがでしょうか?」
ドアノブが回り、ガチャり、と音がする。
少しの間を置いた後、静かに扉が開かれる。マスクをしているので口元がはっきりとはしないが、中から出てきたのは優しそうな雰囲気を携えた三十前後の妙齢の女性だった。
「息子の容態はあれから酷くなっていると思います。お医者様に訊いても分からない原因不明の病。日に日に落ちていく体力。私に心配をかけまいと強がってはいますが、もう限界だと思います」
「……」
「一度見ていただけないでしょうか……おや? その子たちは」
「ああ、この子たちは。僕の、うーん、友だち、ですかね? 気にしないでください。大丈夫、僕がちゃんと目を光らせていますので」
花壇に飛び交う蝶々に気を取られているシャルと、緊張しているのか真顔の千寿流。
「ほら、こちらは葵君の母親でもある天音命さん。ほら、二人とも挨拶して」
「あ、えっと、その、はい、えっと、ち、千寿流です。えと、よろしくお願いします。あ、こっちはシャルちゃんです」
緊張からかどもり気味にたどたどしく挨拶をする。
いざ自己紹介となると何故か緊張したりしなかったり。今回は前者であるが、緊張する理由は千寿流にもよく分からなかった。
おそらくこの場所に訪れた要件自体がセンシティブな理由である事や、その場の雰囲気、初めての経験という部分に緊張してしまっているのだろう。
「シャルルは シャルルだよ ミコト よろしくね!」
言わずもがなシャルは相変わらずである。
「あ……ふふふ、お二人ともとっても可愛い子ですね。天音命です、よろしくね」
同じくお辞儀をしながら自己紹介を返す命。
千寿流たちの子供特有の無邪気な様子に、少し緊迫感がほぐれたのか朗らかな笑顔を向ける。
「へえ、じゃあ息子さん、葵君は第一例目の感染者とはいえずとも、早期に罹った可能性が高いというわけですか」
聞くところによると命の息子でもある葵は数年前から不調を訴え、学校にも行けない状態だという。
謎の病が発生した時期とも重なる。これはいよいよ実態が見えてくるのも時間の問題だろう。
その後、客間にて詳細を聞くこととなった一行。その結果、感染の可能性も考慮して命と夜深の二人が葵が寝込んでいる寝室に入ることとなった。
「……うん」
寝室の戸を開け一度部屋をぐるりと見渡した後、部屋に敷かれた布団に臥せっている葵に近づく。
普段の飄々とした雰囲気が身を潜め、夜深の表情が険しくなる。葵は眠っているにも拘らず、息が荒く、病状は素人目にも一目で深刻と判断できるものだった。
「はい、もう長いこと病に苦しんでいます。お医者様にも訊いてみても分からないの一辺倒。個人で調べても解決には至れませんでした。私は何もしてあげられず、このままでは……うぅ」
(しかし、同じ屋根の元暮らしている命さんに感染発症の疑いは無い。よっぽど気を遣って感染症対策をしているのか。いや、この女に限ってそんな事は無いだろう)
窓を見る。今は閉じられているが部屋の空気からして定期的に換気もされているようだった。
(この病気、感染力は皆無とみるべきか、この女が嘘を吐いているのか。まあ、それは捨て置いていいか)
「謎の奇病、トレモロねえ。医療機関にもお手上げとなると一筋縄ではいかない。それに命さんの見解通り、タイムリミットは長くないようだ」
顎に手を当て眉を顰め、考える仕草を取る夜深。その表情は傍から見れば、病人を気遣う献身的な姿に視えるのだろうか。
千寿流たちは夜深と命が寝室に向かい待っている間、客間で過ごすこととなった。
テーブルに運ばれてきたアイスティーとマシュマロの袋をシャルが破こうとしていたのを見て、意を決めるように千寿流が口を開く。
「ねえ、シャルちゃん。夜深ちゃんのことどう思う?」
「? どういうこと ちずる」
シャルが袋を開ける手を止めて千寿流に聞き返す。
千寿流は基本的に人を疑うという事をしない。善悪の印象を抱くことはあっても、ヒトというものは信頼しあい生きていく生物だから。
ならば疑うという行為は不義である。相手が良い人間か悪い人間かというのは、疑った先にしか見えてこない当人だけの知られざる真実だ。
もし、疑ってそれを口にして、善人だったのなら相手を傷つけてしまうかもしれない。
千寿流は人の心理など難しい事は何も分からなかったが、言葉が心を傷つけるナイフであることを何となくで理解していた。そう思ったら疑うことが出来なくなった。
だから、自分でもそんな言葉が口を衝くとは思わなかった。
“夜深ちゃんのこと、どう思う?”
自分の言葉なのに、それはどこか遠くの他人事のように聴こえた。
千寿流は生まれて初めて人を本当の意味で訝しむ。押し寄せるのは学校のガラス窓を割ってしまった様な、立ち入り禁止区域に立ち入った時の様な、そんな背徳的な昏い感情。
そう呟いた千寿流の口元は微かに震えていた。
この部屋にはカフェのような気の利いた音楽は掛かっていない。
音の無い世界でチクタクという等間隔の秒針が刃を突き立てるように、グサリと心を責め立てる。沈黙は重圧となり、水底の様にこの場に重く圧し掛かっているようだった。
「あた――」
「だいじょうぶだよ ちずる ちずるになにかあったら シャルルが たすけてあげる! ううん シャルルだけじゃないよ みんなも みかた! ちずるの トモダチが たすけてくれるよ!」
沈黙に耐え切れず口を開く千寿流。その声をかき消すように、マシュマロの袋をビリリと破いて千寿流に向き直り、シャルは笑顔でそう言った。
“どう思う?”の後に続く言葉は言わせない。それはきっと自らをも傷つけてしまう諸刃のナイフだから。
声に出したらもう取り消せない。自分自身が証人として決して逃れられない過去に変わる。そんな罪は千寿流には似合わない。
“自分が力になるよ”
「だから だいじょうぶ」
喋ろうと開いた千寿流の口にマシュマロを押し込みながら言う。
千寿流の一番の友だちである、シャルの心からの言葉だった。




