ちょっとの努力と
「鏡に映るあの子は貴女の■を狙う」
鏡というのは姿写し、つまり、自分と同じ顔ということだ。
あの子。これについては詳しい事が記されていないが、年端もいかない年齢の子を指しているのだろう。鏡に映るあの子と言っているところからも、千寿流とそこまで年齢の差があるとは思えない。
恐らくは藤沢市で会ったあのローブを纏った少女。
理屈も根拠も無いが、千寿流には何故かそう感じられた。
「千寿流ちゃん、誰かの悪戯です。気にしてはダメですよ」
あたしの唇が震えているのに気づいたのだろう。気を落ち着かせるように肩を抱き、ゆっくりと耳元で諭してくれた。
そうだ。こんなのは質の悪いイタズラだ。■の部分が切り取られているのもそう。直接的な表現を避けて不安を煽るだけ。
実際に何を狙うかも明言していない以上。何も起こることは無いのだ。何も起こらないのであれば不安に思うこともない。明日になればいつもと同じ朝。変わらない日常がまたやってくるだけなのだから。
「う、うん。そう、だよね」
「はい。だから、何も心配いりません。何があっても私が千寿流ちゃんを守りますから」
へ?
守るって、何?
守るって、何から?
何を言っているんだあたしは。
そんなの決まってる。魔獣からだ。この新海地区には魔獣が入り込んだ。
校舎や公園で見かけた魔獣については、あの南雲って人が召喚していたのは判明している。その人に関しては風ちゃんがやっつけたらしい。だから、普通に考えればもう魔獣が現れることに怯える必要はないわけだ。
もちろん、だからといって絶対なんて断言は誰にもできないわけで。
二学期からの学校が通信制になることや、出歩く事について注意喚起がされるようになっていることからも、魔獣が出ないとは誰も言い切れないのが現状だ。
クラマちゃんはそんな脅威から、あたしを守ると言っているだけに過ぎない。だから、他意は無いはずなのだ。
けど、あたしにはそれが違う意味のように聴こえて。
ダメだ。動揺してる。良い時は調子に乗るのに、一度でも悪い方の可能性を考え始めると悪い方悪い方へと考えてしまう。あたしの悪い癖だ。
こういう時は何も考えないで遊んだりご飯を食べたりして、あたしの中を満足で埋めてあげる必要がある。人間、というか、あたしは結構単純だ。楽しいことを考えたら嫌なことなんて、すぐに塗り潰してしまえるのだから。
「ねえ、クラマちゃん。お料理、勉強したいって言ってたでしょ?」
「え?は、はいっ!お料理に関しては毎日本を読んで勉強していますよ。まだまだ覚える事、知らない事が多すぎて、知れば知るほどに自分が未熟者だということを痛感しますけどね、あはは」
冒険の最中もクラマちゃんは合間合間にスマホと睨めっこしているのを思い出した。あれはきっとお料理についての本を読んでいたのかもしれない。何を読んでいるのか聴いた時に、お勉強と返ってきたのでたぶん間違いないだろう。
あたしも簡単な料理ならママに教えてもらってつくったことがあるけど、簡単と云われているものでも結構難しい。調味料とか分量をきっちり図れるものは良いとして、野菜を切ったり剥いたり、彩りを考えたり、意外と大変だ。
けど、あたしはそんな考えのクラマちゃんを疑問に思ったことがある。
「お料理って美味しく作ることがそんなに大切かな?」
「え?」
「そりゃあ、美味しいほうが良いと思うけどさ。クラマちゃんの作ってくれたお料理だって何度も食べたよ。けど、あたしにはどれをとっても美味しくて。きっと、正解なんて無いと思うんだ」
ううん、むしろその逆。全部正解なんだ。
お料理は愛情だとか、空腹が一番の調味料だとかいろいろいわれているけれど、それだって一つの答え。
「あたしはさ、お料理って作ってるときも楽しいものだって思うんだよね」
あたしにとってはそれも正解の一つ。不器用で、野菜の形がちょっと悪かったり、塩加減を少し間違えたとしても、それも一つの答えなのだ。お店を出して、お金を貰えるようなものを作らなきゃ正解ってわけじゃない。
「クラマちゃんさえよければさ、明日はみんなでいっしょにあたしの家に来てよ!きっとママたちも歓迎してくれるし、いっしょにクッキングパーティしない?ほら、ママに聴いてたでしょ?お料理教えてほしいって!」
「はいっ!ぜひ、お願いしますっ!」
楽しくない日なら楽しくすればいい。そうしたら不安も恐怖も考えなくていい。だって、そんなのちょっと努力をすればどうにでもなるのだから。




